花なんか好きに決まってます。
「ぽかんと花を眺めながら、
人間も、本当によいところがある、と思つた。
花の美しさを見つけたのは人間だし、
花を愛するのも人間だもの。」
太宰(はいまたきた)『女生徒』の名文ですね。ファヴォライトな方も多いのではないでしょうか。そうですよ、太宰ったらこんなセンチメンタル野郎なのです。はた迷惑なセンチメンタルなど、と揶揄ってもいいですが、他人の情緒や感傷を迷惑がるなんて狭い心は畳んでしまって、うんそうだよね!と微笑んでおきたいものです。
それにしてもこの文章を読むたびに、よいところがあるのは花なのか、人間か、人間なのか?と小一時間考え込んでしまう私ですが、人間も、本当によいところがある、と結局は信じているようです。
ではそれは、例のコマーシャルのような、お日様照り照りの博愛主義なのか? いやそうじゃない。そうじゃないよ。
しかしこの手の話は長い廻りくどいの王道、王の道の門、あるいは阿片窟の入り口のようなものなので、回避しましょう。
私だってね、学習能力くらいあるのですよ!
そんなわけで、散ってしまった桜の写真。
桜は散っても、私のブログという狭い世界の中では、咲き続けるのだ。
WEBというシステムが続く限り。
限りはあるけど、続く限り。
疎水に水を放流する音が、住まいから毎日聞こえていて、水面に垂れ下がる桜。絵になる。なりすぎる。
水門。けっこうな勢いなのですが、通るたびに足を止めてしまうのは、なにか、危険な兆しでしょうか。
葉っぱや紙でお船を作ってね、流してもね、追いつけないですね、きっとね。
水の貯めてある脇にあるレンガの藤棚。多分藤棚だと思うけれど、ここでの季節はまだ、はじまったばかりです。
ガジュマルによくある「絞め殺し」の枝ぶりがレンガと合っていて素敵。夜の散歩の一息スポット。というか家から二分とかからない場所で一息ついちゃう私たちってば。
ところ変わって高瀬川。なんか伏見の方から届く米俵とか酒樽とかが船に乗ってます。酔っ払ってたら跳び移ってしまいそう。ここも散歩圏内ですが、ほろ酔い危険地域ですね。
花は美しい。無条件に。そして何も言わない。文句も愚痴も、自尊心を傷つけるようなことも。
だから穏やかにながめてりゃいいんでしょうが、私、先日もツイッターで書いたように、桜は怖いのです。
文学的、情緒的、思い出的、記憶的、虚言的、に。あらゆる要素が重なっているのもあるけれど、そんなことよりね。
桜って、決して無言ではないんだもの。
植物がしゃべらないなんて、人間の世界のファンタジーなのですよ。
桜が怖いのは、囁きが折り重なって、小さな小さな無数の声がどこまでも続いているから。
咲き誇る僅かな時間に呟いている。小さな声が私の耳に目に鼻に口に、入ってくる入ってくる。
そんな濃い囁きに囲まれたら、息を押し殺して、うつむいて歩くしかないじゃないですか。
夜はずっと親密に、用心深く、けれど大胆な内容のひそひそ話をしているし。
夜桜の下で、私は赤面です。
桜の儚さと、かしましさ、大胆さには、毎年参ってしまうのでした。
けれど今年の桜たちの囁きは、いつもより、無邪気で優しかった。
そんな気がしています。
また来年ね。
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