花なんか好きに決まってます。
「ぽかんと花を眺めながら、
人間も、本当によいところがある、と思つた。
花の美しさを見つけたのは人間だし、
花を愛するのも人間だもの。」
太宰(はいまたきた)『女生徒』の名文ですね。ファヴォライトな方も多いのではないでしょうか。そうですよ、太宰ったらこんなセンチメンタル野郎なのです。はた迷惑なセンチメンタルなど、と揶揄ってもいいですが、他人の情緒や感傷を迷惑がるなんて狭い心は畳んでしまって、うんそうだよね!と微笑んでおきたいものです。
それにしてもこの文章を読むたびに、よいところがあるのは花なのか、人間か、人間なのか?と小一時間考え込んでしまう私ですが、人間も、本当によいところがある、と結局は信じているようです。
ではそれは、例のコマーシャルのような、お日様照り照りの博愛主義なのか? いやそうじゃない。そうじゃないよ。
しかしこの手の話は長い廻りくどいの王道、王の道の門、あるいは阿片窟の入り口のようなものなので、回避しましょう。
私だってね、学習能力くらいあるのですよ!
そんなわけで、散ってしまった桜の写真。
桜は散っても、私のブログという狭い世界の中では、咲き続けるのだ。
WEBというシステムが続く限り。
限りはあるけど、続く限り。
疎水に水を放流する音が、住まいから毎日聞こえていて、水面に垂れ下がる桜。絵になる。なりすぎる。
水門。けっこうな勢いなのですが、通るたびに足を止めてしまうのは、なにか、危険な兆しでしょうか。
葉っぱや紙でお船を作ってね、流してもね、追いつけないですね、きっとね。
水の貯めてある脇にあるレンガの藤棚。多分藤棚だと思うけれど、ここでの季節はまだ、はじまったばかりです。
ガジュマルによくある「絞め殺し」の枝ぶりがレンガと合っていて素敵。夜の散歩の一息スポット。というか家から二分とかからない場所で一息ついちゃう私たちってば。
ところ変わって高瀬川。なんか伏見の方から届く米俵とか酒樽とかが船に乗ってます。酔っ払ってたら跳び移ってしまいそう。ここも散歩圏内ですが、ほろ酔い危険地域ですね。
花は美しい。無条件に。そして何も言わない。文句も愚痴も、自尊心を傷つけるようなことも。
だから穏やかにながめてりゃいいんでしょうが、私、先日もツイッターで書いたように、桜は怖いのです。
文学的、情緒的、思い出的、記憶的、虚言的、に。あらゆる要素が重なっているのもあるけれど、そんなことよりね。
桜って、決して無言ではないんだもの。
植物がしゃべらないなんて、人間の世界のファンタジーなのですよ。
桜が怖いのは、囁きが折り重なって、小さな小さな無数の声がどこまでも続いているから。
咲き誇る僅かな時間に呟いている。小さな声が私の耳に目に鼻に口に、入ってくる入ってくる。
そんな濃い囁きに囲まれたら、息を押し殺して、うつむいて歩くしかないじゃないですか。
夜はずっと親密に、用心深く、けれど大胆な内容のひそひそ話をしているし。
夜桜の下で、私は赤面です。
桜の儚さと、かしましさ、大胆さには、毎年参ってしまうのでした。
けれど今年の桜たちの囁きは、いつもより、無邪気で優しかった。
そんな気がしています。
また来年ね。
2011年4月26日火曜日
2011年4月4日月曜日
はじめましてふるさと。
3月に更新できたのが一回で、しかもあのタイミングだけだったということは、いたしかたないし、しかたない。
しかし私は昨年の夏から冬にかけて、ちょっとした教訓をこの貧乳に刻みつけたのであって、そのひとつが「しかたない」のはしかたないじゃんっていうのは、しかたないからやめようよ、ということなのでした。
起きてしまった物事に対し、しかたないしかたない、言うのはほんとしかたない。
この先をなんも変えられへんくてまたしかたないを言うハメになる。
同じことを繰り返すのも人の子、習慣になれば日々もまた楽し、ですがね。
今はもうそんなのんべんだらりとした事を言っていられる場合じゃないのは、なにも、震災のせいだけじゃない。
もうみんな、だいぶ前から、いろんなこと感じてたし、うすうすわかってたはず。
とまあ私は自分が生きてく中でつかんだ教訓のようなものを是が非でも他者に共有してもらわなければ息もできないほどの、運動家でもマッチョイストでもないのですし、「しかたないをやめる」と同時にやってきた御言葉は「覚悟」だったのでした。
覚悟っつっても、そもそもの神経質に摩擦をかけて黒板爪でひっかいて、不快音が逆に快感みたいな倒錯行為をするのがどんな結果をもたらすのかは火を見るより明らかなので、ハチマキ巻いて飛行機乗るといかいう覚悟ではなくむしろ逆。
追い詰めて追い詰めて生きたところで、生は生。
そのどうしようもなさを嘆かないという覚悟だし、選んだハッピーがさらなるハッピーをもたらす事を求めるのではなく、ハッピーは作れる可愛いは作れるみたいな(なんか聞いたことあるけど、なんのCMですか)とか、ハッピーだけを見てるなんて無理、人間いろんなものをいろんな穴から流してそれでも一緒にいられるかっていうことだよねと幾原さんがツィートしててそんなんもうほんま随分前から身にしみてるよ、とか、あまりにプライベートなことなのでちょっと今日は書かないけど、そんなことよりこの文章なんとかならんかというのを、引っ越してしかも私の荷物はこれから引っ越すというのに、つないだノートパソコンがまだ連れ合いの本の詰まった段ボールに乗ってるせいにしていいですか、だめですか。
だめそうなので、写真に頼ります。甘えさせてね日光写真。うそぴょん、ただの写メですよ。
私は梅の花が好きなのです。桜については色々思うところがあるのですが、梅は単純に強い。空に負けない。けれど今年はわやわやのうちに梅をじっと睨む間もなかったですよ。一瞬の隙をついて空をあおいで撮ったのだ。一瞬て。なんだこのイミフな多忙パフォ。
でも今年の桜はかなり待ってた感があるので、うれしいけれど、まだちらほら咲きです。新居は鴨川にも疎水にも近く、水と桜に囲まれていますので、これからも心地良い風景をお届けできれば、と思います。とりあえずは近所の柳。
この大きな柳のそばを通ると、なんかふっとします。大きいから柳の垂れてる葉も長くて、なんつうか、時間が、一時間が一分が一秒が、いつもより長く感じる。そして風にそよぐと時もそよぐ。時という直線的なものが軟体になっている不思議を味わえるので、私はこの場所を通るのが好き。
メトロというクラブが近くにあって、京都に移り住んで間もない頃、ぼわんとした耳で朝焼けを見たのもこの柳の下だった。あの頃京都はまだ旅先だったのに、いつの間にか私の故郷のひとつになった。私はこの新しい故郷で、連れ合いと天気のいい日、サンドイッチを作って食べるつもり。柳の下で、下戸の連れ合いをさしおいて、暖かい休日の昼間に、昼間から、白ワインを飲むつもり。
はじめましての、ふるさとで。
私はワインを飲むつもり。
世界中の場所は、どこもかしこも、みんな誰かのふるさとなんだ。
しかし私は昨年の夏から冬にかけて、ちょっとした教訓をこの貧乳に刻みつけたのであって、そのひとつが「しかたない」のはしかたないじゃんっていうのは、しかたないからやめようよ、ということなのでした。
起きてしまった物事に対し、しかたないしかたない、言うのはほんとしかたない。
この先をなんも変えられへんくてまたしかたないを言うハメになる。
同じことを繰り返すのも人の子、習慣になれば日々もまた楽し、ですがね。
今はもうそんなのんべんだらりとした事を言っていられる場合じゃないのは、なにも、震災のせいだけじゃない。
もうみんな、だいぶ前から、いろんなこと感じてたし、うすうすわかってたはず。
とまあ私は自分が生きてく中でつかんだ教訓のようなものを是が非でも他者に共有してもらわなければ息もできないほどの、運動家でもマッチョイストでもないのですし、「しかたないをやめる」と同時にやってきた御言葉は「覚悟」だったのでした。
覚悟っつっても、そもそもの神経質に摩擦をかけて黒板爪でひっかいて、不快音が逆に快感みたいな倒錯行為をするのがどんな結果をもたらすのかは火を見るより明らかなので、ハチマキ巻いて飛行機乗るといかいう覚悟ではなくむしろ逆。
追い詰めて追い詰めて生きたところで、生は生。
