「出産方面」: 2010

2010年12月15日水曜日

まったくさっぱり、それそれそれそれ。

寒いので、ロシア。なんか釈然としないのでロシア。
そんなわけがあったのかなかったのか、ゴーゴリを読み返してみました寒い朝。

《だが、もしかしたら思い違いかもしれないぞ。そうむやみに鼻がなくなる訳はないから

《畜生め! なんという醜態だ!》彼はそう口走って、ペッと唾を吐いた。《せめて鼻の代わりに何かついているならまだしも、まるっきり何もないなんて……》

「―――だって、あなたは―――このわたくしの鼻ではありませんか!」
 鼻はじっと少佐を眺めたが、その眉がやや気色ばんだ。
「何かのお間違いでしょう。僕はもとより僕自身です。―――」

が、何より奇怪で、何より不思議なのは、世の作者たちがこんなあられもない題材をよくも取りあげるということである。正直なところ、これはまったく不可解なことで、いわばちょうど……いや、どうしても、さっぱりわからない。第一こんなことを幾ら書いても、国家の利益には少しもならず、第二に……いや、第二にもやっぱり利益にならない。まったく何が何だか、さっぱりわたしにはわからない……。
 だが、まあ、それはそうとして、それもこれも、いや場合によってはそれ以上のことも、もちろん、許すことができるとして……実際、不合理というものはどこにでもありがちなことだから―――だがそれにしても、よくよく考えて見ると、この事件全体には、実際、何かしらあるにはある。誰が何と言おうとも、こうした出来事は世の中にあり得るのだ―――稀にではあるが、あることはあり得るのである

          「鼻」ニコライ・ゴーゴリ 『外套・鼻』平井肇訳 岩波文庫 1965
                                    太字筆者

なんか誰かの鼻がなくなったらしいというのはお伝えできますが、とびとび抜粋。
全体のお話が知りたいという向きには、読みやすい読みにくいは意見の分かれるところでしょうが、確か「青空文庫」にも出てるかと思います。

19世紀前半の帝政批判かも!とかいう難しい話は、難しい話が好きな方々におまかせします。
鼻が朝食のパンに挟まっていて、それはアイツのだとすぐにわかって・・・・・・
あらすじを説明するなどくだらないこともやめておきたい。

それにしても、落ち着きます。
四段目なんてあなた、まったくさっぱり、それそれそれそれ、ですよ。
私はわけがわからない。そしてまったくさっぱり、わけがわからないことに安堵するのです。
だって、この世の物事で、いったい、わけがわかっていることなどあるのか。

私は、わけわかったかんじ、に時折なる自分を蔑む。
私は、どうせわかんないから、と放棄する自分をバカにする。
私は、でもわかりたいから、と思索しようとする自分を揶揄する。

けれども。
「書いたところでまったく国益にならない」わけのわからなさが、わけがわからない私と私の世界を鏡に映すとき、その像だけは「ありえるときにはありえる」と思うのでした。

それはまるで、夢のよう。
うつつは夢で、夢こそまこと、などとあたりさわりのないレトリックで逃げるつもりはないけれど。
目に見えているものを見るのだとして、見えないものはどうするの。
見えないけれどあるのならどうするの、という事に四半世紀も悩んできたのです。
ごめんなさい嘘です、そんなに長くないかも。あと悩むとか大げさかも。

どう甘く見積もっても、夢を見続けて生きるわけにはいかない現状です。
起きなさい、目覚ましときなさいと言われてるわけです。

でもね、冬は寒いのです。
お布団が暖かいので、できればずっと眠っておいて夢を見ていたい時もあるのですよ。ふわっふわの毛布の中で。

そうして私は夢の中、あいかわらず、自分がここにいることさえもわけがわからない、という重度の中二病を再発しそうでドキドキしますが、目覚めたとき、夢のわけわからなさぶりに驚いて、蔑んで、バカにして、揶揄しながら、もう一回ちょっと考えてみようかとなるのです。

あるかないかなんてわかんない。
でもありえるときにはありえる。
そのようなあいまいなもののなかで、生きているのです。
言葉なんて擬制だよとかいう話は、聞き飽きました。
この全体的な擬制の中で生きている限りにおいて、何故ゆえ言葉だけが、「言葉では語りつくせない」という言葉を持っているのでしょうか。

原文から訳文にとんでる段階で、まったくさっぱり、それそれそれそれ。
こうなっちゃってる文字そのものに、私は惚けて、ちょっと楽しくなってきて、でも、それそれそれそれ、ではない言葉も捜してみたいと思うのです。

おお、やる気でてきた。
なんて言葉も揶揄しながら、受け入れとるわけです。

2010年12月6日月曜日

祭りのうらがわ、世界のうらがわ

あれほど、「ひらかれたヲタ」をめざそうね、と誓ったにもかかわらずです。
昨日の文学フリマに関して、私がとった行動には、色々反省すべき点があるのではないでしょうか。いや、総括すべしなのだ、そうなのだ。

仕事が終わってしばらく、「pocketパンチoh!」1969年12月号を読んで気持ちをスライドしていたのだけれど、ツィッターったら、もう。
ばんばん流れていくタイムラインに対し、ひたすらRTしまくったり、見ず知らずの参加者さんのつぶやきに返信したり、「おかんきたー!」などなど楽しそうな発言を登録したり、さりげに出身大学あかしたり、もうなにやってんだか、祭りで腕まくりして浴衣着崩しちゃうより恥ずかしい盛り上がり方、いん、ハッシュタグ、でした。
いやほんと、行ってないのに言葉と写真の羅列なのに臨場感があって、ツィッターありがとう!とさえつぶやきましたよ。おそらく「行けない」からよけいなのだと薄々わかってはいたのだけれども。
私は、「文フリRTレジスタンス」と化していたのです。(あえて抵抗しない)

しかしこれがツイッターの恐るべきところで、いざハッシュタグから出てみれば、フォローしてる方々のそれぞれの分野、生活、さまざまに、いつもと同じようで違うけれど、少なくともそんなに祭りではない日常がすすんでいるのでした。
そうです。

べつに、世界中が文学フリマをやっているわけではない。

という驚きの事実。
ああーびっくりした。中心なき世界の広大さですよ。

しかし考えるまでもなく、スペインでトマト投げつけて大騒ぎしている間に、こちらではモッツァレラチーズとトマト並べてオリーブオイルたらしてワインかたむけていたり、猛牛追いかけたり蹴り飛ばされたりしてる間に、鹿児島あたりでバスの車窓から静かな放牧牛を眺めていたりするわけです。
ハレとケに片足ずつ突っ込んだ状態から、しばし冷静さを取り戻しました。

そしておなじみ青井の本題ずれってってますよ話に進んでいきます。
けれどお断りさせてください、お詫びと共に。
このような脱線は必要なのです。俺の話を聞け2分だけでもいい、と剣さんも言っています。5分かもしれません。でもお話とは本来、複雑に入り組んでるものではありませんか(まったく論理になってません)。

さて、ひととき冷静さを取り戻した私は、いったいいつからこんな「祭り」な事に盛り上がれるようになったのだろうと思ったわけです。
学園祭とか文化祭とか「なんとか祭」と名の付くものにうろたえ、周囲が盛り上がるほどに冷めていったり、逆に孤軍奮闘して虚脱したり、祭りならずとも「球技大会」すら苦手で、学校の敷地内から逃げ出したりしていた私です。
今年の祇園祭だって、祭りで混むじゃんまいっちゃう仕事あるんですけど、とか言って交番を訪ね、交通規制ふくめた世間話をするという、なんだか斜にかまえた行為を二回もしていました。

けれど半面では阿波踊りを習得しているなど、あんまし人に言わないスキルもあり、徳島までマジでフェリーに乗って風の旅団のような集団行動をした経験もあります。
三田村邦彦が離婚後、つきものを落とすかのように踊り狂っていたのを記憶しています。
そして阿波踊りのリズムは、いまも私を高揚させるもののひとつでもあるわけです。

そう考えてみると、私の「祭り好き」ぐあいは年月を経て、阿波踊りの反復カタルシスのように、徐々に徐々に余分なものが浄化されてきたのかもしれません。みんなキラキラしてハイテンションな四月はけだるい、とかいう本質を凌駕するほどに。

でも文学フリマと阿波踊りは、ぜんぜん関係ないよね!

など頭ふってるうちに文学フリマ、トークイベントのダダ漏れ中継がはじまってしまい、再び靴下を脱いで、そっと片足を祭りに突っ込んでました。ハッシュタグ、という小さな世界に溺れながら。
ていうか、そんなんなら仕事終わってから行っちゃえばよかったじゃん!

世界の一部で、好きなものを持ち寄って、ときどき喧嘩しちゃったりしながらも、この先、を作っていこうという動きは、やっぱりステキです。来場者数が年々増えているようで、どうなっていくのかしら。
私なりに関わっていこう、ずっと好きなものに、などと思ったとき、目の前にあったのは「pocketパンチoh!」。

この本を買った古道具屋さんのご主人、40年前に好きだったものについて今も熱弁ふるうって結構すてきオヤジ、だよなぁとか。

オタクっていう言葉が出現してたぶん30年くらい。30年なんて宇宙レベルでは、今なんか目の前通った?程度でしょうが、一個人の人生にとってはかなりな時の配分です。今をとりまく新たな言葉の何が消え、何が残っていくのだろうなど、またもやズレまくりのことを考えていました。文学フリマという祭りの裏で。

さておき、破滅派売れ行き好調だったようでなによりです。
祭りの後、も続く日々、書いたり読んだりも続くのであろう。

2010年11月30日火曜日

後ろ向きのまま疾走せ。

書いてて思ったんだけど、絵的に想像すると笑えますね。
後ろ向きに疾走は。すごく早かったりするとよけい。

がばいばあちゃんは「後ろ向きでは歩きにくい」といってたそうです。やずやかなんかのCMで。
歩きにくいなら走っちゃえば。

そんなわけで私の参加する『破滅派』紙雑誌版七号、です。



早めに情報公開するから早めに告知&宣伝をすべし、という建設的な戦略ということで、WEBおよびツイッターで急いで宣伝です。疾走宣伝。早すぎると光に近づくという原理、なんかありましたよね!

