以前働いていた仕事先で、美術評論ぽい文章、を書く際に、上司から提示された要求が「これまでその絵なり立体なり音楽なり映像なり、に、触れたことのない人に伝える文章を」という事だった。
私は人に物事を説明するのがとても上手くいく時と、いかない時の差がはげしくて、プライベートな事にせよ、一般的な事象にせよ、強く思いこんでいなければ何も語れない、とどこかで思っていた。だから「今このこと」が嵐のようなときには語れずに、三年位してやっと、いったいそれが何だったのかを語るときがあります。でもそれはきっと、「あの時」の「ほんとう」からはかけ離れてしまっていて、人生の中での「あのとき」をなんとか着地させるためにみだりに言葉を費やしている感じがして、だから私はいつもどこかで嘘をついているなぁ、と、とてもとてもおこがましいけれど諦観のようなものがチクリと刺さっていた。同時に「ほんとう」というものがいったいどう「ほんとう」なんだろう、と考えたりもしていた。
言葉っていうのは、美しく、厄介で、怖くて、どこか言葉で語ること、説明する事に、懐疑とか限界を感じ、言葉では語れないものがあると痛感し、だから説明ではない表現を求めている部分がある、ように思う。表現が説明ではない事、ましてや説得やオルグなどでは決してありえない事は、確かであり、だから豊かなんだとも思う。
でも、「触れたことのない人に伝える文章」といったふうに具体的に提示された時、私は自分がとても好きな美術作品の事をいくつか書いていて、私がそれを「好き」ということはずっと奥のほうに、底に漂っているけれども、やはりそれはその作品を見たことのない人、もっと言えば、見たことがあるにせよ少なくとも私ではないことは確かな誰か、を、誰かが具体的ではないままに、想定し、想像し、限界はあるけれどその誰かの心の想像力に少しでも触れるように、と試行錯誤して言葉を紡いだ。
それが良い文章だったのかは私が決めることではないし、その作品に興味を抱いてくれたのだったら本当に良かったし、何よりも、他者を想定して書くというやり方の難しさや必要性を教わった気がしている。
だから、そんな提示をしてくれた上司には、今でも感謝している。
今は沢山沢山、レビューや書評や感想があって、自分が直接触れることのできる限界を超えているけれども、そんな風に他者を想定して書かれたものに出会うと、何だか暖かく感じる。
私は自分があまり評論に向いていないな、と思う。だから評論というやり方でそういう文章を書くことはやめてしまったけれど、それでも私がこんな風に書いている、小さなブログ一つにしても、誰かに、何かを、言葉なのだけれども言葉以上の何かを、投げかけたり感じさせたりしているかもしれない。想像、というものはすることもされることも、本来とても優しくて、暖かいものだと思う。
それはものすごく特別な事でも稀有な事でも個性的なことでもなく、なにか人を感心させる価値があることでもなく、というかそれを決めるのは自分ではない、と繰り返してしまう。
何年か、書く言葉ではなく会話を重視して繰り返し繰り返し、しつこく語り合ってきて、伝わったり伝わらなかったり、それは宝箱のような時間だった。その全て、と言うのは欺瞞かも知れないけれど、やはりとても愛している。言葉を感覚と時間の流れに放り込んで、目の前にいる人達と沢山、その空気ごとを味わうような時間だったから。
その時間の中で書いてきた日記、ネット上で限られた友人や繋がりのある人に公開していた日記と、ノートに書きなぐっていた日記を読み返していると、「学び」という部分で論理的であろうとする分、奔放に無秩序に、感覚だけを享受し言葉を紡いでいたのだな、と改めて思った。私は自己批判的な性格が根っこで強いのだけれど、それは同時にナルシスティックでもあり、自己陶酔的でもあるということだ。そんなものだけの発露。それに対する醒めた自分の目、突っ込みを入れるもう一人の他人がいつも自分の中にいる、という。
そんな感覚と、上司から提示された種類の文章のありかた、そういう様々なことを思い返したり、「いまこの時」をそれによって照射したりしてみると、やはり私は書く言葉を、選ぼうとしたにもかかわらず、どこかで放棄していたように思う。