そのどうしようもなさを嘆かないという覚悟だし、選んだハッピーがさらなるハッピーをもたらす事を求めるのではなく、ハッピーは作れる可愛いは作れるみたいな(なんか聞いたことあるけど、なんのCMですか)とか、ハッピーだけを見てるなんて無理、人間いろんなものをいろんな穴から流してそれでも一緒にいられるかっていうことだよねと幾原さんがツィートしててそんなんもうほんま随分前から身にしみてるよ、とか、あまりにプライベートなことなのでちょっと今日は書かないけど、そんなことよりこの文章なんとかならんかというのを、引っ越してしかも私の荷物はこれから引っ越すというのに、つないだノートパソコンがまだ連れ合いの本の詰まった段ボールに乗ってるせいにしていいですか、だめですか。
だめそうなので、写真に頼ります。甘えさせてね日光写真。うそぴょん、ただの写メですよ。
私は梅の花が好きなのです。桜については色々思うところがあるのですが、梅は単純に強い。空に負けない。けれど今年はわやわやのうちに梅をじっと睨む間もなかったですよ。一瞬の隙をついて空をあおいで撮ったのだ。一瞬て。なんだこのイミフな多忙パフォ。
でも今年の桜はかなり待ってた感があるので、うれしいけれど、まだちらほら咲きです。新居は鴨川にも疎水にも近く、水と桜に囲まれていますので、これからも心地良い風景をお届けできれば、と思います。とりあえずは近所の柳。
この大きな柳のそばを通ると、なんかふっとします。大きいから柳の垂れてる葉も長くて、なんつうか、時間が、一時間が一分が一秒が、いつもより長く感じる。そして風にそよぐと時もそよぐ。時という直線的なものが軟体になっている不思議を味わえるので、私はこの場所を通るのが好き。
メトロというクラブが近くにあって、京都に移り住んで間もない頃、ぼわんとした耳で朝焼けを見たのもこの柳の下だった。あの頃京都はまだ旅先だったのに、いつの間にか私の故郷のひとつになった。私はこの新しい故郷で、連れ合いと天気のいい日、サンドイッチを作って食べるつもり。柳の下で、下戸の連れ合いをさしおいて、暖かい休日の昼間に、昼間から、白ワインを飲むつもり。
はじめましての、ふるさとで。
私はワインを飲むつもり。
世界中の場所は、どこもかしこも、みんな誰かのふるさとなんだ。
2011年3月24日木曜日
二週間経ったら。
明日で二週間になります。
被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
二週間経てば、少しは心が落ち着くかな、と思っているのですが、明日の心が今日はまだ、わかりません。重低音のように精神的ショックが続いているけれど、それでも明日は来るのだから、今は一日一日を大切に過ごしています。
あの日、私は東京に行く予定だったのですが、新幹線に乗るため京都駅に向かう直前、連絡が入りました。京都でも揺れはあったのですが、私はトレーニングスタジオにいて、床と鏡とダウンライトしかないような所だったので、感じなかったのです。その後も出かけていたし、どちらにせよ家にはテレビもないので、事態の深刻さを知りませんでした。
止まってしまった新幹線と、山手線全線不通っぽい、というのんで、東京でお会いする予定だった方に「ちょっと無理ですか?」なんて気楽なメールを送っていました。
家に帰ってもなかなか状況がわからず、ツイッターでただ事ではない様子を知り、朝方までタイムラインを追っていました。電話は駄目そうだし東北の友人に数件した携帯メールもレスがない。サッーとすごい速さで走るTLを追うのが精一杯でした。
翌日行く予定だった高円寺のライブハウスが都内の帰宅難民を受け入れているとか、様々な情報の中で、なるべく有益だと思うものをRTしていました。誰に有益なのかもわからないし、あの速さの中でTLを埋めるべきなのか迷いながら。
朝になってか、とりあえず東北関東方面のフォロワーの方にリプライやDMしたり、TL上にいらっしゃる方の安否は確認できたりしました。ツイッターにいない人にはまだ繋がりませんでした。こんなにツイッターに人や情報が集まってきたらダウンしないか、という不安もその時は気がつかないくらい、ツィート読むのに必死でした。そして、家族友人はネットで繋がっていない割合のほうが多いので、だんだん不安になって。
NHKがUSTで見られるようになって、呆然としました。
100枚ちょっと超えそうな作品を80枚までくらい書いていたのですが、三日間は何も書けませんでした。というか、そこまで書いたものすら、無意味に思え。
沢山の方があの日、日本のどこかで、あの出来事に遭遇したわけで、そのうちの一つの話です。私に関しては、これ以上長々書く必要はないと思うので、やめておきます。
事態が刻々と変化する中、多くの情報があり、毎日考えてしまいます。
そんな中、他の人がどんな気持ちでいるのか、何を思っているのかを、WEBで触れられることには良い面も沢山あります。
以下に私が触れたものの中から、いくつかをご紹介します。
*破滅派の高橋さんのエントリ「ある同人の震災」
仙台在住の同人の方が、ろうそくの明かりで読んでいたというカズオ・イシグロ『私を離さないで』はとても印象的な作品です。私を、離さないで。こんな時に改めて本の背表紙を眺めてみると、沢山の人の言葉が寄り添っているようなタイトルだと読めてしまいました。
そしてこの出来事に対するショックを「傷ついた」という言葉で表現されていて、ああ、そう、みんな傷ついているんだと、私自身どう表現していいかわからない感情に触れられた気がしました。
*同じく破滅派同人、アサミ・ラムジフスキーさんが、震災二日後の十三日に書かれた「帰り道に立っているよ」。交通手段のなくなった東京で帰宅し、帰り着いたご自宅の描写をされています。高橋さんのエントリでもありましたが、こんな時は本当に何を書いたらいいのかわかりません。それはモノを書く人に限った事ではないし、みんな語ることもできない事がありすぎるのではないでしょうか。それでも、書くことで自分の輪郭を保っている、という言葉が心に残りました。
*名古屋駅、シネマスコーレ側のカフェ「ロジウラのマタハリ」のりりこさんが書かれた「楽しく仕事をしていけるために」と「今日という日」。お店の売り上げを義援金にされるにあたってのお考えです。特殊な状況の中で、なるべく「普通に」美味しくご飯を食べて頂くお仕事を毎日変わらず続け、それで出来る事をする、というかせざるをえない気持ちになっちゃうというの、共鳴しました。いつもと同じ仕事を続けたい、どうしたって「普通」でなどありえないけれど、「特別」ではないのかも知れない。それぞれの痛みや傷を負ったそれぞれの人が、元気になって、日々を暮らしていく。する側される側、ではなくなんか、それぞれの当事者なんだと思いました。
*義援金に関しては、ツイッターでも回したのだけれど、入谷聡さんのブログ「どこに寄付をしたらどこにお金が行くのか」
被災していない者が、「焦らない」「煽らない」のはもちろんだと思いますが、「何をすべきか、いったい何ができるのか」と、無力感にとらわれたり、それぞれの仕事を背負いつつ、それでもできることを考えてる方も多いのではないでしょうか。
とりあえず今のところ私が即座にできることは金銭的支援かなと。一度に寄付できる金額は些細ですが、細々とであれ長期的継続的に支援する上で、どこにどのようにお金を送るか、どう使われるかを知っておきたかったので、とても参考になりました。
あと関西に暮らす者としては、友人知人が避難疎開してきた場合に備え、引っ越したばかりの家を片付けることかな。この状況下でモノが多いとぼやく事は「不謹慎」なのかも知れませんが、ほんとにもうえらいことでした。この顛末がオモシロおかしく書ける気持ちを、取り戻したいと思ったりもしてます。
ただ、今ちょっと困ってるのが、引っ越してテレビをつないだのに、せっかくあるのに、見てるとなんかもういろいろしんどいって事です。
*「大友良英のJAMJAM日記」
飴屋法水さんとのお話やJOJO広重さんの「いつか、音楽が聞こえてくるから」に対する回答。音楽、表現、そして仕事をする、というのんを、上記貼り付けさせていただいた記事と共に考えました。大友さんにはいつもヒントを頂いてる気がします。
*最後に、これもツイッターで回っていたので、読んだ方は多いかもしれませんが。
ビートたけしさんの「週間ポスト」における発言を抜粋掲載された方がいらっしゃいました。
「言葉を奪う状況」で言葉を発する事は、ほんとに難しいけれど、ここに貼らせていただいた皆さんの言葉が、私にはしっかり届きました。
私は私の届けられるものを、届けたいと思っています。