内容はこちら
12月5日の文学フリマでまず販売です。

青井は新作短編小説「「妄想風俗店」」が掲載です。「」いん「」です。そんな細かいとここだわるよりもっとキャッチーな題名考えろぼけ、それと、自分のこと青井とか言うな。
最近、時々試してみたくなるのです。「エミってねー」とか自分で自分の名前いっちゃうかんじ。(エミにはまったく他意ありませんごめんなさい)「まゆまゆはぁー」とかくりかえしバージョンもやってみたい。
それは誰だい、私だい。そんなやりとりしてみたく、青井は、などと時々言うかも、言わないかも。

今回は当初のコンセプトが「温故知新」だったのに、「敗北宣言」になっちゃいました。
私もいちおう「おんこちしんおんこちしん」を頭に叩き込んで創作したつもりなのですが、ぜんぜん貢献できずごめんなさいです。でもどんな「敗北宣言」なのか楽しみですね。

あと楽しみといえば、破滅派テーマソング!です。CDもあわせて発売。
きょうび、CDです。(という高橋氏のエントリーにウケたので引用させていただきました。)
Rocket or Chiritoriと「叙情系漫画家」今日マチ子氏のスーパーコラボ企画。



歌詞を大々的に募集、そしてオープニングはあのなにをやってもハイセンスなアサミ・ラムジフスキー氏によるもので、青井は(やっちゃった)とっても楽しみです。

個人的にも注目している、高橋氏の山梨におけるコミューン建設記事



それと青井は(おいまた)竹之内温さんの小説ファンなので、今回も並んで掲載していただく光栄! 

色々リンクタグ満載でお届けしております、宣伝です。

でもそもそも破滅派ってなんなわけ? というそもそも派のあなた!どうしよう!

破滅派にとんでいただければ、まず幸いですが、コンテンツもりだくさん。そこで、またかよという批判覚悟で個人的に好きな記事をご紹介します。

破滅派放談「グッドバイにはまだ早い」

かくれ太宰ファン、なるものも存在する昨今、わかりますよ、太宰好きって言ったとたん「あれ」なかんじなわけでしょう。わかりますわかります。私は逃げも隠れもしないファンですが、酒飲みながら太宰について熱く語っちゃうこの放談、しかと読んでいただければ奥深さが伝わるかと。太宰読みの葛藤です。
ちなみに私が好きな太宰作品は!
「畜犬談」-私は犬に就いては自信がある。いつの日か、必ず喰いつかれるであろうという自信である。― 『きりぎりす』新潮文庫収録 
「饗応夫人」来客におびえつつ泣きながらもひたすらもてなす夫人のおはなし。『女生徒』角川文庫収録

「人間失格」の印象は強烈、あと作家性とか文体がとか、いろいろいろあるでしょう。しかしあの新鮮さ!ウェットなウィット!何度も裏切られ感をもちつつ結局ずっと好きは好き。

と!破滅派宣伝が太宰宣伝になりそうなのでやめますが、この放談での両先生のような引用応戦、記憶機能を修理しないと私は参戦できないなぁと思いつつ、とっても面白いので読んでみてください。後半にいけばいくほど、感涙です。破滅派のなんたるかもわかるかも。

破滅派はわかった、じゃあそもそも文学フリマってなんなわけ? という、そもそもラディカル派のあなた!どうしよう!

これ、現行の文フリ運営のなかでどう変質し、進展してるのか検証していないのですが、とりあえず、そもそも、こういうことではじまりました、というのが「不良債権としての『文学』」。
そもそも満足度を高める事ができれば幸いです。

さて、そもそもはこのくらいでいいだろう、破滅派7号、よろしくお願い申し上げます。

宣伝なのに、長い。

追記:コメントに書くとリンク張れないんですね。
   おんなじこと繰り返して限りなくあほっぽい。

この論文も面白いです。破滅派。
「「葉桜と魔笛」論」花藤義和
破滅派宣伝すると太宰を宣伝することになる。
ダブルスタンダードならぬ、ダブルオセオセ!

追記追記:今現在の文学フリマの理念はこちらです。
     あわせて提示したほうが良いかな、と思ったのでリンクをば。     

2010年11月24日水曜日

こびこびめるめる、17歳よ永遠に。



メルボルンに行っていました。ちょっと都合で。プライベート流出させたりするくせにメンドクサイとこのもの言い。
しかも美しい教会やお花の写真も沢山とったのに、このあんましかわいくないコアラをのせちゃうの。
突然ですがみなさん、コアラは媚びています。
爪鋭いです。きっと凶暴です。

どれくらい媚びているかを語ろうと思ったのだけれど書く前から論理崩壊している。ああ。

以前オーストラリアに行ったとき、私は17歳でした。
そんな旅行とか行きたくないし、それどころじゃないし、コアラとか超むかつくという女子高生であった。ような気がする。

でもシドニーのダウンタウン一人で歩いてそれなりに楽しく、ゲイカルチャーにはじめて触れたのもダウンタウンだった。ような気がする。

あんまし覚えてないのです、オーストラリアってつかみどころのない国だという記憶で。

ただ、どっかの動物園でコアラを抱っこして写真とったのは覚えているのでした。
コアラのぬいぐるみの上にコアラをのせて、私はコアラのぬいぐるみを抱く事で、結果的にコアラを抱いてますよ、という写真になるらしかった。意味がわからんくて。できた写真も二層式のコアラを持ってるかんじ、だったような気がする。ほんと意味がわからんくて。

ぐだぐだなコアラのぬいぐるみの上に横たわり、ぬいぐるみと同じくらい動かないコアラを持った私は微笑んで、なんだこいつ媚びてるのか、と思った。いや媚びてない、媚びるなどという人間的感情操作などできるはずがない、30秒くらいの間に私の脳内会議は破綻しました。

ぬいぐるみオン本体。そのように大切に扱われる動物に対して、嫉妬を感じていたのだろうか。
コアラの取り扱いは州で違うんだって。だから直接抱っこオッケイのところもあるんだって。
どっちでもいいわ!
なんやねん、コアラってなんやねん!と怒っていた17歳であった。ような気がする。

今回は野性のコアラとかいうのがすごい高い木の上にいるのを眺めたい人のために手配はしたけど。

やはりコアラに対する気持ちの整理はつかない。17歳のときのような怒りはないけれど、かわいい!ラブ!とは思えず、栄養の少ないユーカリだけを食べては寝、おなかがすいて起きたらまたユーカリ食べちゃって、でも力がでないから一日20時間くらい寝ちゃうことを運命づけられた生き物に対する気持ちの整理はつかないのだった。

たぶん媚びてないし、力でないだけでコアラに罪はないのであろう。でもなんだか複雑な気分になるのです。
じっさい減ってるわけで、そいで守られてて、減らした人たちに守られるという希少動物のせつなさとか、そういうのんもあるけれど、かわいいのかかわいくないのか、わかんないっていう単純な話かも。



しかしメルボルンまでわざわざ行って、コアラに対する気持ちを再確認していたわけではなく、このように美しい日暮れを海岸から見ていました。

ビーチ沿いのレストランで、窓の向こうが染まってく。
向かいのテーブルにいた子が逆光で見えなくなった。
「うわーきれい、なぁなぁ私、こんな空見るためにほぼ、生きてるって思うんだけど」
と、いろんな人に100回くらい繰り返している事を言う。はいはい、というリアクションなので一人で砂浜に行き、写真を撮った。
スキンヘッドの「自称フォトグラファー」のカナダ人にサイトアドレスを教えてもらったり写真撮ってもらったりしていろいろ話したので、同じことを言ってみた。

もちろん!そのために生きている!

ものすごい満面の笑みをかえされた。

ああもしかしたら、媚びているのはコアラではなく私なのかも。
私の中の17歳なのかも。

どれくらい17歳かっていうと、これくらい。







久保ミツロウ『モテキ』のドラマ化放映期間は終わり、テレビがないので観れなかったけれども、「ロックンロールは鳴りやまないっ」がフルコーラス流れた、と聞きました。満島ひかりちゃんが絶叫カラオケするシーンがあったと聞きました。
パソコンの音声が出るようになってやっとニコ動やYOUTUBE観れるようになったのだけど、以前観たこの子たちのいろんな切ない映像は覚えていて、それでもやっぱり、ほろっとしちゃったよ。

コアラに複雑な気持ちを抱き、夕日みては泣き、「神聖かまってちゃん」に感じる私の17歳をゆるして、媚びない方向でちゃんと残しておいてあげたいと思いました。

2010年11月11日木曜日

だめだめだめ、ぜんぜんだめ。

おおっと。久々に再開したと思ったら更新頻度の間が!
ものごとを突発的に充実させるとろくでもないことになっていくというのは、こんにちのロボット以外の習性だということをわかっている一部の方々に、特殊な方面のご心配をおかけしてしまいそうだけれど、大丈夫、ちょびっと酔ってます。これで安心ひと安心。

あのね、大岡昇平『花影』。これさぁ。はなかげ、だと思ってたら、かえい、なんだって。
私いつも、この手の音訓にしてやられます。実は、はなかげ、のほうがいいと思ってるのに。かえい、と口に出しながら、心で、はなかげはなかげ言っておこう。

そんなことはどうでもよく、ある時代のなんらかの女性(なんだよそれ)のことを調べていて見つけたのが、坂本睦子。ウィキだとコレ
別のサイトだとこんなんも
まぁキレイな人だったのだろう。魅力的だったのだろう。でも、この人をモデルにしたとされる『花影』の主人公、葉子は、はっきりいって、まちがっちゃった人です。

