「出産方面」: 昆虫ロック 春バカ! 

2010年4月22日木曜日

昆虫ロック 春バカ! 

先月のことなんで、それから会った人達とはぽつぽつ会話にのぼっていたんだけど
解散しちゃったよー、ゆらゆら帝国。

そいで大好きなアルバム「3×3×3」を聞きながら、それはまったく全部の曲が好きで、一言一言嗚咽まで好きで、好きすぎて涙が出てきた。
ああ何回しかこれまでライブ行けてなかったんだなーきっとこれからそれぞれ別の活動をして、それにふれることは出来るんだろけども、あのメンバーでの生の演奏はもう聞けへんのかなーと思ったら涙が出てきたぞ、くそー!
きのう電話で話してた友達ともいつか一緒にライブ行きたかったのに、いつか、なんてぬるいこと言ってたからくやしーやんか、もうそのいつかがないのかしらと思ったら涙が出てきたぞ。
つーか話す事が多すぎてゆら帝解散のこと言おう言おうと思いつつ言ってなくて、彼女もゆら帝めちゃ好きだから当然思ってるだろうし、今度会ったら言うんだろうな、でも私が言う言わないに関わらず、そんなことどうでもいいくらい、もう一緒に行けないんか。泣き。

ゆら帝ではないけど好きなこと、また別な事を交換してけばいいんだそうだそうだ、と納得させてみる。
させてみるがやはり、いいバンドだったよ、ゆらゆら帝国。一緒に生を聞きに行きたかったよ。

こうして春は泣き、泣きの春であるのだった!

なんですか情緒ですか思春期ですか、それとも脳内のアレですか。なんでもいいよう、そんなこと。

冬が苦手で、蓑虫状にぎゅっとなってるから、春になったら毎年そうなんで、毎年の春に毎年の反応をしてるだけで、これって私のいいかんじ。いいかんじ?
いいかんじかどうかわかんないけど普通の私。でもなんだかいつもとちょっと違う、似てるけれどもちょっと違う。

大学卒業後の3年、今年が4年目か。その間気が付かぬともちょびっとずつ削れていってて、なんとなくやばい感じ、だめな感じ、とうすうす思ってもだましだましの5年間がぶわっとふきだしてくるような涙でもあり、それ凝縮しちゃった二年間に気が付いちゃった。大学時代の宝である友たち、同居人、それら周囲の人の変化と不変化、自分の変化と不変化。でもあきらかに個々のことであり、私としては忘れていた大事なことに気が付いたのだった。これって大事なことで、でも大事なことに気が付くってことは、なんか別の大事なこととのさよならでもあって、心の奥のほうにしまってさようなら、大事なことはふえていく、一回大事になったもんはずっと大事だけど、それでもさようならはあるんだな。とか、今言葉にするのはこれで限界。

大学時代に日記をあのような恥ずかしい形で書いていて良かった、えらいぞ過去の自分。記憶は塗り替えて記憶されていく、記録は残っていて嘘も本気も、誰書いたのこれ、なんだけれども多分私が書いたわけで、おーいと過去の自分に手を振ってみる。考えてた考えてた寝てた怒ってた笑ってた泣いてた食べてた読んでた踊ってた。こうして思い出は今の私をがっと睨み、今の私の思い出として何べんも生まれ変わる。本物も偽者も虚構も思い出は、他者のように問い詰めてくる。ああ私間違ってました。でもおかげで気がつけたんです、ありがとう。ありがとうね!

悲しいとか苦しいとかうれしいとかやったぜとか、そんな一つの言葉で現れないものが液体になって流れ出す、それを涙という。

春の馬鹿はこうして私を突き落とす。いいもんも、さみしいもんも、ずるずると引きずって。

昨日天気が良くて、ちゃりんこ置き場に行ったら、一階の角部屋の庭が見えた。そこのお庭は三階の私んちから見下ろしてもいつも綺麗にしてあって、いいなーいい庭だーと時々見下ろしてたんだけど、ちゃりんこの鍵ガチャガチャしてふと目を上げたら、庭の角に植えられたチューリップが目に飛び込んできた。
ピンクとか黄色とか赤とか白とかのぷくっとしたチューリップが、咲きかけてたり咲ききろうとしたり、速度はばらばらなんだけど、住人さんが丁寧につんだんだろう煉瓦の花壇のなかで、伸びて、咲いて、とやっていた。それ見たら、なんかなんかもう、すっごいうれしくなって、いやうれしいのかな、わかんないけどなんか、どわっと暖かいもんがあふれてきて、涙が涙が涙が涙が止まらんくなった。

ここに引っ越してきたとき、同じ階の人とか、下の階の人とかに栗とかサツマイモを配りながら挨拶し、人の集まりで騒音出たらごめんなさいとか、きちんと前もって挨拶したけど怒られる時には怒られたりしてきてて、でもその一階の角の人はそのずっと後に引っ越してらしたので、面識はなかった。去年の暖かい頃だったか、「庭で流しそうめんパーティーをするのでにぎやかになってしまったらごめんなさい」という、丁寧かつ可愛いカードが郵便受けに入ってて、確かに朝から竹を割ったりしてらして、それで長い滑り台みたいの、高低差つけてつくってらして、楽しそうな声がしてた。
玄関にシーサーを飾ってるのがうちとかぶってて、郵便受け通るとき、覗くわけじゃないんだけど、や覗いてるんかこれ、窓の内側にお誕生日会に使う折り紙の輪っかみたいなのが見えてたり、キッチンの窓に小さい植木、東南アジアの雑貨がちらりと見えて、どんな人が住んでるのかなーお子さんいるみたいだなーとか思ってた。

そんな知らない人の家の庭に咲いてるチューリップによって、なんかすごくすごく、知らないご家族だけれど幸せであってほしいな、みたいな、余計なお世話、みたいな、気持ちにさせられて、なんか花とゆーものが美しくあるという当たり前の、みんな知ってるわそんなこと、なんだけど、すごくすごく溢れてきたんだよ。

そいで涙がとまらんくて、自転車乗りながらあのピンクとか赤とか黄色とか白とかの色彩がずっと泳いでて、
でも涙で良く見えないや、あはは、とか完全に気持ち悪い人になりながら、自転車こいで、公園つっきって、
サッカーしてる子供達にぶつからんように気をつけながら、でもばれてる、ガキに泣いてるのばれてる、むかつくわーと思いながら自転車こいで、目的地と逆に走ってることにようやく気が付いて、進路を変えた。

進路を変えることはできたけど、どこに進んでいくのかなーまた間違えちゃったりするのかな、やだなー怖いなーと思いながらそれでも進んでいるうちに、ちょびっと涙が渇いてきた。

みなさん知ってますか、春は、こいつは、馬鹿です。でもそれ以上に、私は馬鹿です。あはは。

0 件のコメント:

コメントを投稿