被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
二週間経てば、少しは心が落ち着くかな、と思っているのですが、明日の心が今日はまだ、わかりません。重低音のように精神的ショックが続いているけれど、それでも明日は来るのだから、今は一日一日を大切に過ごしています。
あの日、私は東京に行く予定だったのですが、新幹線に乗るため京都駅に向かう直前、連絡が入りました。京都でも揺れはあったのですが、私はトレーニングスタジオにいて、床と鏡とダウンライトしかないような所だったので、感じなかったのです。その後も出かけていたし、どちらにせよ家にはテレビもないので、事態の深刻さを知りませんでした。
止まってしまった新幹線と、山手線全線不通っぽい、というのんで、東京でお会いする予定だった方に「ちょっと無理ですか?」なんて気楽なメールを送っていました。
家に帰ってもなかなか状況がわからず、ツイッターでただ事ではない様子を知り、朝方までタイムラインを追っていました。電話は駄目そうだし東北の友人に数件した携帯メールもレスがない。サッーとすごい速さで走るTLを追うのが精一杯でした。
翌日行く予定だった高円寺のライブハウスが都内の帰宅難民を受け入れているとか、様々な情報の中で、なるべく有益だと思うものをRTしていました。誰に有益なのかもわからないし、あの速さの中でTLを埋めるべきなのか迷いながら。
朝になってか、とりあえず東北関東方面のフォロワーの方にリプライやDMしたり、TL上にいらっしゃる方の安否は確認できたりしました。ツイッターにいない人にはまだ繋がりませんでした。こんなにツイッターに人や情報が集まってきたらダウンしないか、という不安もその時は気がつかないくらい、ツィート読むのに必死でした。そして、家族友人はネットで繋がっていない割合のほうが多いので、だんだん不安になって。
NHKがUSTで見られるようになって、呆然としました。
100枚ちょっと超えそうな作品を80枚までくらい書いていたのですが、三日間は何も書けませんでした。というか、そこまで書いたものすら、無意味に思え。
沢山の方があの日、日本のどこかで、あの出来事に遭遇したわけで、そのうちの一つの話です。私に関しては、これ以上長々書く必要はないと思うので、やめておきます。
事態が刻々と変化する中、多くの情報があり、毎日考えてしまいます。
そんな中、他の人がどんな気持ちでいるのか、何を思っているのかを、WEBで触れられることには良い面も沢山あります。
以下に私が触れたものの中から、いくつかをご紹介します。
*破滅派の高橋さんのエントリ「ある同人の震災」
仙台在住の同人の方が、ろうそくの明かりで読んでいたというカズオ・イシグロ『私を離さないで』はとても印象的な作品です。私を、離さないで。こんな時に改めて本の背表紙を眺めてみると、沢山の人の言葉が寄り添っているようなタイトルだと読めてしまいました。
そしてこの出来事に対するショックを「傷ついた」という言葉で表現されていて、ああ、そう、みんな傷ついているんだと、私自身どう表現していいかわからない感情に触れられた気がしました。
*同じく破滅派同人、アサミ・ラムジフスキーさんが、震災二日後の十三日に書かれた「帰り道に立っているよ」。交通手段のなくなった東京で帰宅し、帰り着いたご自宅の描写をされています。高橋さんのエントリでもありましたが、こんな時は本当に何を書いたらいいのかわかりません。それはモノを書く人に限った事ではないし、みんな語ることもできない事がありすぎるのではないでしょうか。それでも、書くことで自分の輪郭を保っている、という言葉が心に残りました。
*名古屋駅、シネマスコーレ側のカフェ「ロジウラのマタハリ」のりりこさんが書かれた「楽しく仕事をしていけるために」と「今日という日」。お店の売り上げを義援金にされるにあたってのお考えです。特殊な状況の中で、なるべく「普通に」美味しくご飯を食べて頂くお仕事を毎日変わらず続け、それで出来る事をする、というかせざるをえない気持ちになっちゃうというの、共鳴しました。いつもと同じ仕事を続けたい、どうしたって「普通」でなどありえないけれど、「特別」ではないのかも知れない。それぞれの痛みや傷を負ったそれぞれの人が、元気になって、日々を暮らしていく。する側される側、ではなくなんか、それぞれの当事者なんだと思いました。
*義援金に関しては、ツイッターでも回したのだけれど、入谷聡さんのブログ「どこに寄付をしたらどこにお金が行くのか」
被災していない者が、「焦らない」「煽らない」のはもちろんだと思いますが、「何をすべきか、いったい何ができるのか」と、無力感にとらわれたり、それぞれの仕事を背負いつつ、それでもできることを考えてる方も多いのではないでしょうか。
とりあえず今のところ私が即座にできることは金銭的支援かなと。一度に寄付できる金額は些細ですが、細々とであれ長期的継続的に支援する上で、どこにどのようにお金を送るか、どう使われるかを知っておきたかったので、とても参考になりました。
あと関西に暮らす者としては、友人知人が避難疎開してきた場合に備え、引っ越したばかりの家を片付けることかな。この状況下でモノが多いとぼやく事は「不謹慎」なのかも知れませんが、ほんとにもうえらいことでした。この顛末がオモシロおかしく書ける気持ちを、取り戻したいと思ったりもしてます。
ただ、今ちょっと困ってるのが、引っ越してテレビをつないだのに、せっかくあるのに、見てるとなんかもういろいろしんどいって事です。
*「大友良英のJAMJAM日記」
飴屋法水さんとのお話やJOJO広重さんの「いつか、音楽が聞こえてくるから」に対する回答。音楽、表現、そして仕事をする、というのんを、上記貼り付けさせていただいた記事と共に考えました。大友さんにはいつもヒントを頂いてる気がします。
*最後に、これもツイッターで回っていたので、読んだ方は多いかもしれませんが。
ビートたけしさんの「週間ポスト」における発言を抜粋掲載された方がいらっしゃいました。
「言葉を奪う状況」で言葉を発する事は、ほんとに難しいけれど、ここに貼らせていただいた皆さんの言葉が、私にはしっかり届きました。
私は私の届けられるものを、届けたいと思っています。
ラベル:
2011年3月11日
2011年2月24日木曜日
引越し・アマレット・ポジティブ
笙野頼子の『居場所もなかった』(講談社 1993)は引越し小説です。
鳥はいいなあ、住民票がいらない。(P11)
というように、作家という社会的には「なにをやっているのかよくわからない」つまりは所得証明とか屋号とかね、色々会社勤めとは異なるかたちで「何者なのかはっきりさせねばならない」作者の、住む場所探しにまつわるお話ですが、いつもどおり怒ってます。
作者の他作品における怒りや、男性社会云々についてはちょっとつっこむ体力が私、ないです。ただ「住む場所探し」と「何者か」問題に関しては、大いに興味があるところ。切実だという点でもね。学校、とか、会社、という属性をなくすと世の中は思った以上にメンドクサイです。
私も十代の頃から「住む場所探し」においては「何者か」を説明する用意をしなければならなかったのですが、「なんとかする」っていうのが生きるって事にはふんだんに含まれている。現実に対する不満と共に「なんとかする」を並行に進めてく。そんなよくある学びの洗礼をうけた程度の話です。
この小説の面白さは「なんとかする」をしようとする中での怒りが、作品に昇華する醍醐味です。ぱらぱらと読み返してみました。
暴走族やトラックの騒音に対する怒りボルテージ。騒音とは、騒音を出す側がこちらの拒否を押してでも関わりたいという意思表示ではないかとし、「暴走族の愛だ。ライフルの愛でこたえてあげなくてはならないのか・・・・・・」と、相手を打ち落とす妄想をする。(大意)
そんな描写があるのですが、怒りを愛と変換するという怒りの大きさ。
私はさ、なんだかこの怒りと寂しさに共感しきる事も同情する事も笑う事もできず、ただ一人の部屋で煩悶する女の姿を思うとページをめくる手が止まらなかったです。読むっていうのはなんてこと、読んでいる自分のイヤラシさや残酷さを感じもするけど、まあそれは別の話。
他にもさまざま、「何者なのかよくわからない」立場の人間が住処をさがすときのタイヘンさと怒りボルテージが細部にわたり書き込まれています。