読んでいて、まず頭に浮かんだのが、吉野朔美『恋愛的瞬間』の二巻。「秘密と嘘」に出てくる、心理学者にも手に負えない女子学生と文学部教授の、不倫。

「あなたは私のことを文学的感傷で愛している」
「肉体も魅力的だって知っているよ」
「私の不幸を愛している」
「君の不幸を望んだことなんかないよ」
「良心が痛むからよ。あなたは嘘をついていることを忘れているのね」
 自分の不自由さに気づいていない。浮気をすることが、自由だと、思っている。

吉野朔美『恋愛的瞬間』小学館2002

女子学生はまちがっちゃてること知っている。でも葉子は何をまちがっちゃてるのか自分でよくわかってないのです。
まちがっちゃったというのは、沢山の遍歴を重ねたとか、不幸な最後を遂げたとか、そういうんではなく、しかも実際の坂本睦子の話をしているのではありません。
あくまで、小説『花影』の主人公、葉子、のこと。
坂本睦子は知らん人なので。モデルを想定してうんぬんというとき、あなたはその人を知っているのか会ったのかということを問えば、そうではない。なら、登場人物として素直に読もうではないか、どうですか。

直木三十五、菊池寛、小林秀雄、坂口安吾、河上徹太郎、大岡昇平とかとの関係、実際の坂本睦子に関しては色々書かれたものを読めばよい。大岡昇平が嫉妬や感傷や衝動をどう作品に昇華させたのかも、このさい、おいておく。
小説の主人公、葉子がまちがっちゃってるのはね、あのね、この小説の登場人物、高島とか言う人との関係。(この人が誰を想定してるのかももちろん、おいておく)
高島と葉子という女給との関係はいわゆる男女のものではない。肉体関係もなく、葉子が沢山の男に求愛されるさまを高島は全部知っている。それはいい、まあいい。しかし、この高島という男、完全に、葉子のことを読み間違えている。
ほだされやすく男性に愛されやすい葉子に「女給でいるしか道がない」的なことを言うんですよね、こいつは。
高島は骨董品の目利きなんかをしていて一時期はぶりが良かったのだけれど、そういう時期に出会って、葉子の庇護者的存在なのだけれど、この人に人生の指南や信頼を置いていたところが、葉子ちゃんのまちがいだし、おちぶれた高島が葉子への見方を変えないところもまちがい。

あのさ、葉子という女は、実は、もっとも夜の世界に向いていない女なのです。

はっきりしとくためにいうけれど、そのへんで私とおんなじ。
私は今まで二度、いわゆるホステスチックなことをしてみたことがある。一度は大学のレポート書くための一日体験入店。もう一回は民話伝承を収集するために滞在した石垣島での酒場。どっちも銀座だの、新地だのとは違う、特殊な状況だったし、そういうとこではできひんと思った。あの世界で強く生きていける女性の多くは、とっても地に足がついているのです。お金をもうけること、自分の足で立つこと、嘘も方便も自分の責任で引き受けられる事。悲しみを悲しみながら反発できる事。かっこいい女性たちなのです。男を喜ばす、という商売で自分を貶めない、男以上に漢なぶぶんがあるか、すでに10人くらい子供産んでるよ、に等しい気概がなければ、お金と虚栄と擬似恋愛の世界に飲み込まれてしまう。褒めて楽しませて喜ばして欲しい男の人を抱擁しつつ、彼らの自尊心すら守ってあげる、子育てと介護に通じるような感情労働なのです。
私のことを言ったのでついでに断言すれば、私のようなヘタレの泣き笑い顔ではつとまりません。

夜の世界のしろうとが、夜の世界につかる事などめっそうもない。

このへんのことを高島はわかってない。

ふわふわふわふわしていて、身の置きどころがなく、線の細い葉子という女性が、そんなことして壊れないわけがない。寂しがりの甘ったれの葉子が、ちょっと男を喜ばせられるからって、女給でいるべき、などという短絡をするこの男は、本当にしょうもない。葉子は世界においていつも居場所を探しているような、生き人形のような女です。喜ばせるのはわかってほしいから、受け止めて欲しいからなのであって、一人で生きられる女じゃない。そんな女が求愛の真ん中に放り込まれたら、体も心も自分から手放してしまうのだ。その程度のこともわからん審美眼の持ち主高島を信頼し、おちぶれてなお身の回りの世話をしていた葉子。一番慰安されていたのは高島だったのだよ。

不幸、というのはもちろん文学的です。吉野朔美の女子学生はもう少し達観していて、でも自分の不幸に耐えられないから、まるで自分を切り刻むように、文学的ダンディズムのミューズとして不幸を偏愛される関係を、受け入れる。でもかしこい女の子であった。一緒にいるときからその不毛さ、文学者の求める嘘の甘さと身勝手さ(しかもはてしなく前時代的)を、悲しい目で見てる。いつか終わる。もっとも悲惨な終わらせ方をするべきか、何も伝えず静かに終わるのか。彼女自身のある種の文学的不幸と、天秤にかけながら関係性を少しの間継続させている。

これは女子学生が、葉子よりもあとの時代の女の子、だからかも、しれない。根っこの感受性は近しいのかもしれない。しかし、否定の言葉を口にできるだけ、女子学生のほうが強い。女の子が人形ではなく言葉を持った時代において女子学生は時々、教授を言葉によって怒らせる事もできたのだ。葉子はなにも言わない。黙ってなげやりに微笑む。

でも、『花影』の冒頭、これは良かった。

葉子は最初から男のいうことを、聞いていなかったのかもしれない
『花影』大岡昇平 講談社文芸文庫 2006

聞けよ!お前も!しかし面白くなかったんだろうね、言えなかっただけで。

身の回りをきれいに整え、繕いものをし、来客のために美味しい食べ物を用意し、喜ばせることのできた葉子ちゃん。高島とかいう男は気がつかんかったのか。
葉子が向いているのは夜の世界ではなく、誰かに徹底的に愛され、肯定され、守られ守り、生活の微々たるものごとを構築していくために、のどかな微笑を微笑む事。時代が時代だから、それが妻であり母でありということになるのかもしれんけれど、お金を介さない晩酌をかたむけるために笑って、日々の生活の中でその繊細な機転をフル活用し、それを楽しんでくれる男の子のパートナーになることが、葉子ちゃんの幸せなのだと指南すべきだったのだ、アホめが。
繊細さの襞を楽しめるディレッタントさを自分以外の人間に向ける目を持ち合わせていない高島と、ステレオタイプなデレッタント(間違ってないよ、デレッタントだよ)に溺れる男たちの間で、結局葉子は、孤独だったのだ。

男と女の文化の楽しみ方が不公平だった時代、だからかもしれんし、私はフェミニストではないし、葉子ちゃんは男の子を好きだったのに、なんか最後にはなにもかも憎たらしく思っちゃうなんて、さみしい。
かわいく、たのしく、結び合うための、おりこうなやり方、それって男の子の女の子、女の子の男の子にある、という意味で私はフェミとはちがうアプローチをとる。しかし言葉でやりあうとき、その言葉はまだ開発されていないから、日常のありきたりの出来事から発明しているのでございます。

さて、話がぶっとびます。
この『花影』講談社文芸文庫ですが、解説が小谷野敦、です。私はこういう戦う思想家が好きです。中島義道とか。ないってーと思う主張にぶち当たる反面、そうだよな、があり、そうだよな感が強いから。アカデミックな取り繕いをしないので、共感が強烈なのです。
その解説、大岡昇平が芸術院会員を辞退したときのいきさつを結びにしております。

むろんそこには、戦死した兵たちへの鎮魂と贖罪、そして責任をとらない者たちへの怒りが込められていた。青山も白州も小林秀雄も、美の審判者に過ぎず、その怒りを共有する人々ではなかった。政治や社会に目を閉ざし、漠然とした日本的美の世界を描いて読者を幻惑する人たちだった。」前同 解説 小谷野敦

大岡のほかの歴史小説には正直あまり興味がなく、この一人の女性を書いたものからしか彼の創作を知る由もないが、小谷野氏の度胸ある解説から考えるには、もし大岡の姿勢がこのようであるならば、『花影』の主人公、葉子に託して表現したかったものは、一人の女性に対する執着や死に対する感傷(それはぜったいあったと思う)以上に、文学や芸術や美、それにもとづく欲望や名誉、ということどもの間で翻弄される、どうしたってどうにもなんない、すくいきれない人間の生きざま、の話だったのではないでしょうか、どうでしょうか。

と書いていて、はたして私自身モデルと登場人物をどれだけ区別して読んでるのか疑問が出てきちゃった。
だってやっぱり舞姫のモデルが誰だったとか、気になるもんねぇ。
舞姫のヒロインモデル特定に新証拠。誰だよ!と思いつつも。
坂本睦子に関しても、きっともうちょい調べちゃう。

さて、もう一回り飛ばさせていただいて、戦う思想家、内田樹氏。ブックマークに貼ってますがコラムが面白いのに発見しにくいので、改めてご案内しておきます。
内田樹Simple man simple dream 
これ、必読。なんだけどなんだけど、冒頭から逸脱しまくり。自由自在ですな、おい。

2010年11月8日月曜日

物語の物語が物語で。

ごぶさたしておりました。ようやっとネットを繋ぎました。
やはり不便でした。あまりにも情報難民。
電子辞書すら壊れていて、これ、言葉がどうでもよくなってたけど、
だめですね。岩波国語辞典引きながら、物語を書いていた。
仕事をし汗をかき文字を書いてた日々。
どうでもいいわけないだろう。

物語、300枚って言われてたのに420枚までいってしまい、先日お別れしました。
高校一年生の主人公が二年生になって、そこまでしか見守ることができなかった。
さみしいよ。
どうかどうか、笑っていてください。その先の物語を生きてください。

