「出産方面」: だめだめだめ、ぜんぜんだめ。

2010年11月11日木曜日

だめだめだめ、ぜんぜんだめ。

おおっと。久々に再開したと思ったら更新頻度の間が!
ものごとを突発的に充実させるとろくでもないことになっていくというのは、こんにちのロボット以外の習性だということをわかっている一部の方々に、特殊な方面のご心配をおかけしてしまいそうだけれど、大丈夫、ちょびっと酔ってます。これで安心ひと安心。

あのね、大岡昇平『花影』。これさぁ。はなかげ、だと思ってたら、かえい、なんだって。
私いつも、この手の音訓にしてやられます。実は、はなかげ、のほうがいいと思ってるのに。かえい、と口に出しながら、心で、はなかげはなかげ言っておこう。

そんなことはどうでもよく、ある時代のなんらかの女性(なんだよそれ)のことを調べていて見つけたのが、坂本睦子。ウィキだとコレ
別のサイトだとこんなんも
まぁキレイな人だったのだろう。魅力的だったのだろう。でも、この人をモデルにしたとされる『花影』の主人公、葉子は、はっきりいって、まちがっちゃった人です。

読んでいて、まず頭に浮かんだのが、吉野朔美『恋愛的瞬間』の二巻。「秘密と嘘」に出てくる、心理学者にも手に負えない女子学生と文学部教授の、不倫。

「あなたは私のことを文学的感傷で愛している」
「肉体も魅力的だって知っているよ」
「私の不幸を愛している」
「君の不幸を望んだことなんかないよ」
「良心が痛むからよ。あなたは嘘をついていることを忘れているのね」
 自分の不自由さに気づいていない。浮気をすることが、自由だと、思っている。

吉野朔美『恋愛的瞬間』小学館2002

女子学生はまちがっちゃてること知っている。でも葉子は何をまちがっちゃてるのか自分でよくわかってないのです。
まちがっちゃったというのは、沢山の遍歴を重ねたとか、不幸な最後を遂げたとか、そういうんではなく、しかも実際の坂本睦子の話をしているのではありません。
あくまで、小説『花影』の主人公、葉子、のこと。
坂本睦子は知らん人なので。モデルを想定してうんぬんというとき、あなたはその人を知っているのか会ったのかということを問えば、そうではない。なら、登場人物として素直に読もうではないか、どうですか。

直木三十五、菊池寛、小林秀雄、坂口安吾、河上徹太郎、大岡昇平とかとの関係、実際の坂本睦子に関しては色々書かれたものを読めばよい。大岡昇平が嫉妬や感傷や衝動をどう作品に昇華させたのかも、このさい、おいておく。
小説の主人公、葉子がまちがっちゃってるのはね、あのね、この小説の登場人物、高島とか言う人との関係。(この人が誰を想定してるのかももちろん、おいておく)
高島と葉子という女給との関係はいわゆる男女のものではない。肉体関係もなく、葉子が沢山の男に求愛されるさまを高島は全部知っている。それはいい、まあいい。しかし、この高島という男、完全に、葉子のことを読み間違えている。
ほだされやすく男性に愛されやすい葉子に「女給でいるしか道がない」的なことを言うんですよね、こいつは。
高島は骨董品の目利きなんかをしていて一時期はぶりが良かったのだけれど、そういう時期に出会って、葉子の庇護者的存在なのだけれど、この人に人生の指南や信頼を置いていたところが、葉子ちゃんのまちがいだし、おちぶれた高島が葉子への見方を変えないところもまちがい。

あのさ、葉子という女は、実は、もっとも夜の世界に向いていない女なのです。

はっきりしとくためにいうけれど、そのへんで私とおんなじ。
私は今まで二度、いわゆるホステスチックなことをしてみたことがある。一度は大学のレポート書くための一日体験入店。もう一回は民話伝承を収集するために滞在した石垣島での酒場。どっちも銀座だの、新地だのとは違う、特殊な状況だったし、そういうとこではできひんと思った。あの世界で強く生きていける女性の多くは、とっても地に足がついているのです。お金をもうけること、自分の足で立つこと、嘘も方便も自分の責任で引き受けられる事。悲しみを悲しみながら反発できる事。かっこいい女性たちなのです。男を喜ばす、という商売で自分を貶めない、男以上に漢なぶぶんがあるか、すでに10人くらい子供産んでるよ、に等しい気概がなければ、お金と虚栄と擬似恋愛の世界に飲み込まれてしまう。褒めて楽しませて喜ばして欲しい男の人を抱擁しつつ、彼らの自尊心すら守ってあげる、子育てと介護に通じるような感情労働なのです。
私のことを言ったのでついでに断言すれば、私のようなヘタレの泣き笑い顔ではつとまりません。

夜の世界のしろうとが、夜の世界につかる事などめっそうもない。

このへんのことを高島はわかってない。

ふわふわふわふわしていて、身の置きどころがなく、線の細い葉子という女性が、そんなことして壊れないわけがない。寂しがりの甘ったれの葉子が、ちょっと男を喜ばせられるからって、女給でいるべき、などという短絡をするこの男は、本当にしょうもない。葉子は世界においていつも居場所を探しているような、生き人形のような女です。喜ばせるのはわかってほしいから、受け止めて欲しいからなのであって、一人で生きられる女じゃない。そんな女が求愛の真ん中に放り込まれたら、体も心も自分から手放してしまうのだ。その程度のこともわからん審美眼の持ち主高島を信頼し、おちぶれてなお身の回りの世話をしていた葉子。一番慰安されていたのは高島だったのだよ。