大家との面接審査に際し「適した」服装を不動産屋から提案されたり、イギリスでは無職が一番尊敬されるとか嫌味を言われたり、才能があって素晴らしいことですが家賃がとぎれたらどうするの、そもそも暗い人は大家に好かれない、暗くて芯が強いなんて最悪で交渉すらできない、などなど、部屋ひとつ借りるのでここまでの人権侵害。
酷いよね。沢山の人が怒りを感じるのは無理もない。
でもさ、怒って変わる物事って実はそもそも脆弱なのかもしれない。
確かに属性がないのはメンドクサイ。でもそれを要請され「なんとかする」を繰り返してみて、私は本当に属性がないのかしら、と思った。ていうか、自分はどこにも属していない=「居場所がない」のはそうなんだけど、それ嘆いていてもしょうがない。だってあらゆるメンドクサさのうちの一つを引き受けてるわけなんだから。で、会社とか学校という類の属性はないわけなんだけど、もういいや、属性がないことに固執するのもバカらしいし、なんらか通用する属性を作っちゃえ。それを名刺のように提示する。それくらいの虚実の不条理さに耐える程度には自分を鍛えねばと思った。
そうして虚言のような戯言のようなぺらぺらの紙をふりかざして、切り抜けてみて、別にそれだって私の属性の一つではないのか、と。
それにさ。
問題は、属性なんかじゃない。
「居場所もなかった」というのはそんな紙の切れ端のようなもんでどうにかなる感覚ではないのだから。
なんて、随分前に読んだ本の話をしているのはですね。
私がまたもや、引越し、をするからであります。
京都在住十年目にして、七回目。頭おかしいですね。しかも現在色々重なってて忙しい時期なのですが、もう引越しっていうのは私にとって、メンドクサイを通り過ぎた何かになっているのでしょう。人生においてはトータルで何回しているのか数えたくもありません。
でも今回引越しをするのは、「もうしばらく引越しなんかしない」為、なのかも知れません。
「居場所もなかった」と「属性」と「住む」というテーマは今ぐるりと巡って、一つの束になろうとしています。
まぁ引越し好きの物件マニア、交渉マニアであるのは事実で、次回はも少し軽い感じで、「京都物件事情」「デザイン?オア習慣?」「シェア?オア共同生活?」「住まうという運動(←確かなんかのパクリ)」「私の引越しサーガ(そんなこと知りたい人いるか疑問)」などといった内容について書こうと思っています。こんなタイトルだけなら、湖の底から出てきた奴が銀の斧を大量に投げつけるがごとく湧いてきます。
ともあれ。
メンドクサイ手続きをしつつ、居場所なんて、居場所なんて、見つけるし作るんだもん。
鳥はいいなあ、住民票がいらない。(P11)
というように、作家という社会的には「なにをやっているのかよくわからない」つまりは所得証明とか屋号とかね、色々会社勤めとは異なるかたちで「何者なのかはっきりさせねばならない」作者の、住む場所探しにまつわるお話ですが、いつもどおり怒ってます。
作者の他作品における怒りや、男性社会云々についてはちょっとつっこむ体力が私、ないです。ただ「住む場所探し」と「何者か」問題に関しては、大いに興味があるところ。切実だという点でもね。学校、とか、会社、という属性をなくすと世の中は思った以上にメンドクサイです。
私も十代の頃から「住む場所探し」においては「何者か」を説明する用意をしなければならなかったのですが、「なんとかする」っていうのが生きるって事にはふんだんに含まれている。現実に対する不満と共に「なんとかする」を並行に進めてく。そんなよくある学びの洗礼をうけた程度の話です。
この小説の面白さは「なんとかする」をしようとする中での怒りが、作品に昇華する醍醐味です。ぱらぱらと読み返してみました。
暴走族やトラックの騒音に対する怒りボルテージ。騒音とは、騒音を出す側がこちらの拒否を押してでも関わりたいという意思表示ではないかとし、「暴走族の愛だ。ライフルの愛でこたえてあげなくてはならないのか・・・・・・」と、相手を打ち落とす妄想をする。(大意)
そんな描写があるのですが、怒りを愛と変換するという怒りの大きさ。
私はさ、なんだかこの怒りと寂しさに共感しきる事も同情する事も笑う事もできず、ただ一人の部屋で煩悶する女の姿を思うとページをめくる手が止まらなかったです。読むっていうのはなんてこと、読んでいる自分のイヤラシさや残酷さを感じもするけど、まあそれは別の話。
他にもさまざま、「何者なのかよくわからない」立場の人間が住処をさがすときのタイヘンさと怒りボルテージが細部にわたり書き込まれています。
大家との面接審査に際し「適した」服装を不動産屋から提案されたり、イギリスでは無職が一番尊敬されるとか嫌味を言われたり、才能があって素晴らしいことですが家賃がとぎれたらどうするの、そもそも暗い人は大家に好かれない、暗くて芯が強いなんて最悪で交渉すらできない、などなど、部屋ひとつ借りるのでここまでの人権侵害。
酷いよね。沢山の人が怒りを感じるのは無理もない。
でもさ、怒って変わる物事って実はそもそも脆弱なのかもしれない。
確かに属性がないのはメンドクサイ。でもそれを要請され「なんとかする」を繰り返してみて、私は本当に属性がないのかしら、と思った。ていうか、自分はどこにも属していない=「居場所がない」のはそうなんだけど、それ嘆いていてもしょうがない。だってあらゆるメンドクサさのうちの一つを引き受けてるわけなんだから。で、会社とか学校という類の属性はないわけなんだけど、もういいや、属性がないことに固執するのもバカらしいし、なんらか通用する属性を作っちゃえ。それを名刺のように提示する。それくらいの虚実の不条理さに耐える程度には自分を鍛えねばと思った。
そうして虚言のような戯言のようなぺらぺらの紙をふりかざして、切り抜けてみて、別にそれだって私の属性の一つではないのか、と。
それにさ。
問題は、属性なんかじゃない。
「居場所もなかった」というのはそんな紙の切れ端のようなもんでどうにかなる感覚ではないのだから。
なんて、随分前に読んだ本の話をしているのはですね。
私がまたもや、引越し、をするからであります。
京都在住十年目にして、七回目。頭おかしいですね。しかも現在色々重なってて忙しい時期なのですが、もう引越しっていうのは私にとって、メンドクサイを通り過ぎた何かになっているのでしょう。人生においてはトータルで何回しているのか数えたくもありません。
でも今回引越しをするのは、「もうしばらく引越しなんかしない」為、なのかも知れません。
「居場所もなかった」と「属性」と「住む」というテーマは今ぐるりと巡って、一つの束になろうとしています。
まぁ引越し好きの物件マニア、交渉マニアであるのは事実で、次回はも少し軽い感じで、「京都物件事情」「デザイン?オア習慣?」「シェア?オア共同生活?」「住まうという運動(←確かなんかのパクリ)」「私の引越しサーガ(そんなこと知りたい人いるか疑問)」などといった内容について書こうと思っています。こんなタイトルだけなら、湖の底から出てきた奴が銀の斧を大量に投げつけるがごとく湧いてきます。
ともあれ。
メンドクサイ手続きをしつつ、居場所なんて、居場所なんて、見つけるし作るんだもん。
2011年2月7日月曜日
見慣れちまった悲しみに
二月に入って時々暖かい日も訪れるようになりましたが、まだまだ冬ボックスの中ですね。皆さんお元気でしょうか。私は風邪ひいて治りかけてまたひいて治りかけたりしています。
日常がどうあれブログの更新と排水溝の掃除は定期的にしたいと思うこの頃です。喩えっていうのは幅が広すぎるので、排水溝なんて書いたらブログに汚水を流し込んでるみたいやんかと自分の文章を深読みしすぎて右にも左にも動けなくなりました。
言葉通りの意味で受け止めていただけるとうれしいです。ブログの更新と排水溝の掃除とまな板の除菌は定期的に行いたいものです。
というわけで、ブログのテンプレなどを先月さりげに変えました。そしてこのエントリの下書き、日付が一月24日になっています。二週間近く経ってらぁ。怖いよう。
そしてもっと怖いのは、見慣れちまった愛着という悲しみでしょう。
私のブログは更新の間隔が広いくせに一回のエントリが長い、話がくどい、話が長い、話が回りくどい、論理崩壊してるのになんか説教くさい、時々不気味なほど感傷的、などなど色々ご意見をうかがっています。まあ長いとかくどいとかは性格に起因する部分も多くて、ある程度生きちゃってるともうどうしようもないかな、と思うのですがまだ治りますでしょうか?