そして200枚までにしようと思っているもう一つ、君は、どうした。
どうしてそんなに、物語を拒否するの。

テレビもネットもない状態で、しかたなし、もとめるがまま私はこの数ヶ月、
物語を漂った。物語について考えたし、物語を書いたし、物語を生きていた。

物語。私たちを分節し、解体し、規制し、説明するもの。
「ほんとうのこと」ではないのかもしれない。
ただ私たちを解説しやすい言葉の地層に、私たち自身が自らを当てはめてしまうだけなのかもしれない。
それでも、物語でしか語れないものがある。
私はこの件に関し、いくつか感動していたのでした。

映画
『悪人』
は皆さんご覧になりましたか。
私は二度、観ました。
大阪の国立国際美術館でやっていた<束芋>に足を運んだのがきっかけでした。
束芋の「断面の世代」という表現がひっかかってしかたなかったのでした。
団塊ジュニアである作者による、「団塊」に対する「断面」。
われわれの時代は、塊にはなれない。面でしかない。連帯も個人主義も貫けないならどうすりゃいいのか。
「団地層」「団段」という集合住宅をモチーフにした映像を見て、激しく揺れました。
個人的なコトを言えば、書いていた物語に「公団」を扱っていた、という事情もあるかもしれない。
いやしかし、そんなことじゃなく、インスタレーションだのアートだの言ってる物事が、こんなにもアクチュアリティを持ちえるのだ、という感動が大きかった。
そんなもん、語れません。
機会があったら、ぜひ多くの人に「参加」してほしい展覧会でした。
暑いさなか、これにまず二度足を運び、原稿は100枚くらいすすめつつ、汗をかきんと冷やされながら見入っていました。
そうして束芋による新聞連載『悪人』の挿絵に感銘をうけ、どんな物語なのだろうと興味を覚え本を読み、どんな映像になるのだろう、と映画を観たわけです。
美術館→書物→映画館、私は心に素直に旅をしました。

ほんらい語りようがないものを、これだけの媒体をつかって語ろうとする行為。物語が語られつくされたように思える現代社会のなかで、それでも物語が派生する以前のなにごとかを、語ること。
歴史は、いま、ここで、なんども出産されている。

「二人とも被害者にはなれないから」『悪人』吉田修一

本を人に貸しているので、例のごとくソースが曖昧ですが、この言葉。
純愛、犯罪、逃避行。
この物語の豊かさは枝葉の広がりを持っているけれども、
私はこの一言を「見たい」がために何度も何度も思い返したのです。

様々な事件、出来事が毎日毎日情報となって届けられる今日にあって「悪い人」はいなくちゃなんない。
実際、殺人者は悪い人です。
疑う余地もないんだろう。生い立ちも環境も関係ないんだろう。
物語る前にわかってしまっているこのコトを題材にしながら、きちんと被害者であるために加害者を探すということ、れっきとした加害者であることを引き受けること、でも誰もが加害者であり被害者でありその加害者であり被害者であり・・・・・・。
本当に悪い事ってなんだろうっていうの、今やんわりと時代が要請しているテーマだと思ってます。
それは別に、物事を複雑系に落としこんで混乱させるためじゃなく、例えば、被害者として怒る事、バカにすんなよ必死に生きてきたんだ、と言う事のためにだって。そういうシンプルな戦いのためにだって。あるいは、俺はやっぱり悪い人なんだと、ひれふすためにだって。

善悪の彼岸は、わからない。でもいつまでも、わからないわからない言ってはいられない。
じゃ、どう向き合えばいいんだろう。難しいよ、やっぱわかんないよ。
でも美術と小説と映画を享受しながら、私は同時に、現実を、私という物語に登場してくれた人の言葉を思い返していたのでした。
善悪の彼岸について語り合った時、大切な友人と交わした言葉。いや友人がくれた言葉だよな。
プライベート流出、やくそくどおり「いつか」は使わせてもらったよ。

「君は間違ってないよ。世の中も間違ってないよ。
 人と人、人と社会がどうしても相容れないとき
 相対的にどちらかが善悪を当てはめられているだけだと思うよ。
 極論だけどね。
 合ってるとか間違ってるとかじゃなくて、どうしようもないこと沢山あるよね。
 社会的成否で世界はバランスをとってて、個人もそうだと思うよ。
 あんまり思い詰めないで。
 君は存在からして間違いじゃないから。
 ただバランスをとるのが苦手なだけだよ。
 おやすみ。」

読書をまったくしない、もうそろそろ10年来になるこの友達は、いつも「極論」を言う。
でもこれって極論か? 私は彼の言葉をときどき、直感的に「本物」だ、と思う。正しいか間違ってるかじゃない。彼という実人生の物語が生み出した本物なんだって思うのです。
しょっちゅう何事かを思いつめてる私ごときがこの時いったい何を思いつめてたなんてことはどうでもいい。じっさい忘れちゃったし。
でも、この言葉は忘れない、と思いました。そして、別の物語とめぐり合ったとき鮮やかに蘇ったのです。
記憶力のない、というかそもそも記憶という機能が壊れてませんかという私をして、諳んじられるほど繰り返した言葉の羅列。それだけのことなのに、それだけのことがこんなにも。本当にありがとう。

映画『悪人』は一度目を一人で、二度目を人と一緒に行きました。
一緒に見た人が
「素直な見方をすれば、誰も救われない物語、だよね。なのになんでか暗い気持ちにならない」と。
そう、なぜだか少し元気になる。きみょうに、やってやらなくちゃってなる。
80年代、90年代、ゼロ年代、もう随分前から、私たちは「戦う対象を喪失した」のだと言われてきた。
シュミット的に「政治なるもの」が、敵と友の峻別なのだとしたら、政治的なものなんてもうとっくに崩壊しちゃってるよ、なんだかなぁだよってなっちゃう。
そして「塊」になれない、「面」だけを漂う私たちの孤独の、なんとも言えない砂っぽさ。

でもさ、それももう古くない?
うちら、そんな醒めた視線で余裕こいてなんてられなくない?
くやしい、さみしい、やるせない、でも、頑張るんだって、ちょっと暑苦しいものがふつふつ湧いてこない?

これが何年代の感覚か、なんて知らんよ。わからないです。
でも<束芋>の世界にも、『悪人』の映画にも、不思議な懐かしさを感じました。
知らない時代、という懐かしさ。
あれら表現の、物語の、怒りと優しさと暑苦しさとうっとおしさと、むかつくけど頑張ろかいなの感覚。
これ、たぶん新しい時代の古さ、なんだと私、感動しました。

 

2010年5月9日日曜日

みさかいもなく立っているっちゃ!

EXPO'70 パビリオン
に行って来ました。ずっと行こうと思ってて、GWで終わっちゃうと思って慌てたらまだまだやってるみたいですね!



独立行政法人なので、助成金、つまり税金がどういうことになっているのかは考えなきゃいけませんが、入場料200円で期待以上の展示内容でした。公園自体も沢山の人がフリマやお子さん連れのピクニックなど楽しんでいて、有効に活用されてる様子です。公園の入場料は250円。管理団体の行政法人が今後どうなるのか、独立採算ベースはどうなっているのかなぁ。一般に還元されないものに投入するくらいなら、ここはみんな楽しんでいるし、広くていい場所だから開放し続けて欲しいです。有効な税金の使い方ってもう、他人事じゃないですよね。
一方では文化事業費削減など、美術館・博物館・文化施設は相当厳しい状況に置かれてますが、そのぶん企画力や展示工夫、キュレーターイズムが発揮できるという意味では良いかもしれません。権威にたよってきた美術館が、パフォーマンスではなく内外から変革を求められて、タブローのすでに評価されてるものにおんぶにだっこ、ではなく、「価値を発見する」っていうありかたに変わっていたら、「巨匠の絵画展」という退屈さをぶちこわしていけるんではないでしょうか。

なぞ偉そうな事いってますが、十年以上にわたる古着マニアの私にとって、パビリオンのおねえさんの衣装はいちいち涎ものでした。ニューエイジ、ていうかそもそもマネキン自体がツィギー体型・・・・・・ドキッ。キャッツアイかルパン三世になって、まるごとかっさらいたいと思いました。保存状態良すぎっちゅうの。
他にも当時のポスターや、模型など盛りだくさんでナイスでしたよ。おすすめです!

