「出産方面」: 7月 2011

2011年7月19日火曜日

インアウト、東京から東京へ。

毎回毎回びびると言うのも芸がないけれど、またもやひと月、気がつけば七月も後半。びびってます。
誰に謝るべきなのかわからないけれど、とりあえずごめんなさい。

先日調べ物してたら「アクセスの伸びるブログの書き方」みたいなサイトにたまたまぶち当たったのですが、更新遅いのと内容が散漫なのはもう論外みたいですね。べつにそんなこと知りたくなかったのですし、もちろん気にしませんが。
このブログはネットの海を漂う手作りの筏、そう、椰子の実と蟹を食べてしのいでいた無人島から、ちょっと海原へ出てみようかしらと、流木を集めて南洋植物の繊維で編んだロープで作ったすかすかの筏。
波に流されてどこかに辿り着くか、それはまた別の無人島なのか、先史以降発見されなかった新しい原住民、という語義矛盾した存在の暮らす未知の島なのか、いやはやどこにも流れつくことなく、ただ海を漂ううちに揺れているのは海なのか自分なのかわからなくなって干からび朽ちるのか。そんなことは知りませんが、とにかくこういう長ったらしい文章が駄目らしいです。はいはいわかりました。

まぁ実際、本来は小説の内容に反映さすべき事を書きすぎ、という具体的指摘は謙虚かつ真摯に受けていますが。

6月末の暑さからなし崩しのひと月、何やってたか何から書いたらいいのかわからないので、とりあえず前回更新の直後のそう、文学フリマ、6月12日。

前回は行けなかったくせにアレほどTLで騒いでたわけで、今回は行ったがゆえのスルー、はないですもちろん。
だってとっても楽しかったんだもん。会いたかった人に会えたとか、思わぬ出会いがあったとか、イベント自体の面白さとか、入手した本の面白さとかほんとに色々あるけれど、とりあえず、破滅派は面白い。誰がどう何がどう、そういうことが知りたい人は破滅派その他、読むべきもの触れるべきものが沢山です。早くしないとこの世界から紙も文字もなくなっちゃうかもよ。いやそれより、人生という時間ですね。紙と文字の上を流れる時の長さと比べたら、人生はあまりにも、短い。

ブースの内側にスイカと紙幣が見え隠れ。他ブース回ったりビール飲んだりしてたので、これしか写真とってないけど活気がありました。みんな製本もクオリティ高いし、特に今回、上手いだけじゃなく伝わってくるものがたくさんあるイラストレーションを描ける人間がこれほどいるのだという現実に改めて感心しました。何が商業ベースなのかオルタナティブなのかインディペンデントなのか。

でいきなり、今月、ていうかこの三連休です。
旦那のバンドVAMPIRE!、高円寺のUFOクラブで予定していたライブが、あの、3月11日の翌日だったわけで延期。今月17日にやっと振り替えでした。関東方面までどうせ交通費かかるなら勿体無いから小田原で降りて湯河原へ、温泉に行っちゃって飲み過ぎちゃって、でも二日酔いなどさらっと通りすぎて、ハイセンスな物を書き音源もつくっちゃう、ハイセンス過ぎて嫉妬もしない方と夕方明るいうちから焼酎飲んでましたけどね。

そのハイセンス氏とライブハウスへ。身内贔屓にもほどがありますが、バンパ、かっこ良かった。日常を共に暮らす人間がステージで非日常を表現してくれるというの、楽しいんですよね。ギター持ってない時のあの人が普段どれほど(いやこれ以上は言うまい)。

ライブ後もまた飲みに行って、7月17日は京都では祇園祭、私は海ぶどうを一日2回食べるはめになったという稀有な日であったことはまだあまり知られていません。15日に友達の誕生日を祝って以降、財布の紐がユルユルで人に奢りまくり、饗しまくる『饗応夫人』のようになっていましたが、決して泣いたり怯えたりなどしていない事も付け加えておこう。人を饗し破滅するものまた私らしいのであります。おはめつ。

翌日18日は浅草に行って。

ビニール袋で守られた子供。


金色のアレとスカイツリー。

浅草の純喫茶のステンド。

東京に仕事で行ってた頃は、だいたい建材や家具の展示会とか見本市とか建築関係のシンポだったり、時々人ごみで倒れたりで、苦手意識があったけど、6月7月の再訪のおかげで、東京が楽しくなった。目的があったり用事があったりというのもそうだけど、土地、場所、人、変わらないことと変わることがある。変化に付き合っていくこと、変化を楽しみ愛すること。それが私とあなたと世界との和解。きっとこれからも、苦手だった場所を愛したり、すれ違った誰かに再会することもあるのでしょう。

孤独な筏の上から見える海原には、沢山の、形の違う船や筏が、揺れながら漂っていますから。