ともあれ、文字の大きさや数字の書体など色々気になっていることがあったので、テンプレごと設定を手直ししたのですが、見慣れちまった悲しみは大きかったです。
ブロガーさんはシンプルでガジェットの移動などデザイン変更しやすいところが好きですので、画像取り込みなどはせずにシンプル背景を活かしたい、という基本姿勢に変化はありません。
しかし、変化なさすぎだろこれ。
背景とか構成、変えるんだったらもっと変えろよ。
しかしこれでもテンプレ自体変更してますし、アドバンスにいたっては細かくいじってます。
誤字、固有名詞の誤入力が多いので、取り消し線の導入、タグ画面自体の入力文字を大きくするなどセルフモラル向上委員会も設置してハチマキまいたり旗振ったりしてました。
けれど途中で、「限りなく元のデザインに近づけようとしているブルー」に気がついてしまったのです。まだ君を思い出とは呼びたくないんだとか言いながら作業を続行し、結果このような、なんか字はでかくなってるけど全体の印象はかわんない、というデザイン更新になっております。
一回好きになったらずっと好きよ。
この一人上意下達的人生の指針がここでも活きまくっていますが、マンネリズムとの戦いはどうするんだ。生きとし生けるものはすべて移ろいゆく、だから寂しくなんてないんだよ、と自分を慰めてきたけれど、変化ゆえのお別れだってあるのです。
まぁ、とりあえず、また長いとか言われますのでこのへんにしときます。長いくどい問題も変化しなくていい、なんて上から目線であぐらなど、かいていませんよ。
日常がどうあれブログの更新と排水溝の掃除は定期的にしたいと思うこの頃です。喩えっていうのは幅が広すぎるので、排水溝なんて書いたらブログに汚水を流し込んでるみたいやんかと自分の文章を深読みしすぎて右にも左にも動けなくなりました。
言葉通りの意味で受け止めていただけるとうれしいです。ブログの更新と排水溝の掃除とまな板の除菌は定期的に行いたいものです。
というわけで、ブログのテンプレなどを先月さりげに変えました。そしてこのエントリの下書き、日付が一月24日になっています。二週間近く経ってらぁ。怖いよう。
そしてもっと怖いのは、見慣れちまった愛着という悲しみでしょう。
私のブログは更新の間隔が広いくせに一回のエントリが長い、話がくどい、話が長い、話が回りくどい、論理崩壊してるのになんか説教くさい、時々不気味なほど感傷的、などなど色々ご意見をうかがっています。まあ長いとかくどいとかは性格に起因する部分も多くて、ある程度生きちゃってるともうどうしようもないかな、と思うのですがまだ治りますでしょうか?
ともあれ、文字の大きさや数字の書体など色々気になっていることがあったので、テンプレごと設定を手直ししたのですが、見慣れちまった悲しみは大きかったです。
ブロガーさんはシンプルでガジェットの移動などデザイン変更しやすいところが好きですので、画像取り込みなどはせずにシンプル背景を活かしたい、という基本姿勢に変化はありません。
しかし、変化なさすぎだろこれ。
背景とか構成、変えるんだったらもっと変えろよ。
しかしこれでもテンプレ自体変更してますし、アドバンスにいたっては細かくいじってます。
誤字、固有名詞の誤入力が多いので、取り消し線の導入、タグ画面自体の入力文字を大きくするなどセルフモラル向上委員会も設置してハチマキまいたり旗振ったりしてました。
けれど途中で、「限りなく元のデザインに近づけようとしているブルー」に気がついてしまったのです。まだ君を思い出とは呼びたくないんだとか言いながら作業を続行し、結果このような、なんか字はでかくなってるけど全体の印象はかわんない、というデザイン更新になっております。
一回好きになったらずっと好きよ。
この一人上意下達的人生の指針がここでも活きまくっていますが、マンネリズムとの戦いはどうするんだ。生きとし生けるものはすべて移ろいゆく、だから寂しくなんてないんだよ、と自分を慰めてきたけれど、変化ゆえのお別れだってあるのです。
まぁ、とりあえず、また長いとか言われますのでこのへんにしときます。長いくどい問題も変化しなくていい、なんて上から目線であぐらなど、かいていませんよ。
2011年1月19日水曜日
恐山、いきたい
恐山に行きたいです。
夏が好きです。元気です。
じゃあ冬は嫌いなのかと言われると、そうじゃない。寒いの苦手だけど。
冬が嫌いだからって夏が好きという論理展開は「否定快楽原則」です。知りませんか?知りませんよね、4年位前に私がつけた名前ですから。そしてこの原則に負けない!負けたくない!と4年位前に名前をつけたそばから戦う決意をしたのでした。
「否定快楽原則」のスタンダードな文脈は「冬が嫌い、ゆえに夏が好き」です。これはいくらでも応用可能だし、ちょっと難しめの本もよくよく読んでみたらこの原則、制度イデオロギーも、ていうか選挙すらこれじゃぁねーの。できたら心太は食べたくないけどカキ氷よりましだから好きだったことにするとか、この季節ならほぼ我慢大会ですね。ただ人はっていうか私はこういう心理操作をして自分を欺こうとします。泣く泣く選ぶしかないからってあたかも好きだと暗示をかける。自己防衛としては有効かもしれません。そういえば松浦理英子『親指Pの修業時代』に、好きでもない人を好きと自己暗示かけるというビジネスを考え出した女性が確か登場したけれど、ビジネスを終了させたときにどうやって自己暗示を解くのだろう。と話がずれたので。
おいといて。
生きるってことはほぼ泣く泣く選ぶ事の積み重ねなわけなので、なるべく泣く泣く選ぶしかなかったことは、泣く泣く選んだのだ、と自覚しておきたい。
私というのは、防衛がどこか破綻した国家であり、ペンタゴンとかあってもグダグダなのでしょうか。常勤職員が衛星見はってるふりしてソリティアやってるみたいな勤務態度なのでしょうか。
自己暗示かけて自己防衛するということの必要性はある程度生きてるとわかってもいいもんだけど、別に清純だとか、そんなんじゃなく、そんな生ぬるい話ではなく、ただ、国防総省はグダグダでも理念だけはでかい国、なのかも知れません。国である限り清らかとかあるわけないだろうが。手は汚してますよ。背理もありますよ。存在しているだけで他から搾取してますよ。
でもね、清らかではないにしろ、嫌いなものを否定するため反転した好きを捏造することはできん!何故なら、「私はそんなものが嫌いだからこれが好き」という文脈で好きを躍起させると、好きなものを好きでいたいのか、嫌いなものに対する否定を強調したいために別のなにかを好きなのか、その境界が濁ってくるのです。好きなものはただ好きでいたい。そして好きでないものを泣く泣く選んでしまったのは状況が原因のときも自分自身が原因のときも、どっちもありうるというキツさを忘れないでいたい。好きじゃないものを否定したり見下したりするのではなく、なんで好きじゃないんかなぁ、と時々ぼんやり考えることの方が窮屈じゃないし、ごまかすために好きを使いたくない。故に、「否定快楽原則」否定!とアジテーションしたわけです、自分に対してね。
普段の三割り増しの回りくどい文章とちょっとした暗さからもお察しいただけるように、冬はいろいろと機能が低下します。特に現実社会に対応する面。仕事営業意欲などライフラインを左右する事柄から、ゴミ出しなどのルーティーンに至るまで。しかし読書や書き物などはそうでもない、そうでもない、と言い聞かせますが、本のセレクトが偏るので気をつけねばなりません。シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』は落ち込みました。夏に読むのと手触りがまったく違う、冬には危険だとわかっていても読み返してしまう、わかっていてもこうして話がずれていく。
恐山に行きたい。