久々の万博記念公園。カマンベールとルッコラと生ハムのサンドイッチなどつくり、天気の良い昼間、「ボトルから直接飲む」白ワイン。最高です。安いシャルドネ? まったく満足。ノーボディノープロブレムです。



そんな私を見下ろす太陽の塔。
怖すぎ。

パワースポットとか最近よく特集されてますけれども、私、この太陽の塔周辺、万博記念公園全体、いや、こいつが目に入るエリアすべてが、なんらかのパワースポットだと思ってます。ぜんぜんスピリチャルではなく、もっとモノリス的な威圧異物感ですかね。岡本太郎は縄文好きでもシンパシーを感じるし、色彩感覚や立体のゆがめ方など色々面白いですが、このでかい太陽の塔というのは、もうパブリックアートの範囲を超えて、呪いのようなものを感じます。

何度か万博記念公園には足を運んできましたが、そのたび、結界の中に足を踏み入れるような身震いする感覚を味わいます。なんなんだろう。なんか変でしょ、これ。でもずーっと40年も立ってるの。それ受け入れてるわれわれもなんか変ではないか。本当は取り除くべき異物なのかも知れないのに、もうそんなこと思えないくらい洗脳されてるのかも知れん。何に?それがわからんのだよ! という圧倒的存在感。

内部には三葉虫とか色々またあるらしく、今度内覧出来る際は絶対逃さないぞ。
でも私昔から、太古の深海生物に襲われる夢を良く見ているので、ちょっと怖いけど。

☆いろいろ楽しい事もしつつ気が付けば五月もずいぶん足突っ込んじゃったなぁ。
毎年暖かくなると冬の乾燥でヤラレタ肌の徹底手入れ月間を導入するのですが、今年は四月も寒かったので、連休あたりから取り組んでます。ボディ用の化粧水は沢山使うんでコストパフォーマンスを気にしちゃいますが、300mlで700円くらいの、尿素とグリセリン配合のものをテスト使用してみたら良い感じなので、たっぷり使ってます。小さな湿疹あととか消えてきたし、何よりさわり心地がいい。自分で肌をさすりまくる、自家中毒者のようなことになってます。不気味です。
しっかり手入れして、仕事も挑む姿勢じゃないと楽しくないもんね!って、すごい前向きに言ってみたりする。

2010年4月26日月曜日

この葉、のおくりもの。

以前働いていた仕事先で、美術評論ぽい文章、を書く際に、上司から提示された要求が「これまでその絵なり立体なり音楽なり映像なり、に、触れたことのない人に伝える文章を」という事だった。

私は人に物事を説明するのがとても上手くいく時と、いかない時の差がはげしくて、プライベートな事にせよ、一般的な事象にせよ、強く思いこんでいなければ何も語れない、とどこかで思っていた。だから「今このこと」が嵐のようなときには語れずに、三年位してやっと、いったいそれが何だったのかを語るときがあります。でもそれはきっと、「あの時」の「ほんとう」からはかけ離れてしまっていて、人生の中での「あのとき」をなんとか着地させるためにみだりに言葉を費やしている感じがして、だから私はいつもどこかで嘘をついているなぁ、と、とてもとてもおこがましいけれど諦観のようなものがチクリと刺さっていた。同時に「ほんとう」というものがいったいどう「ほんとう」なんだろう、と考えたりもしていた。

言葉っていうのは、美しく、厄介で、怖くて、どこか言葉で語ること、説明する事に、懐疑とか限界を感じ、言葉では語れないものがあると痛感し、だから説明ではない表現を求めている部分がある、ように思う。表現が説明ではない事、ましてや説得やオルグなどでは決してありえない事は、確かであり、だから豊かなんだとも思う。

でも、「触れたことのない人に伝える文章」といったふうに具体的に提示された時、私は自分がとても好きな美術作品の事をいくつか書いていて、私がそれを「好き」ということはずっと奥のほうに、底に漂っているけれども、やはりそれはその作品を見たことのない人、もっと言えば、見たことがあるにせよ少なくとも私ではないことは確かな誰か、を、誰かが具体的ではないままに、想定し、想像し、限界はあるけれどその誰かの心の想像力に少しでも触れるように、と試行錯誤して言葉を紡いだ。
それが良い文章だったのかは私が決めることではないし、その作品に興味を抱いてくれたのだったら本当に良かったし、何よりも、他者を想定して書くというやり方の難しさや必要性を教わった気がしている。
だから、そんな提示をしてくれた上司には、今でも感謝している。

今は沢山沢山、レビューや書評や感想があって、自分が直接触れることのできる限界を超えているけれども、そんな風に他者を想定して書かれたものに出会うと、何だか暖かく感じる。
私は自分があまり評論に向いていないな、と思う。だから評論というやり方でそういう文章を書くことはやめてしまったけれど、それでも私がこんな風に書いている、小さなブログ一つにしても、誰かに、何かを、言葉なのだけれども言葉以上の何かを、投げかけたり感じさせたりしているかもしれない。想像、というものはすることもされることも、本来とても優しくて、暖かいものだと思う。
それはものすごく特別な事でも稀有な事でも個性的なことでもなく、なにか人を感心させる価値があることでもなく、というかそれを決めるのは自分ではない、と繰り返してしまう。
何年か、書く言葉ではなく会話を重視して繰り返し繰り返し、しつこく語り合ってきて、伝わったり伝わらなかったり、それは宝箱のような時間だった。その全て、と言うのは欺瞞かも知れないけれど、やはりとても愛している。言葉を感覚と時間の流れに放り込んで、目の前にいる人達と沢山、その空気ごとを味わうような時間だったから。

その時間の中で書いてきた日記、ネット上で限られた友人や繋がりのある人に公開していた日記と、ノートに書きなぐっていた日記を読み返していると、「学び」という部分で論理的であろうとする分、奔放に無秩序に、感覚だけを享受し言葉を紡いでいたのだな、と改めて思った。私は自己批判的な性格が根っこで強いのだけれど、それは同時にナルシスティックでもあり、自己陶酔的でもあるということだ。そんなものだけの発露。それに対する醒めた自分の目、突っ込みを入れるもう一人の他人がいつも自分の中にいる、という。

そんな感覚と、上司から提示された種類の文章のありかた、そういう様々なことを思い返したり、「いまこの時」をそれによって照射したりしてみると、やはり私は書く言葉を、選ぼうとしたにもかかわらず、どこかで放棄していたように思う。
小説や創作はニュアンスの積み重ねでもあるけれど、論理の構築でもあって、言葉との蜜月的な関係を甘く甘く味わうだけではいられない。何より人に伝えようとすれば、自分を掘ってしまえば、すごく辛くなったりする。でもそれを「辛いですよ」と感覚的に言うことが、つまり、放棄のひとつなんだ、と思う。そんなのやっぱり、無責任だ。私は無責任だからしょうがない、といってみたところで、それでいい、ということじゃない。

今こういうふうに始めたブログは、…これは言うべき事じゃないのかもしれないけれど、すごく迷ったけれども、読んでくれている人に誠実でありたかったので、書くことにしました。
実は一人の人に向けて、伝えたかった、というのが一番最初の動機でした。
語っても語っても、どれだけ時間を共有しても、それでも伝えられなくて、他に方法を考え付かなかった。でも、それをこんな風な形で他の方たちにも読んでもらったり、それまで知らなかった方からメールを頂いたりするようなやり方でしてしまうことは、なんだか違うような気がしていました。

色々なことがある現実の生活と沿うような感じでずっと考えながらいて、やはり、違うな、と思います。その「違う」の半分くらいは、個人的な「伝えたい気持ち」を動機にしている、という事だけれども、それ以上に重要な「違う」はそれでもとった方法である、言葉を紡ぐ、という事に対する真摯さをどこかで放棄していた、という事です。

私は、言葉というものを愛しています。それによって喜んだり悲しんだり、妄想したり誤解したり、とても厄介なツールだけれども、言葉が、あんな小さな文字の組み合わせなのにも関わらず、うんしょ、と付随する物事を背負って現れてくれて、それによって救われてきたことも沢山あったのだから。だからたった一言の「言う」も「書く」も、大事にしたいと思いました。そしてたった一人に向けて始めたのだとしても、広がっていく他の人に対する繋がりや感謝を、放棄しちゃいけないと。

私の生きる速度にスピード感がないということ、だから自分の押したタイマーに追いつくために沢山言葉を無駄にしてしまう癖、日常の楽しい事や具体的な情報を提示するんではなく、観念的な事を取りとめもなくつらねてしまう癖、というのはある。あるし、それはブログ、という形態には向いていないかもしれないと思う。

それは正直わからないです。でもやってみて、違うと思う部分がある限り、変えていったりしようと思うし、変わっていくのだと思う。放棄した変わり方に関しては、もうしたくないと思う。

ネットという媒体に関わり始めたとき、それまでみんながリアルな場面で語り合わないような類の事を語り合い始めていて、これで少し楽になったり風が通ったりするんだろうな、と直感的に思った。それから随分時間が経って、中傷や攻撃や依存という弊害を経て、木の枝の先が細かく細かく広がっていく媒体へと成長した今、その先でぽそりとひらいた葉に感謝したいと思う。そうして、私もその小さな葉の一つとして、社会、というようなものと関わっているのだという感覚にも。少しずつ、変わっていく時代の真ん中にいるんだという実感、色々な分野の表現方法も変わり始めている。それらにどう向き合うか、やはり楽しんでいきたいと思う。変わる方向は様々だけれど、出来うる限り真摯でいたい。押し流されるのではなく。

このツールを使っていることで、少し前から、本来だったら再会できなかったかも知れない友達に沢山、また会うことが出来た。皆それぞれに葉を持っていて、お母さんになっていたりしている人もいて、日々の生活の、子育てのいっかん、そういったものに触れられて、とても感謝しています。

2010年4月22日木曜日

昆虫ロック 春バカ! 

先月のことなんで、それから会った人達とはぽつぽつ会話にのぼっていたんだけど
解散しちゃったよー、ゆらゆら帝国。

そいで大好きなアルバム「3×3×3」を聞きながら、それはまったく全部の曲が好きで、一言一言嗚咽まで好きで、好きすぎて涙が出てきた。
ああ何回しかこれまでライブ行けてなかったんだなーきっとこれからそれぞれ別の活動をして、それにふれることは出来るんだろけども、あのメンバーでの生の演奏はもう聞けへんのかなーと思ったら涙が出てきたぞ、くそー!
きのう電話で話してた友達ともいつか一緒にライブ行きたかったのに、いつか、なんてぬるいこと言ってたからくやしーやんか、もうそのいつかがないのかしらと思ったら涙が出てきたぞ。
つーか話す事が多すぎてゆら帝解散のこと言おう言おうと思いつつ言ってなくて、彼女もゆら帝めちゃ好きだから当然思ってるだろうし、今度会ったら言うんだろうな、でも私が言う言わないに関わらず、そんなことどうでもいいくらい、もう一緒に行けないんか。泣き。

ゆら帝ではないけど好きなこと、また別な事を交換してけばいいんだそうだそうだ、と納得させてみる。
させてみるがやはり、いいバンドだったよ、ゆらゆら帝国。一緒に生を聞きに行きたかったよ。

こうして春は泣き、泣きの春であるのだった!