小説や創作はニュアンスの積み重ねでもあるけれど、論理の構築でもあって、言葉との蜜月的な関係を甘く甘く味わうだけではいられない。何より人に伝えようとすれば、自分を掘ってしまえば、すごく辛くなったりする。でもそれを「辛いですよ」と感覚的に言うことが、つまり、放棄のひとつなんだ、と思う。そんなのやっぱり、無責任だ。私は無責任だからしょうがない、といってみたところで、それでいい、ということじゃない。
今こういうふうに始めたブログは、…これは言うべき事じゃないのかもしれないけれど、すごく迷ったけれども、読んでくれている人に誠実でありたかったので、書くことにしました。
実は一人の人に向けて、伝えたかった、というのが一番最初の動機でした。
語っても語っても、どれだけ時間を共有しても、それでも伝えられなくて、他に方法を考え付かなかった。でも、それをこんな風な形で他の方たちにも読んでもらったり、それまで知らなかった方からメールを頂いたりするようなやり方でしてしまうことは、なんだか違うような気がしていました。
色々なことがある現実の生活と沿うような感じでずっと考えながらいて、やはり、違うな、と思います。その「違う」の半分くらいは、個人的な「伝えたい気持ち」を動機にしている、という事だけれども、それ以上に重要な「違う」はそれでもとった方法である、言葉を紡ぐ、という事に対する真摯さをどこかで放棄していた、という事です。
私は、言葉というものを愛しています。それによって喜んだり悲しんだり、妄想したり誤解したり、とても厄介なツールだけれども、言葉が、あんな小さな文字の組み合わせなのにも関わらず、うんしょ、と付随する物事を背負って現れてくれて、それによって救われてきたことも沢山あったのだから。だからたった一言の「言う」も「書く」も、大事にしたいと思いました。そしてたった一人に向けて始めたのだとしても、広がっていく他の人に対する繋がりや感謝を、放棄しちゃいけないと。
私の生きる速度にスピード感がないということ、だから自分の押したタイマーに追いつくために沢山言葉を無駄にしてしまう癖、日常の楽しい事や具体的な情報を提示するんではなく、観念的な事を取りとめもなくつらねてしまう癖、というのはある。あるし、それはブログ、という形態には向いていないかもしれないと思う。
それは正直わからないです。でもやってみて、違うと思う部分がある限り、変えていったりしようと思うし、変わっていくのだと思う。放棄した変わり方に関しては、もうしたくないと思う。
ネットという媒体に関わり始めたとき、それまでみんながリアルな場面で語り合わないような類の事を語り合い始めていて、これで少し楽になったり風が通ったりするんだろうな、と直感的に思った。それから随分時間が経って、中傷や攻撃や依存という弊害を経て、木の枝の先が細かく細かく広がっていく媒体へと成長した今、その先でぽそりとひらいた葉に感謝したいと思う。そうして、私もその小さな葉の一つとして、社会、というようなものと関わっているのだという感覚にも。少しずつ、変わっていく時代の真ん中にいるんだという実感、色々な分野の表現方法も変わり始めている。それらにどう向き合うか、やはり楽しんでいきたいと思う。変わる方向は様々だけれど、出来うる限り真摯でいたい。押し流されるのではなく。
このツールを使っていることで、少し前から、本来だったら再会できなかったかも知れない友達に沢山、また会うことが出来た。皆それぞれに葉を持っていて、お母さんになっていたりしている人もいて、日々の生活の、子育てのいっかん、そういったものに触れられて、とても感謝しています。
ことば って 話しても 書いても
返信削除届けるのが 本当に難しいと 思うのですけれど
届いたときの 嬉しさも喜びもひとしおなので
頑張って届けたい です
なんで片言風なんですか?おもしろいなぁもう!
返信削除そうですね、難しいなぁ。でも頑張って、、、この言葉も
難しいけれど、時々は使ってあげようと思います。ありがとうです!