いよいよやばいのかと思われるかも知れませんが、いや実際、寒いと体がしんどいんで切実なんですが、冬の空気はキリッとせざるを得ないかんじでいいし、お風呂入った瞬間の指先びりびり感もいい。生きてる間にあと何度このかんじを味わえるのかと思ったら、なるべくこのかんじを楽しみたい。だから恐山に行きたい。
以前青森に一人旅したのは二月で、三沢の寺山修司記念館と金木町の太宰治「斜陽館」に行き、合間の温泉宿を転々としました。寺山修司記念館は朝から閉館までいて、その間私以外に一人しか来館者がなく時間が止まったような、空気が止まったような。冬はバスも運行停止なので三沢からタクシーで行くしかなかったし。五所川原から乗った津軽鉄道でおばあちゃんから車内のストーブで焼いたスルメと日本酒をもらいました。五臓六腑にしみわたる、とはあの事だと、そしておばあちゃんの深い皺が忘れられません。ヴェルレーヌのあの一節が書いてある文学碑を見に行くため「だけ」に買ったホーキンスのスノーブーツでは太刀打ちできん積雪で、あげく文学碑自体が雪に埋もれて近づけないという。
そんなことしてて、恐山には行けなかったのです。真冬の恐山。通行止めなんじゃないの?と思うし、さすがにイタコもいないと思うけど、行きたい。そして心ゆくまで「寒いわ!」と言いたい。
ていうか「否定快楽原則」とか言葉捏造する以前に、どうにかして苦手な寒さを好きになってごまかそうとしてないか、という問いが、書き出してまもなく湧きました。
しかし、寒さは苦手でも冬は嫌いじゃない。
東北の雪の美しさは格別で、音を飲む。で小さく小さくはきだしていて、光って、きれい、なのです。
季節の美しさにはいつも手が届かないし、うつろうことのどうしようもなさはどうしようもできないけど、例えば変な磁石みたいなもので四季を操れるような強大な力を持っても、たぶん春も夏も秋も冬も、めぐらせてしまうのだと思う。寒さは強烈な暖かさも運んでくれますから。
夏が好きです。元気です。
じゃあ冬は嫌いなのかと言われると、そうじゃない。寒いの苦手だけど。
冬が嫌いだからって夏が好きという論理展開は「否定快楽原則」です。知りませんか?知りませんよね、4年位前に私がつけた名前ですから。そしてこの原則に負けない!負けたくない!と4年位前に名前をつけたそばから戦う決意をしたのでした。
「否定快楽原則」のスタンダードな文脈は「冬が嫌い、ゆえに夏が好き」です。これはいくらでも応用可能だし、ちょっと難しめの本もよくよく読んでみたらこの原則、制度イデオロギーも、ていうか選挙すらこれじゃぁねーの。できたら心太は食べたくないけどカキ氷よりましだから好きだったことにするとか、この季節ならほぼ我慢大会ですね。ただ人はっていうか私はこういう心理操作をして自分を欺こうとします。泣く泣く選ぶしかないからってあたかも好きだと暗示をかける。自己防衛としては有効かもしれません。そういえば松浦理英子『親指Pの修業時代』に、好きでもない人を好きと自己暗示かけるというビジネスを考え出した女性が確か登場したけれど、ビジネスを終了させたときにどうやって自己暗示を解くのだろう。と話がずれたので。
おいといて。
生きるってことはほぼ泣く泣く選ぶ事の積み重ねなわけなので、なるべく泣く泣く選ぶしかなかったことは、泣く泣く選んだのだ、と自覚しておきたい。
私というのは、防衛がどこか破綻した国家であり、ペンタゴンとかあってもグダグダなのでしょうか。常勤職員が衛星見はってるふりしてソリティアやってるみたいな勤務態度なのでしょうか。
自己暗示かけて自己防衛するということの必要性はある程度生きてるとわかってもいいもんだけど、別に清純だとか、そんなんじゃなく、そんな生ぬるい話ではなく、ただ、国防総省はグダグダでも理念だけはでかい国、なのかも知れません。国である限り清らかとかあるわけないだろうが。手は汚してますよ。背理もありますよ。存在しているだけで他から搾取してますよ。
でもね、清らかではないにしろ、嫌いなものを否定するため反転した好きを捏造することはできん!何故なら、「私はそんなものが嫌いだからこれが好き」という文脈で好きを躍起させると、好きなものを好きでいたいのか、嫌いなものに対する否定を強調したいために別のなにかを好きなのか、その境界が濁ってくるのです。好きなものはただ好きでいたい。そして好きでないものを泣く泣く選んでしまったのは状況が原因のときも自分自身が原因のときも、どっちもありうるというキツさを忘れないでいたい。好きじゃないものを否定したり見下したりするのではなく、なんで好きじゃないんかなぁ、と時々ぼんやり考えることの方が窮屈じゃないし、ごまかすために好きを使いたくない。故に、「否定快楽原則」否定!とアジテーションしたわけです、自分に対してね。
普段の三割り増しの回りくどい文章とちょっとした暗さからもお察しいただけるように、冬はいろいろと機能が低下します。特に現実社会に対応する面。仕事営業意欲などライフラインを左右する事柄から、ゴミ出しなどのルーティーンに至るまで。しかし読書や書き物などはそうでもない、そうでもない、と言い聞かせますが、本のセレクトが偏るので気をつけねばなりません。シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』は落ち込みました。夏に読むのと手触りがまったく違う、冬には危険だとわかっていても読み返してしまう、わかっていてもこうして話がずれていく。
恐山に行きたい。
いよいよやばいのかと思われるかも知れませんが、いや実際、寒いと体がしんどいんで切実なんですが、冬の空気はキリッとせざるを得ないかんじでいいし、お風呂入った瞬間の指先びりびり感もいい。生きてる間にあと何度このかんじを味わえるのかと思ったら、なるべくこのかんじを楽しみたい。だから恐山に行きたい。
以前青森に一人旅したのは二月で、三沢の寺山修司記念館と金木町の太宰治「斜陽館」に行き、合間の温泉宿を転々としました。寺山修司記念館は朝から閉館までいて、その間私以外に一人しか来館者がなく時間が止まったような、空気が止まったような。冬はバスも運行停止なので三沢からタクシーで行くしかなかったし。五所川原から乗った津軽鉄道でおばあちゃんから車内のストーブで焼いたスルメと日本酒をもらいました。五臓六腑にしみわたる、とはあの事だと、そしておばあちゃんの深い皺が忘れられません。ヴェルレーヌのあの一節が書いてある文学碑を見に行くため「だけ」に買ったホーキンスのスノーブーツでは太刀打ちできん積雪で、あげく文学碑自体が雪に埋もれて近づけないという。
そんなことしてて、恐山には行けなかったのです。真冬の恐山。通行止めなんじゃないの?と思うし、さすがにイタコもいないと思うけど、行きたい。そして心ゆくまで「寒いわ!」と言いたい。
ていうか「否定快楽原則」とか言葉捏造する以前に、どうにかして苦手な寒さを好きになってごまかそうとしてないか、という問いが、書き出してまもなく湧きました。
しかし、寒さは苦手でも冬は嫌いじゃない。
東北の雪の美しさは格別で、音を飲む。で小さく小さくはきだしていて、光って、きれい、なのです。
季節の美しさにはいつも手が届かないし、うつろうことのどうしようもなさはどうしようもできないけど、例えば変な磁石みたいなもので四季を操れるような強大な力を持っても、たぶん春も夏も秋も冬も、めぐらせてしまうのだと思う。寒さは強烈な暖かさも運んでくれますから。
2011年1月6日木曜日
さよなら、かんりきょういく
年末年始のさまざまなイベント時期に、ブログ更新できなかったのはもちろん私がリア充だからです。
この二三週間の美しき寝乱れぶりはツイッターのPOSTで簡単に露見しちゃうんだから、怖いな、ツイッターかわいいな。
ところで、いま軽く二三週間、と書いて、実際は確実に三週間経っている恐ろしさから目をそむけようとしましたよ。数字のこういう濁し方は任意であれ無意識であれ、巧妙です。