なんですか情緒ですか思春期ですか、それとも脳内のアレですか。なんでもいいよう、そんなこと。

冬が苦手で、蓑虫状にぎゅっとなってるから、春になったら毎年そうなんで、毎年の春に毎年の反応をしてるだけで、これって私のいいかんじ。いいかんじ?
いいかんじかどうかわかんないけど普通の私。でもなんだかいつもとちょっと違う、似てるけれどもちょっと違う。

大学卒業後の3年、今年が4年目か。その間気が付かぬともちょびっとずつ削れていってて、なんとなくやばい感じ、だめな感じ、とうすうす思ってもだましだましの5年間がぶわっとふきだしてくるような涙でもあり、それ凝縮しちゃった二年間に気が付いちゃった。大学時代の宝である友たち、同居人、それら周囲の人の変化と不変化、自分の変化と不変化。でもあきらかに個々のことであり、私としては忘れていた大事なことに気が付いたのだった。これって大事なことで、でも大事なことに気が付くってことは、なんか別の大事なこととのさよならでもあって、心の奥のほうにしまってさようなら、大事なことはふえていく、一回大事になったもんはずっと大事だけど、それでもさようならはあるんだな。とか、今言葉にするのはこれで限界。

大学時代に日記をあのような恥ずかしい形で書いていて良かった、えらいぞ過去の自分。記憶は塗り替えて記憶されていく、記録は残っていて嘘も本気も、誰書いたのこれ、なんだけれども多分私が書いたわけで、おーいと過去の自分に手を振ってみる。考えてた考えてた寝てた怒ってた笑ってた泣いてた食べてた読んでた踊ってた。こうして思い出は今の私をがっと睨み、今の私の思い出として何べんも生まれ変わる。本物も偽者も虚構も思い出は、他者のように問い詰めてくる。ああ私間違ってました。でもおかげで気がつけたんです、ありがとう。ありがとうね!

悲しいとか苦しいとかうれしいとかやったぜとか、そんな一つの言葉で現れないものが液体になって流れ出す、それを涙という。

春の馬鹿はこうして私を突き落とす。いいもんも、さみしいもんも、ずるずると引きずって。

昨日天気が良くて、ちゃりんこ置き場に行ったら、一階の角部屋の庭が見えた。そこのお庭は三階の私んちから見下ろしてもいつも綺麗にしてあって、いいなーいい庭だーと時々見下ろしてたんだけど、ちゃりんこの鍵ガチャガチャしてふと目を上げたら、庭の角に植えられたチューリップが目に飛び込んできた。
ピンクとか黄色とか赤とか白とかのぷくっとしたチューリップが、咲きかけてたり咲ききろうとしたり、速度はばらばらなんだけど、住人さんが丁寧につんだんだろう煉瓦の花壇のなかで、伸びて、咲いて、とやっていた。それ見たら、なんかなんかもう、すっごいうれしくなって、いやうれしいのかな、わかんないけどなんか、どわっと暖かいもんがあふれてきて、涙が涙が涙が涙が止まらんくなった。

ここに引っ越してきたとき、同じ階の人とか、下の階の人とかに栗とかサツマイモを配りながら挨拶し、人の集まりで騒音出たらごめんなさいとか、きちんと前もって挨拶したけど怒られる時には怒られたりしてきてて、でもその一階の角の人はそのずっと後に引っ越してらしたので、面識はなかった。去年の暖かい頃だったか、「庭で流しそうめんパーティーをするのでにぎやかになってしまったらごめんなさい」という、丁寧かつ可愛いカードが郵便受けに入ってて、確かに朝から竹を割ったりしてらして、それで長い滑り台みたいの、高低差つけてつくってらして、楽しそうな声がしてた。
玄関にシーサーを飾ってるのがうちとかぶってて、郵便受け通るとき、覗くわけじゃないんだけど、や覗いてるんかこれ、窓の内側にお誕生日会に使う折り紙の輪っかみたいなのが見えてたり、キッチンの窓に小さい植木、東南アジアの雑貨がちらりと見えて、どんな人が住んでるのかなーお子さんいるみたいだなーとか思ってた。

そんな知らない人の家の庭に咲いてるチューリップによって、なんかすごくすごく、知らないご家族だけれど幸せであってほしいな、みたいな、余計なお世話、みたいな、気持ちにさせられて、なんか花とゆーものが美しくあるという当たり前の、みんな知ってるわそんなこと、なんだけど、すごくすごく溢れてきたんだよ。

そいで涙がとまらんくて、自転車乗りながらあのピンクとか赤とか黄色とか白とかの色彩がずっと泳いでて、
でも涙で良く見えないや、あはは、とか完全に気持ち悪い人になりながら、自転車こいで、公園つっきって、
サッカーしてる子供達にぶつからんように気をつけながら、でもばれてる、ガキに泣いてるのばれてる、むかつくわーと思いながら自転車こいで、目的地と逆に走ってることにようやく気が付いて、進路を変えた。

進路を変えることはできたけど、どこに進んでいくのかなーまた間違えちゃったりするのかな、やだなー怖いなーと思いながらそれでも進んでいるうちに、ちょびっと涙が渇いてきた。

みなさん知ってますか、春は、こいつは、馬鹿です。でもそれ以上に、私は馬鹿です。あはは。

2010年4月16日金曜日

配分。時、つまり人、モノ、事。

生卵に、かつおと昆布でとっただしを混ぜながら

ほうれん草のゴマヨゴシ
若竹煮
動物性たんぱく質のおかずがないから
桜海老のだし巻きを加えよう
同居人のお弁当をつくる時間なんだな今はと思った

私はイメージする
イメージっていうわがままな思い込み、をイメージする

30分後の自分がイメージできた

おやじの誕生日に送りつけるモノのセレクト
を、する時間

出すべきかどうか迷う手紙を書く
を、迷う時間

大好きな友達の恋の行方を想像する
を、勝手だなと自戒する時間

遠方の友からの着信履歴に答えよう
と、ソファに座る時間

風邪引きやすい人に会う時にタイの蜂蜜持ってくか
と、食器棚を開け閉めする時間

30分ごとに時間を配る
を、イメージしていたら

だし巻き卵の形がちょい、くずれちゃったけど
完璧なだし巻き卵を求める完璧主義は、くじけちゃったけど

まぁなんとか、時間は区切れた

私はトロい上に身勝手なのだから、誰かをイメージして
思い込みのわがままなりに、自分以外のモノコトを
配分してく

ってのは30分後の自分との戦いでもあるわけで

私はとりあえず今の私の味方になって
そいで過去の自分を裏切っていくわけだけど
それはせんないはなしだけど

カタツムリなので、切れ端のない蚊取り線香なので
全部を混ぜてしまうと焼けない卵なので
とりあえず戦って

そしたらお風呂に入って
リッチな発汗バスソルトのすーとするレモングラスの香りに沈静してもらい
戦った自分と和解して
裏切った自分をよくよくなだめて
三人、中むつまじく大好きな漫画を読もう

明日のためのストレッチ、死体のポーズ
区切った時間と自分の時間を分離させ

その繰り返しで配分は洗練されていくのかも

とか思いながらふと見ると
私が床にこぼした「水とりぞうさん」の
ぬるっとした水を
同居人が拭いている

ああ時間を区切る前に、やることあったの忘れていた

私も同じように区切られるために使われているのかもしれないけど

そういうのって、別に
しあわせちっく

かんしゃちっく

2010年4月6日火曜日

ミス・シリアス・ミス

何だか微熱におかされているような、あちこちがむずがゆいような眠れぬ夜が、夢に逃げられないようなぞわぞわとした夜が、やってきたなぁと思えばカレンダーの数字が、近眼以上の意味でぼやけていた。四月になっている、二ヶ月もたっている。

なにもなかったかと言えばいろいろあって、生きてるからある程度のことはあった!
ネットにつながない/繋げないという時期はたまにあるのだけれど、以前はあまりにサーバー不調が多く「ひかり」に変えたにもかかわらず、ときどき不調。でもこの二ヶ月はべつの物理的問題。

実家と京都を往復すること数限りなく、葬儀後における様々な処理で帰省、仕事があるので帰京、また帰省を繰り返す日々に、時々ネットを、特にメールを開くの怖い。
仕事関係は携帯なので必要にも迫られず、三回くらい見てみてみると、1200通とか、もう怖い。
スパムの間に大事な用件が隠れており、以前はエロ系のスパムもタイトルがおもろいとか、この短い件名欄に書くため必死で考えたんだろうとか余裕こいてにんまり、のち削除だったけどもうめんどくさい!

