「出産方面」: 祖母の。

2010年2月5日金曜日

祖母の。

一月二十二日の夜、おばあちゃんが亡くなった。

浴室でしんぱい停止、そのまま溺れてしまった。

おじいちゃんはお風呂の順番を、二人暮らしの中おばあちゃんといつも相談してて、この日はたまたまおばあちゃんが先に入っていた。
「すぐ出るからあんたもはいりん」
としゃべって五分後、溺れたおばあちゃんを見つけて心臓マッサージしたそうだ。

おじいちゃんが葬儀のとき、「明日何が起こるかわからんで、人間いつ死ぬかわからんなぁ、でもそれが救いなのかもしれんでな。無理して今を曲げんでもゆっくり生きりゃぁいい」と言っていた。
それまでなんとなくぼんやりしていた私は泣いて、ずっと頭の中を流れていた曲、「夢で会えたら」が止んだ。

おばあちゃんを焼いた後には、骨よりもがっちりと重い、人工関節が残っていた。

何日か特に言う事を思いつかず、特に何も言わなくていいような気がしていて、でも今日あまりに寒くて、古い机を触ったら、おばあちゃんの頬のように冷たくて、なんとくなく、それもなんだな、と思った。

どこで届くんだろうかな。
おばあちゃんへの手紙。

2 件のコメント:

  1. 先月、1月2日にとても大事な人が亡くなりました。
    いつでも、なんてことは一個もないんだと思いました。
    人生は一瞬の集まりなんだと。

    返信削除
  2. ほんまにそうです。変わりたいと変わりたくないがせめぎあってでも確実に細胞は分裂し変化していく。死という言葉は尖っているけれど、持ってくしかないよね。

    返信削除