三週間、そう、この月曜日だの水曜日だの日曜日だのが三回来るシステムは時計台が都市に出来たからっつって人間が時間に支配されたうんぬんかんぬんくらい、考えたところでどうしようもないよね。でも週に一回くらいは考えちゃうけど。
で、年末年始のさまざまなイベント時期に2010年を振りかえったり、新年の抱負を書いたりせずになにやっていたのかと言えば、ライブ、映画、映画、ライブ、リア充満載です。ていうか、手帳見ないと何日にどこ行ったかわかんないくらい!うわっ書いてて自分でむかつく。実際はゴロゴロしたり飲んだり飲まれたり、で反省して年明けすぐトレーニングに移行しちゃう小心者ぶりがさらに腹立つんだけど、実際、生きてる間はなるべく身軽くしんどくないようにいたいんだよ。
ただ、映画、ライブ、映画、映画、って、基本的に人様の表現を消費しているわけですよね。素晴らしい消費資源が沢山、読書や展覧会含めたら、私の一年なんぞ表現消費ですから、振り返ったり抱負を述べたりするまでもないかもしれないです。
と、年明け一週すぎて始めてます、振り返りです。毎度の事ながら観念と感傷と言い訳だけかもしれないけれど、エントリータイトルの管理教育はまったく関係ないかもしれないけれど、驚くべき論理ねじ曲げでたどり着くのかもしれないけれど。
年末年始気分の底なし沼からどろっとした足を踏み出そうとしている皆様と共に、私もちゃちゃっと過ぎ去りし年度と来たりし年度に線をひく。鋏をいれとく。
2010年から11年にかけてざくっとイン・アウトしたこと。
①関係性のかたちなぞ、いくらでも変わってく。それがさみしかったりやるせなかったりする時、あえて「手を離す」選択をすることで、大事な気持ちを逆に守れる、っていうこと。私小説レベルに個人的なことなんでそう書けないけど、友達、とか、家族、とかいう言葉が結局私のテーマなのだった。
②美に関する積年の疑問、「怖いものや醜いものに美しさを感じる」という感覚の反転した権力と、それでも対抗しなきゃなんない権力のありかについて。結局権力闘争そのものが無意味だと思い知った。私だって野に咲く花に美しさを感じる。でも悲しみや苦しみにも美しさを感じることがそれより高い感度なのだという視点じたい、馬鹿げてる。し、閉じてる。ひとの眼球とそこから脳につながる神経作用など、どうこうなどできないし、したって面白くもなんともない。そもそも経験だって違う。私はニーチェと同じく自分が経験しえなかったすべての経験に嫉妬するけれど、その嫉妬を楽しみたい。凝視ではない、想像力だけがその呪縛をといてくれるから、美の二分法など、それこそ「手離す」。そのうえで、美しいものはただ美しく純粋だとかいう退屈な話も手離して、飛んでみたら、めっちゃ楽しくなった。
③そう、楽しい。素晴らしい。そういうものが多すぎる。ここで所謂「新年の抱負」をビルトインする文脈に私自身が一番びびってますが、今年はね、楽しいもの、いいもの、ステキなものを、じゃんじゃん感じて伝達していきますよ。だって、それ楽しいんだもの。
そもそも、「破滅派7号」のアサミ・ラムジフスキー氏の短編、「グッバイ、ララバイ」がマジ面白かったんです。え、年はさんでまだ言っちゃうの?とか、同人が同人褒めまくってどうすんの?とかあるでしょう。わかってますから念のため年明けてもう一回読み直しましたが、寝転んで読んだって一行目から素晴らしいです。本当は年内にもう一回宣伝しまくりたかった素晴らしさを今やってるだけ。ご本人は音楽活動やあらたな展開されていて、ブログも面白いし、今更かもしれないけれど、いっぱしの読書家気取りでいる私をして、2010年かなりのヒット作品。もっと読まれるべき作品。買ってみて。私の作品ももれなく同じ雑誌にあるからじゃないよ、そうじゃないよ。むしろ恐縮で、私も精進しようと思ったのだから。
④こういう楽しさも、ネットを復活させ、ツイッターをがっつり楽しむようになって享受できた部分は大きい。「がっつり」とか「ガクブル」とかその他色々古かったり更新されたり揶揄される言葉にある力というかテンションを楽しんでいるので、それが下品とかいう話はもう無視しちゃう。まったく好みの問題で例えば「イマサラワロタ」とかはなんとなく感性が許さないから使わないだけです。下品と上品は美と醜に呼応するので、結局想像力です。べつに怒ってません。だいたい、前項の「読まれるべき作品」というのもツイッターにおける高橋源一郎氏の「読まれるべき詩」のパクリです。でもさぁ、この時代においてオリジナリティとかじゃないでしょ、剽窃で積み上げられているからって原典辿って何が面白いの?
とはいえ、もちろん原典を読む楽しさも満開ですよ。それはぜんぜん違う体験。
⑤素晴らしいものは素晴らしい。古典だろうとラノベだろうと。巨匠であろうと商業デザインであろうと。権威とお金が対立するとかドロドロであるとかいうつまらん議論をやめて、うろこばりばりの光ったものを涙のようにこぼしながら見てみる。そして感じた上で伝達する。もっとも幸福な手段が褒めることで、無論いいと思わないものを褒めることなどできません。でもいいと思わないものをわざわざゴーグルはめて探す人生など、嫌じゃ。
⑥結局言葉であって。愛してる、という言葉を発する自分を覗き込んでみるとそこには空洞しかなかった。だから、愛している、などと魍魎な言葉を乱用してはならないと痛感した若かりし日を経て、あえて愛していると言ってみたとき、本当に、真実、愛しているかどうかではなく、愛という言葉の真理ではなく、その言葉を発することによって起こる現象を愛しているのだと知った。・・・という、内田樹氏の本は沢山読んだのでどこからの引用かはっきりできませんし、誤読があるかもしれません。ただ、言葉の限界や不自由さを憂いて見せるのは、一瞬かっこいい、って思うときもあるけど、私はその言葉の無責任さ含め発してしまった共犯性、伝えてしまった故に担わなければならない罪、を背負うほうがかっこいいと思うのだった。
⑦ふわっ。まさかここまで来るとは思わなかったけれど、褒めるといえば元旦の事。土鍋買うため通過地点の八坂さんに成り行きで初詣しようかと、連れ合いと歩いてた時のこと。少し前を歩いていたおじさんが落とした手袋を、連れが小走りで拾って声かけたんだよね。人が落としたものを拾って届けるというの、色々数年体調とかしんどかったのに自然にできて、すごくいいところで。そういう要素が身近な人に沢山あるのね、と。人なんてわかりきれない。カテゴライズが想像力をしぼませるならきっぱり、反発する。年末会った友達もそうだけど、言葉で定義できない行為があるから、褒めたりなんやかんや、言葉はぐるっと本物になる。
⑧ふわわっ。限りなく予定調和的に見えるかもしれないけれどガチです。管理と教育ってすごい言葉を組み合わせたもんだなぁ、程度に思っていただけなのに、まぁ管理教育地域と認識される土地で生まれ育ったのでそれなりに思うところがないわけでもないけれど、適当につけたタイトルにねじ曲げて戻ってきた。このへんはさすがなので自分を褒めて面白い小説書こう。なぜなら、ステキだと思うことを褒めて、それがいかにステキかを伝えたい。伝える説得力を持つ意味でもいいもの書きたい。そんなことが目標であって、追い詰める教育、啓蒙、なんてさよならですよという話。ややこしくてすみません。いやべつに、ずっと前からさよならしてたのだけど。ゆとり教育とか難しい問題はあれだけど。ステキな事が沢山で、それは美醜の枠組みをさっと超える。
え、ていうか、これが振り返りと抱負ですか。
始まってるような終わってるような。ぐるぐる巡って繋がってるような。
この二三週間の美しき寝乱れぶりはツイッターのPOSTで簡単に露見しちゃうんだから、怖いな、ツイッターかわいいな。