で、いろいろあったことは手書きの日記のほうにはメモってあるのだけれど、いくつかここに書きませう。

☆完結
 WEB破滅派のほうで連載していたのが完結しました。一個前の号です。
 『喫茶エリザベート』最終回 青井橘
 なんかもう、確かに大団円。かもしれません。
 ちょっとの間に破滅派法人化へ、雑誌のほうも六号へ。活気づいてます。
 六号にも掲載していただきたいけれど今書いてるの長いので、どうか検討中です。20枚のを新たに書くか。脳みそがどうか。とにかく編集の方、ありがとうございます!感謝です。

☆実の家と書いて実家。
 そう実家なのだった。盆暮れ正月法事その他、実家に帰るということを二十歳過ぎてしばらく「なし」にして生きてきたけれども、もういい加減、そういうの、やめよ、と。せっせと帰って手伝いをした。しかし葬儀の後のだだっ広い古い家に祖父が一人、父母はそこで同居を始めた。結局私の「実家」は空っぽになったのだった。帰ることの悲しさとか寂しさが和らいだとたん、「私の実家」は誰も住まない家になった。妙なかんじ。あの階段を誰かがのぼるときの軋みも、和室にこもった防虫剤の匂いも、結局一度も聞きも嗅ぎもせず、祖父の家という統合された「母の実家」で私は主に料理をしていた。母は自らの「実家」で暮らし始めたことで、祖母の不在を痛切に感じると「いたはずのひとがいないんだわね」ということを私に言う。なぜか私にばかり言う。
私は物置部屋や屋根裏で、祖母の古いネックレスやブローチを見つけ、勝手に「形見分け」として貰った。
形を見る、と書いて形見。いったいなんの「かたち」を見ることが出来るのだろうと少しわけがわからなくなり、「いたはずのひと」という言葉に跳ね返って、「いる」ということはどういうことなのかと思いながら大根を煮込んでいた。出汁の匂い。いるような、いないような。
「母の実家」は私が幼い頃預けられた場所であるのだけれどやはり実家ではなく、その他預けられていた様々な場所も実家ではなく、不在の空気にぼんやりとかすんだ場所に居場所がないのだとしても悲しくはない。なぜ実家は悲しいのかということについて、私は父や母に話さない。実家に帰ってほっとする、ということがなく、会話に含ませない物事があるのだとしても、いいと思うようになった。ので、帰ることも出来るのだろう。しかし忙しすぎて行きたいところにも行けず、友達にも会えず。今度はもすこしゆっくり「帰ろう」。

☆横、縦、斜め。
そんな感じで慌しく、疲れが溜まったのかなんなのか、悪質の風邪に見舞われた。確定申告関係のよもやまを処理しているときにかるい吐き気。「現実」のぎっしりつまった書類に関する潜在意識の拒絶とかいう変な論文のタイトルみたいなことが浮かんだが、まぁ税金、払ってるからね。しょうがないね。
翌日遠方(奈良)の仕事に向かう途中、目の前を無数の蝶々が飛び回るかのめまい、もう出るもんないよという激しい吐き気で、トイレへ駆け込む。時間という概念が吹っ飛び、電話の音も判断できない。これ、やばい方面だなぁと座り込む。仕事先にいけないかもしれんという初の試練。その仕事ではお世話になってるエージェントさんがいるわけで、責任問題が私個人ではなくなるので、ていうか個人依頼でも責任はついて回るのだが、この業界の信頼関係とか仕事先の構築にどれほど苦心されてるかを考えれば、申し訳なさ過ぎる。なんとかたどり着き、顔色の悪さを笑ってごまかし、やってるうちに体温が戻ってくる。体が自分のもとに戻ってくる。体調管理も含めて仕事であり、プロであるわけで、「プロ意識をお持ちですね」と言われればうれしく、私だって褒められて育ってきたのだ。プロとか、そう言えばかっこいいが、趣味ではなく仕事である厳しさが身にしみた。
ま、そういう苦労話はあれだけれども吐き気というのは、ほんとうにほんとうに、容赦ないのね。ゲリラ的かつ他人行儀。結局ウィルス性だったらしい。同居人は上からも下からも。斜めからも。
私は下や斜めはなかったが、あの座り込んだ四角い駅のトイレのあちこちは、縦が斜めに、斜めが横に。 

☆KIKOE、ない。
で、よくよく医者に聞いてみると、ウイルスがリンパから髄膜に「いきそう」だった、と。
で、よく思い返せば左耳があんまり聞こえなかった。目と耳に関しては弱点であり、これまでにも耳が聞こえないことは何度かあって、一度は仕事による肩甲骨の酷使で首の筋肉がおかしくなったとき、もう一度は耳の奥と耳かきに関する執着が度を越し、ようするにずぼずぼやりすぎて綿棒が禁止区域に突入したのだった。
今回のやんわりとした聞こえなさぶり、もその綿棒ずぼずぼかな、と思って耳鼻科で貰った薬をつけていたのだが、おさまってから発覚したのだった。いきそうだった、と。

なんやかんやで耳が不調になると音楽のことを思うのだが、今度は少し前に見た映画を思った。
『KIKOE』
大友良英の音楽活動に関するドキュメンタリーで、京都シネマでやっているのを友達と観にいった。
この映画で思い出す物事はいくつかあって、
一つは、山奥でぱちぱちと火を起こす横で語る声。音楽に関する映画なのだけれど火の燃える音がとても音楽的で、同様に舞踏家が体を動かすときにこすれる音、骨の軋みも音楽的だった事。
もう一つは、いわゆる前衛音楽の爆音を「インテリの下痢」と言ったのはヤン・シュヴァンクマイエルだったっけ?という疑問。
ものすごく沢山の人が出てくるので、誰が何を言ったかわからんくなったけど、この「インテリの下痢」という言葉が奇妙に残っているのだった。インテリ、というカタカナの単語はとても間が抜けていて、字ずらの絵的にも、カーブが同方向でつるっとしている。インテリジェンスと濁音を混ぜればまた違うのだけど、そういう言い方は古ぼけたオッサンくらいしかいまどきしないし。で、そのつるっとしていて間が抜けていて何者なのかよくわからない存在のものが、下痢をする、ということが何だか面白かったのだ。あんころ餅みたいな白くて中に何が入っているのかわからない存在が騒々しいものをひりだしている情景を想像してみた。不快さ、なのだろうけれど。
でも阿部薫のように時々痛くチャーミングな騒音もあり、結局のところ問題なのは、下痢をしてまで後にある沈黙、そのためにわざわざ爆音を流すというという作法が上手く機能するかどうなのではないの。語りかけることも答えることもない、コミュニケーション不可能な爆音時間の後の沈黙。人前で下痢をした本人のみがすっきりするような爆音ではなく、その沈黙を共有できるような時間があるのだったら、きっとそれのほうが音楽で、つまりは沈黙という音楽を求めるワザなのだと、爆音の下痢に関して思う。
で、それを言ったのはヤンなのか? 別に誰が言ってもいいんだけど、気になるのは、私がヤンを好きだからなんだけど。

もう一つは、なんらかのイベントらしきものの会場で、なにもしない男性が、来た客に「何を見に来たのだ?」と攻め立てる場面。しーんとしているし、その人なんか怒ってるというかきつい口調で、客はたじろいでいるように見えた。これは音楽でも映画でもドラマでもお笑いでも絵でも本でも、なんでもかんでも、何かが欲しいと表現を欲望する、待っている受け手に対するアンチなのか、と思った。例えば肉体労働のような読書、というか良くも悪くも自分の人生にコードをつなげることが、いいのか悪いのか、快楽なのか苦痛なのかなんて簡単にはいえないけど、私自身の中にある欲しがりさ、流れるような受け取りの楽さと、情報の多さのことを考えていた時期に見たからかもしれず、もうちょっと違うことだったのかも、と疑問。これも疑問。
でもそれ以上にやはり沈黙に身もだえする光景が残っている。

結局、沈黙なのだった。『KIKOE』から感じ取ったものは奇妙に沈黙となっており、ギターにはさまれた演奏者不在の椅子も、なんだかやはり沈黙なのだった。

耳が聞こえなくなると、その沈黙が逆に常におかされている。ボーンとかシュワーという小さな音が耳の奥でしており、発せられた音は不鮮明に、完全な沈黙は濁ってしまう。美術の仕事は視線を定めるので目を奪われる。見たいけど見えない。ただ壁のヒビとかカーテンのシミを見ていて、つまりはなにも見ていない。そのかわり耳は活躍してくれるはずで、鉛筆のすべる音や衣擦れ、木炭のけずれる音なんかで見えていないその場の空気を認識する。だから、仕事中に耳がボワボワしているのは結構な不便で、状況を認識できず、見えない以上にボーっとする。
仕方がないので、自分の内側に目と耳をやるしかなく、この映画のことを考えていたのだけども、鮮烈な沈黙は、実はよく聞こえる、ということなんだな、と聞こえない私は思ったのだった。

ああ願わくば、痛いキリキリした沈黙を共有し、そのあとぼそりと一言交わすだけで、伝え合うことができたらいいのに。それはきっとすごくエロティックで優しい時間のような気がする。