不幸、というのはもちろん文学的です。吉野朔美の女子学生はもう少し達観していて、でも自分の不幸に耐えられないから、まるで自分を切り刻むように、文学的ダンディズムのミューズとして不幸を偏愛される関係を、受け入れる。でもかしこい女の子であった。一緒にいるときからその不毛さ、文学者の求める嘘の甘さと身勝手さ(しかもはてしなく前時代的)を、悲しい目で見てる。いつか終わる。もっとも悲惨な終わらせ方をするべきか、何も伝えず静かに終わるのか。彼女自身のある種の文学的不幸と、天秤にかけながら関係性を少しの間継続させている。

これは女子学生が、葉子よりもあとの時代の女の子、だからかも、しれない。根っこの感受性は近しいのかもしれない。しかし、否定の言葉を口にできるだけ、女子学生のほうが強い。女の子が人形ではなく言葉を持った時代において女子学生は時々、教授を言葉によって怒らせる事もできたのだ。葉子はなにも言わない。黙ってなげやりに微笑む。

でも、『花影』の冒頭、これは良かった。

葉子は最初から男のいうことを、聞いていなかったのかもしれない
『花影』大岡昇平 講談社文芸文庫 2006

聞けよ!お前も!しかし面白くなかったんだろうね、言えなかっただけで。

身の回りをきれいに整え、繕いものをし、来客のために美味しい食べ物を用意し、喜ばせることのできた葉子ちゃん。高島とかいう男は気がつかんかったのか。
葉子が向いているのは夜の世界ではなく、誰かに徹底的に愛され、肯定され、守られ守り、生活の微々たるものごとを構築していくために、のどかな微笑を微笑む事。時代が時代だから、それが妻であり母でありということになるのかもしれんけれど、お金を介さない晩酌をかたむけるために笑って、日々の生活の中でその繊細な機転をフル活用し、それを楽しんでくれる男の子のパートナーになることが、葉子ちゃんの幸せなのだと指南すべきだったのだ、アホめが。
繊細さの襞を楽しめるディレッタントさを自分以外の人間に向ける目を持ち合わせていない高島と、ステレオタイプなデレッタント(間違ってないよ、デレッタントだよ)に溺れる男たちの間で、結局葉子は、孤独だったのだ。

男と女の文化の楽しみ方が不公平だった時代、だからかもしれんし、私はフェミニストではないし、葉子ちゃんは男の子を好きだったのに、なんか最後にはなにもかも憎たらしく思っちゃうなんて、さみしい。
かわいく、たのしく、結び合うための、おりこうなやり方、それって男の子の女の子、女の子の男の子にある、という意味で私はフェミとはちがうアプローチをとる。しかし言葉でやりあうとき、その言葉はまだ開発されていないから、日常のありきたりの出来事から発明しているのでございます。

さて、話がぶっとびます。
この『花影』講談社文芸文庫ですが、解説が小谷野敦、です。私はこういう戦う思想家が好きです。中島義道とか。ないってーと思う主張にぶち当たる反面、そうだよな、があり、そうだよな感が強いから。アカデミックな取り繕いをしないので、共感が強烈なのです。
その解説、大岡昇平が芸術院会員を辞退したときのいきさつを結びにしております。

むろんそこには、戦死した兵たちへの鎮魂と贖罪、そして責任をとらない者たちへの怒りが込められていた。青山も白州も小林秀雄も、美の審判者に過ぎず、その怒りを共有する人々ではなかった。政治や社会に目を閉ざし、漠然とした日本的美の世界を描いて読者を幻惑する人たちだった。」前同 解説 小谷野敦

大岡のほかの歴史小説には正直あまり興味がなく、この一人の女性を書いたものからしか彼の創作を知る由もないが、小谷野氏の度胸ある解説から考えるには、もし大岡の姿勢がこのようであるならば、『花影』の主人公、葉子に託して表現したかったものは、一人の女性に対する執着や死に対する感傷(それはぜったいあったと思う)以上に、文学や芸術や美、それにもとづく欲望や名誉、ということどもの間で翻弄される、どうしたってどうにもなんない、すくいきれない人間の生きざま、の話だったのではないでしょうか、どうでしょうか。

と書いていて、はたして私自身モデルと登場人物をどれだけ区別して読んでるのか疑問が出てきちゃった。
だってやっぱり舞姫のモデルが誰だったとか、気になるもんねぇ。
舞姫のヒロインモデル特定に新証拠。誰だよ!と思いつつも。
坂本睦子に関しても、きっともうちょい調べちゃう。

さて、もう一回り飛ばさせていただいて、戦う思想家、内田樹氏。ブックマークに貼ってますがコラムが面白いのに発見しにくいので、改めてご案内しておきます。
内田樹Simple man simple dream 
これ、必読。なんだけどなんだけど、冒頭から逸脱しまくり。自由自在ですな、おい。

3 件のコメント:

  1. 追記:内田樹さんのステキなコラムですが、目次からだと何故か全部読めません。ニフティが。私のせい?
    数字ルビで追っていくと大丈夫そう。面白い記事が沢山です。

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  2. 坂本睦子さん、知りませんでしたが興味深い女性ですね。「最初から男の話を聞いていなかった」のは、きっとそうだと思います。素敵な女性にそういうヒトは多い(苦笑)。

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  3. WTVさん

    なるべく聞くようにしようと思ってはいるんだと思いますよ。彼女も。話聞かない男の子はNGで女の子はOKなのはあれなんで、お互い頑張って聞いたり聞かれたりしていきましょうね!

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