ところで、いま軽く二三週間、と書いて、実際は確実に三週間経っている恐ろしさから目をそむけようとしましたよ。数字のこういう濁し方は任意であれ無意識であれ、巧妙です。
三週間、そう、この月曜日だの水曜日だの日曜日だのが三回来るシステムは時計台が都市に出来たからっつって人間が時間に支配されたうんぬんかんぬんくらい、考えたところでどうしようもないよね。でも週に一回くらいは考えちゃうけど。
で、年末年始のさまざまなイベント時期に2010年を振りかえったり、新年の抱負を書いたりせずになにやっていたのかと言えば、ライブ、映画、映画、ライブ、リア充満載です。ていうか、手帳見ないと何日にどこ行ったかわかんないくらい!うわっ書いてて自分でむかつく。実際はゴロゴロしたり飲んだり飲まれたり、で反省して年明けすぐトレーニングに移行しちゃう小心者ぶりがさらに腹立つんだけど、実際、生きてる間はなるべく身軽くしんどくないようにいたいんだよ。
ただ、映画、ライブ、映画、映画、って、基本的に人様の表現を消費しているわけですよね。素晴らしい消費資源が沢山、読書や展覧会含めたら、私の一年なんぞ表現消費ですから、振り返ったり抱負を述べたりするまでもないかもしれないです。
と、年明け一週すぎて始めてます、振り返りです。毎度の事ながら観念と感傷と言い訳だけかもしれないけれど、エントリータイトルの管理教育はまったく関係ないかもしれないけれど、驚くべき論理ねじ曲げでたどり着くのかもしれないけれど。
年末年始気分の底なし沼からどろっとした足を踏み出そうとしている皆様と共に、私もちゃちゃっと過ぎ去りし年度と来たりし年度に線をひく。鋏をいれとく。
2010年から11年にかけてざくっとイン・アウトしたこと。
①関係性のかたちなぞ、いくらでも変わってく。それがさみしかったりやるせなかったりする時、あえて「手を離す」選択をすることで、大事な気持ちを逆に守れる、っていうこと。私小説レベルに個人的なことなんでそう書けないけど、友達、とか、家族、とかいう言葉が結局私のテーマなのだった。
②美に関する積年の疑問、「怖いものや醜いものに美しさを感じる」という感覚の反転した権力と、それでも対抗しなきゃなんない権力のありかについて。結局権力闘争そのものが無意味だと思い知った。私だって野に咲く花に美しさを感じる。でも悲しみや苦しみにも美しさを感じることがそれより高い感度なのだという視点じたい、馬鹿げてる。し、閉じてる。ひとの眼球とそこから脳につながる神経作用など、どうこうなどできないし、したって面白くもなんともない。そもそも経験だって違う。私はニーチェと同じく自分が経験しえなかったすべての経験に嫉妬するけれど、その嫉妬を楽しみたい。凝視ではない、想像力だけがその呪縛をといてくれるから、美の二分法など、それこそ「手離す」。そのうえで、美しいものはただ美しく純粋だとかいう退屈な話も手離して、飛んでみたら、めっちゃ楽しくなった。
③そう、楽しい。素晴らしい。そういうものが多すぎる。ここで所謂「新年の抱負」をビルトインする文脈に私自身が一番びびってますが、今年はね、楽しいもの、いいもの、ステキなものを、じゃんじゃん感じて伝達していきますよ。だって、それ楽しいんだもの。
そもそも、「破滅派7号」のアサミ・ラムジフスキー氏の短編、「グッバイ、ララバイ」がマジ面白かったんです。え、年はさんでまだ言っちゃうの?とか、同人が同人褒めまくってどうすんの?とかあるでしょう。わかってますから念のため年明けてもう一回読み直しましたが、寝転んで読んだって一行目から素晴らしいです。本当は年内にもう一回宣伝しまくりたかった素晴らしさを今やってるだけ。ご本人は音楽活動やあらたな展開されていて、ブログも面白いし、今更かもしれないけれど、いっぱしの読書家気取りでいる私をして、2010年かなりのヒット作品。もっと読まれるべき作品。買ってみて。私の作品ももれなく同じ雑誌にあるからじゃないよ、そうじゃないよ。むしろ恐縮で、私も精進しようと思ったのだから。
④こういう楽しさも、ネットを復活させ、ツイッターをがっつり楽しむようになって享受できた部分は大きい。「がっつり」とか「ガクブル」とかその他色々古かったり更新されたり揶揄される言葉にある力というかテンションを楽しんでいるので、それが下品とかいう話はもう無視しちゃう。まったく好みの問題で例えば「イマサラワロタ」とかはなんとなく感性が許さないから使わないだけです。下品と上品は美と醜に呼応するので、結局想像力です。べつに怒ってません。だいたい、前項の「読まれるべき作品」というのもツイッターにおける高橋源一郎氏の「読まれるべき詩」のパクリです。でもさぁ、この時代においてオリジナリティとかじゃないでしょ、剽窃で積み上げられているからって原典辿って何が面白いの?
とはいえ、もちろん原典を読む楽しさも満開ですよ。それはぜんぜん違う体験。
⑤素晴らしいものは素晴らしい。古典だろうとラノベだろうと。巨匠であろうと商業デザインであろうと。権威とお金が対立するとかドロドロであるとかいうつまらん議論をやめて、うろこばりばりの光ったものを涙のようにこぼしながら見てみる。そして感じた上で伝達する。もっとも幸福な手段が褒めることで、無論いいと思わないものを褒めることなどできません。でもいいと思わないものをわざわざゴーグルはめて探す人生など、嫌じゃ。
⑥結局言葉であって。愛してる、という言葉を発する自分を覗き込んでみるとそこには空洞しかなかった。だから、愛している、などと魍魎な言葉を乱用してはならないと痛感した若かりし日を経て、あえて愛していると言ってみたとき、本当に、真実、愛しているかどうかではなく、愛という言葉の真理ではなく、その言葉を発することによって起こる現象を愛しているのだと知った。・・・という、内田樹氏の本は沢山読んだのでどこからの引用かはっきりできませんし、誤読があるかもしれません。ただ、言葉の限界や不自由さを憂いて見せるのは、一瞬かっこいい、って思うときもあるけど、私はその言葉の無責任さ含め発してしまった共犯性、伝えてしまった故に担わなければならない罪、を背負うほうがかっこいいと思うのだった。
⑦ふわっ。まさかここまで来るとは思わなかったけれど、褒めるといえば元旦の事。土鍋買うため通過地点の八坂さんに成り行きで初詣しようかと、連れ合いと歩いてた時のこと。少し前を歩いていたおじさんが落とした手袋を、連れが小走りで拾って声かけたんだよね。人が落としたものを拾って届けるというの、色々数年体調とかしんどかったのに自然にできて、すごくいいところで。そういう要素が身近な人に沢山あるのね、と。人なんてわかりきれない。カテゴライズが想像力をしぼませるならきっぱり、反発する。年末会った友達もそうだけど、言葉で定義できない行為があるから、褒めたりなんやかんや、言葉はぐるっと本物になる。
⑧ふわわっ。限りなく予定調和的に見えるかもしれないけれどガチです。管理と教育ってすごい言葉を組み合わせたもんだなぁ、程度に思っていただけなのに、まぁ管理教育地域と認識される土地で生まれ育ったのでそれなりに思うところがないわけでもないけれど、適当につけたタイトルにねじ曲げて戻ってきた。このへんはさすがなので自分を褒めて面白い小説書こう。なぜなら、ステキだと思うことを褒めて、それがいかにステキかを伝えたい。伝える説得力を持つ意味でもいいもの書きたい。そんなことが目標であって、追い詰める教育、啓蒙、なんてさよならですよという話。ややこしくてすみません。いやべつに、ずっと前からさよならしてたのだけど。ゆとり教育とか難しい問題はあれだけど。ステキな事が沢山で、それは美醜の枠組みをさっと超える。
え、ていうか、これが振り返りと抱負ですか。
始まってるような終わってるような。ぐるぐる巡って繋がってるような。
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