こうしてたらたら書くように、私は、私には、しゃべりすぎるか黙り込むか、それだけだから。

☆気持ち悪い
そんなわけで、今更のように「エヴァンゲリオン」にはまった。今まで見たことがなく、家では同居人が時々BGMのように流しているけれど、どんな話かも主人公と同居人が同じ名前であることも、綾波レイがなんなのかもフィギアがあることくらいしかしらず、等身大48万すげーとかいうレベルだった。
だいたい、90年代ほどつかみどころのない悲しい時代はなかった、と思っていたのだった。80年代もそうかもしれないけれど、それは良く知らない時代だ。95年とかって多分、テレビとか映画を見ていられる状況になかったのだろうけど、存在すら知らなかった。
ウイルスが去った後の休みの日、おとなしく体を癒しながら、なんとなく同居人のビデオをみていたら、むむ、と思った。ロボットではなく肉体、というところにまず惹かれ最初から見てみることにした。
そしたら見事にはまってまったよ。
結局DVDで見れるすべて、劇場版の『序』まで見たのだが、一番良かったのはラスト二話の映画版「Air/まごころを君に」だった。
このラストでアスカが「気持ち悪い」と言って終わる。気持ち悪い!!ああ、そう!
何も泣くことはないのに、泣いてしまった。三回見たけど三回泣いた。
気持ち悪い! ああ、なんということを!
映画『書を捨てよ町へ出よう』で、「もうすぐ映画は終わる。真っ白になったスクリーンと暗闇に君は取り残されるんだ」的な、つまりは二次元の世界は消えて個々の実人生が始まる、というメッセージがあるような実写の場面も良かったけれど、気持ち悪いとは!! この一言がガツンときた。そいでその横で主人公シンジがぐずぐず泣いているのも。
ATフィールドという「心の壁」←おいすげーな、を消して人間が融合し一つになるという人類補完計画を拒否したシンジは「再びATフィールドを手にすればまた他者の地獄が始まる」けれど、「もう一度会いたいと思ったことは確かだから」、他者も自分もいないゆえに「完全」である世界、全部あり、なにもない世界を放棄し、不完全な自己と他者のいる世界を選ぶ。こういうの、すごくダメなんだな。泣いちゃうんだな。
融合しようとするとき、シンジの表情は幸福そうだった。多分快楽なのだと思う。他者との融合は理想であり、夢であり、だから心地よい。でも、夢の終わりから現実が始まる。テレビ版のラストはそういった物事をストーリーやニュアンスで形作ることをしなかったのかできなかったのか、アフォリズム的に語っていた。あんたらそれぞれどこまで言うねん、くらいとにかくしゃべっていた。言葉でつむぐことしかやっていなかったのだけれど、その間の出来事を描いた映画版はすごくて、もうそのすごさが「気持ち悪い」に凝縮されていた、ぎゅっと。
アスカは、シンジのこと好きなのかどう好きなのか、嫌いも混じっているのかもだけれど、シンジを否定する他者でもある。肯定もするし否定もする。受け入れもするし拒絶もする。アスカ自身が一人の人間として存在する以上、そうだわ。絶対に、一つになることはできない。神様ももういない。
その不快さ。不安さ。寂しさ。困難さ。めんどくささ。そいで悲しさ。
他者を、世界を、完全に自分の内面には置き換えられないという断絶。
思い通りにならないなら殺してしまいたい、とアスカの首をしめるけれど、それも出来ない。
「何も出来ない」という他者との断絶にシンジはぐずぐず泣き、アスカは言う、「気持ち悪い」。
私はそのような絶対断絶の他者との関係とは、究極的には「気持ち悪い」ものだと思う。自分にはなりえない他者も、他者にはなりえない自分も、そうだからこそ触れ合いは「気持ち悪い」。けれどけれどだから異質な気持ち悪さを抱えながら向き合うから、「好き」になることも出来る。私とあなたが一つになり、同じものになってしまったら、私はあなたを好きになることは出来ない。
夢が終わると現実が始まり、現実は気持ち悪く、気持ち悪いは好きの入り口であるということ。
それらは、一つの道、一本の線の先に終着があるのではなく、輪のようにループして何度も繰りかえすんやろう。簡単に成長して解決などしない。自我が目覚め他者を見つけて大人になることが終わりではなく、ぐずぐず泣いて泣き止んで、その繰り返しの挫折と発見を繰り返していくことが「リアル」に生きる終わりのない話なんだと。

それから、双極性の友達が、エヴァが使徒を食う血の飛び交うシーンが、躁転しているときの自分を見ているようでつらいと言っていたことを思う。あのシーンは悲しかった。攻撃性の先端、それと融合の切れ端でもあるのかもしれないけれど、ヒトはあのようにむさぼりあうこともあるのだ。

気持ち悪い、にある優しさと、めったに使わない言葉であるところの勇気のようなものを感じて泣きながら、
泣きながら私は、ああ、そうだったな、と思った。
すごくすごく好きな人と抱き合って、物理的に一つになってもまた離れなくちゃいけない。
私はこのへんな私の体みたいなものを引きずって、ゴミ袋みたいに膨らんでいくぎゅうぎゅうの心も一人でひきずって、がまた始まるんだと思った時、それは初めてめちゃくちゃ人を好きになった時だった。
すごく好きで暖かいその人の中に入りたかった。こっちからインサートしたい。
りかちゃん人形くらいになって、でもまだデカイ、おまけのケロヨンくらいに、ああでかいわ、
結局一粒の細胞くらいになって、その人の細胞の一粒になったらいいのに、と思った。
完全に溶けてしまったら、わずらわしいこともなくなって寂しくなくなる。でもすぐにそれはめちゃくちゃ寂しいことかもしれんなと。溶け込んでしまったらもう、あなたの顔は見えない。話すことも話すことによるすれ違いもその修復も、や、もっとシンプルに、手をつなぐことも出来ないのなら。

だから一人でいるしかない、一人でいて二人でいよう、と思ったものだったな。

2010年2月5日金曜日

祖母の。

一月二十二日の夜、おばあちゃんが亡くなった。

浴室でしんぱい停止、そのまま溺れてしまった。

おじいちゃんはお風呂の順番を、二人暮らしの中おばあちゃんといつも相談してて、この日はたまたまおばあちゃんが先に入っていた。
「すぐ出るからあんたもはいりん」
としゃべって五分後、溺れたおばあちゃんを見つけて心臓マッサージしたそうだ。

おじいちゃんが葬儀のとき、「明日何が起こるかわからんで、人間いつ死ぬかわからんなぁ、でもそれが救いなのかもしれんでな。無理して今を曲げんでもゆっくり生きりゃぁいい」と言っていた。
それまでなんとなくぼんやりしていた私は泣いて、ずっと頭の中を流れていた曲、「夢で会えたら」が止んだ。

おばあちゃんを焼いた後には、骨よりもがっちりと重い、人工関節が残っていた。

何日か特に言う事を思いつかず、特に何も言わなくていいような気がしていて、でも今日あまりに寒くて、古い机を触ったら、おばあちゃんの頬のように冷たくて、なんとくなく、それもなんだな、と思った。

どこで届くんだろうかな。
おばあちゃんへの手紙。

2010年1月16日土曜日

チェンマイ猫と新年を

遅ればせながらあけましておめでとうございます。
今年のお正月は元旦からチェンマイに行ってきました。

仕事半分だったけれど、とにかく暖かいところへ逃亡。

タイ北部はスコータイまでしかいったことなく、今回初チェンマイでしたが、
北部といえどもやはりぬくい。しかも乾季でさわやかでした。

最初はしばらくチェンマイの旧市街や川沿いのホテルに滞在し、最後二泊ほどBAN ROM SAI バーンロムサイというNPOが運営しているゲストハウスに滞在しました。
「プール」という、漫画家桜沢エリカさん原作、小林聡美さんとか、もたいまさこさんがでてる映画のロケ地になったゲストハウスです。タイトルどおり綺麗なプールがあり、自然に囲まれた、4棟だけのハウスです。

ここがむちゃくちゃ良かったです。

私が泊まったのは「すいかハウス」という、コテージとオープンエアーのリビングダイニングがついてるところです。
バーンロムサイはチェンマイ郊外の運河沿いのんびりした田舎の村にあり、周囲にはレストランも屋台もなーんもないので、自分で料理して楽しんでしまおうと。市場やスーパーマーケットをはしごし地元食材を仕入れ、ごっそり持ち込んで昼夜料理しました。

飛行機や仕事の関係で、連れが一緒に行けるか一人かびみょうだったのだけど、まぁ一人でものんびりすりゃいいや、くらい思ってました。
結局共に行く事が出来、やっぱり、せっかくごはん沢山作ったら誰かと食べたほうが楽しいもんやと実感。

そしてここには猫が! 総勢16匹も飼われてるんですね!!
もう、もうもうもうもう! 猫が!


猫をおいまわして広い敷地を走り回っているとき、代表の方と会い「猫好きには天国ですよ」と。
おうおう、確かに天国だぜ。この子はママ猫らしいです。お腹がたるたるでかわいい、やわこい。


ほとんど拾われてきたり、もらったりしていつの間にか16匹。えさは朝夕カリカリをあげてるそうですが、来たりこなかったりだそうで、でもみんながっついてなかったなぁ。
白黒の子はこの椅子が気に入ったのか5,6時間はここで寝てました。
リビングがオープンなので、だいたい10匹くらいが入れ替わりたちかわりでしたが、このトラ「たらこ」は初日に晩御飯作ってるときから出迎えてくれ、結局最後までいて家猫に。ベッドで一緒に寝ました。
でも夜中に出て行ったから、おしっこか帰ったのかわからず、ベッドルームの扉を閉めてしまったら、あとで戻ってきたのに入れんくてぶち切れたらしく、翌朝キッチンのダストボックスがバーン、ぐちゃぐちゃ。
あげくリビングにうんこ。うんこて。
思い通りにならんとぶち切れる、さすが猫。


あったかくて、広くて、肉球に優しい土と草と人に囲まれ幸せそうな猫達は、昼夜走り回って、虫と遊んで、ぐっすり寝てる。神様、私を猫にしてください。


なまず料理とバジルや空芯菜のスパイス炒め。なまずは揚げ焼きにしてナンプラーと唐辛子のソースをかけました。市場で「ソーセージ」と売られていた「かまぼこ」にはコショウがねりこんでありスパイシーです。醤油で食べたりオーロラソースであえたり、麺類の付け合せにも重宝しました。パクチーとの相性も良くて。猫にあげたらコショウ風味のせいか、食べる猫プイする猫、半々。猫それぞれ。


地鶏の蜂蜜グリルレッドカレーソース。蜂蜜もチェンマイ近郊で沢山作っているらしく、LONGONという街路樹の花の蜜のものなど種類豊富でした。ニンニクのはちみつ漬けはラッキョウ漬けのような味でおいしく、それにナンプラーやスパイスをあわせたものに半日漬け込んで焼きました。ノンオイルのフライパン後オーブンで皮をパリパリに。
サンデーマーケットで見つけた地元産のハーブとフルーツのワインは甘くなくて美味しかったです。これはライチとハーブ。少しの癖と清涼感が独特で、葡萄のワインより飲み口が軽いです。他のフルーツのもあわせてしこたま買い込み持参。

正しきタイ料理というよりも、食材をあまらせたくなかったので買ったものを使い切る、独自アレンジの料理を作りましたが、サフラン他スパイスが安く豊富で、よい経験になりました。生姜も日本のものとはぜんぜん違うということ、包丁入れてみて実感。

猫と美味しいものと暖かい気候と、色んな人との出会いで、今年をナイスに始めようと、そんな旅はけっこう上手くいきました。

今年もよろしくお願いします。