仕事したり小説新しいのに手を出したり友達と遊んだり旦那と遊んだり、ぐたっとしているうちにこれですよ。
ブログに引越しうんちゃらの事書くと言ってから随分時間が経ってしまいましたが、頭の中でこねくり回しすぎて引越し小説が書けそうなので、ブログの方ではもうちょっと別ネタで。
まぁ引越し作業完全終了して、人様をお招き出来る状態になったので、お友達も来てくれて結局飲んでるみたいな日々なんですが、以前旦那の物量にうんざりして八つ当たり(いや正当だよ)して怯えさせて、ミュージシャンの持ち物を断捨離させてきました。なので大分ましだったのだけど、私、今回は自分のモノの多さに一度心がボキボキに折れて、半裸でベッドに横たわりシクシクしちゃいましたよ。
収納とか整理整頓は得意なんです。だから普段はそう見えないんだけど、引越しってそういう目をそらしてきた事実が、白日のもとにさらされるじゃないですか。
しかしエロい格好でシクシクしたって、古本や古着が「自分ここに収まっときますねー」「あ、じゃわたしはこちらで」とか言って、ものすごいチームワーク発揮してくれるわけもなく。涙を拭いて立ち上がり、片付けましたよ。片付けまくりました。
部屋の構成とか配置とかインテリアに関しては私に一任されています。「空間把握能力高いよね!」と以前から旦那に褒められているのですが、ていうかインテリアデザインは本業だったし。でも褒められて伸びるタイプなんで、機嫌よくなります。だいたい超理系の旦那に「観念!」とか「情緒!」とか「諸行無常!」とかいうゴリ押しの理論(理論以前)以外で上に立てるのは気分がよろしい。化学記号の話とかはスルーです。日本語も英語もワカリマセンていう顔します。
さて、私の舵取りで片付け、間接照明その他を配置できる状態になって、改めて、心底、気がついたのですが。
私、なんでこんなに造花沢山もってるの?
家のいたるところが造花(主に薔薇)で飾り立てられていくにつれ、こんな美輪明宏的、ウテナ的空間に、ロックオヤジは耐えてこられたのかと。しかしそこは「全然平気(ニコッ)」で解決。
そうなると新たな疑問。私は何故こんなに造花が好きなのか?という疑問が湧いてきてですね。
そもそも造花ってなんやねん、ていうことで調べちゃったりして。こういう事してるから時間が……。人生という砂時計が。
まず最初に見たかった本が、東京造花工業協同組合『明治百年と造花の歩み』(1968年) というものなのですが、これが古書扱いだわ図書館にはないわコレクター価格だわで。これ買うなら100均で薔薇の造花を200本買います。でも読みたいのでなんとか探す。最終国会図書館に行く。
で次に手にとったのが1926年創業の大西造花装飾株式会社という会社の社史 『花のあしあと 大西造花四十五年史』(1970)。これがなかなかナイスでして。創業者(たしか)のステキアングルな写真からはじまり、創業太閤記や戦前戦後の造花事情、「ホンコンフラワー」のCMアーカイブなど、画像資料もふんだんでした。中でも昭和39年に朝日テレビ「女性専科」で社長が野際陽子と造花について対談していた!とか観たいですよ、映像残ってないかな。
あとすごかったのが『新造花術』渡辺玉潤著 文港堂 (明治42)
著者の名前すら読めず戸惑いましたが「ぎょくじゅん」さんです。
一、造花の女子に趣味あり且高尚なる技術なることは今更述ぶるを要せず、、、、という冒頭の例文から迫力満点でさらにたじろぎました。でもめげずにページをそろそろめくっていくと、花の挿絵が満載で、ようするに、素晴らしい造花を作りたいなら花をがっつり観察しなきゃいけないけど、精密な挿絵も載せといたから参考にしてね、何なら型紙使ってがんばって作ってね、みたいな事でした。
あとは、どうやら飯田深雪さんという人がその世界では著名なようで、造花教室やってたりアートフラワーアレンジメントなんかを紹介している本もいくつかありましたね。なんかお医者さんのお嬢さんで外交官と結婚して絵画をたしなんだそうです。文字通り絵に書いたようなサロン文化としての側面を見せつけられました。ぶっちゃけ震えます。
で、この方が書いたこれまた造花の作り方や型紙がふんだんの『造花ーその技術と応用』婦人画報社(昭和33年)という本。
「野に咲く美しい花を見て、誰がつんで自分の身にさしたいと思わない婦人があるでしょうか。花を飾ることは優しい婦人の本能として、神が与えた習性でしょう。」(p12)
とか、
「花の多い家に生まれた私は、花は柔らかい雰囲気をもつ美しいものなのに、なぜ造花はあのようにカサカサして、色も味わいがないのかしらと子供心に残念に思っていました。どうにかして私のこころにある花を表現してみたいと、ひとりで布地を縫いちぢめては本当の花の感じを出したりして楽しんでいました。それが何年か後にヨーロッパ人のパーティーに着てゆくドレスにも楽しくつけて行けるようになるまで自然に成長して、私が二十八歳の頃英国貴族(当時の印度大総督)の大正餐に招待された時に、フランス製の黒い夜会服に極く薄いピンクと白の手製のばらを、肩から腰までつけて出席しましたら、その日のホステスの公爵夫人から非常に褒められました。」(まえがき)
とか、とっても
神って…。しかも造花の考案は「夢に現れる不思議な啓示によって作られた」そうで、
さて、もうすでに充分ずれてますが、これ以上話が脱線してく前にぎりぎりの線で本題に戻します。もう崖っぷちですが、ここまで読んでくださった方には感謝と敬意を表しつつ、要するに造花とは。
「一般的造花は自然の花がすぐにしぼんで長期の装飾用にならないのでこれに似せて人造の草木の花や葉をつくったもので、宮中や殿中の宝飾、神仏の祭事、民間の婚礼、祭礼などにさし花や飾花として古くから用いられていた。文化年(1804―1818)には、宮中の御用造花師がいたことがわかっている。民間用の造花師で、婚礼用造花専門家もいたようだ。明治時代に入って江戸風の造花は蓬莱(ほうらい)や高砂(たかさご)の台に飾られた。」(IBPC大阪ネットワークセンターによる、国内マーケットにおける造花についてのざくっとしたまとめより)ということです。
ホンコンフラワーは名前通り香港で作られ、60年代に日本でも沢山輸入されていたようですが、それ以前から「作り物の偽物の花」はあったということです。
で、ですね。
でも、ですよ。
私が造花を好きなのは結局、「偽物だから」という、もう、ほんましょうもない理由だったということを、こうやって資料さぐりつつ実感してるわけで、もうこれ、ほんと身も蓋もない理由ですが、真実なんです。
宝石でもなんでも、イミテーションってステキなんですよ。本物ではないけれど、そのもの自身ではある。誰がそれを否定できようか。それオマエがお金無いからだろとかいう無粋なツッコミをする前に、私たちの身の回りにある数々の偽物をもう一度、ご覧になってください。造花しかり、コスチュームジュエリーしかり、ていうか私食品サンプルすら愛してますから。
偽物のけなげさ。
偽物だけが持つ、美しさと儚さ。
偽物は偽物という本物なのです。
自然の花より長く生きるかもしれないけれど、造花だってやがては朽ちていきます。だって物質だから。
私の家を飾ってくれる偽物の薔薇、古いものから散りかけていこうとしています。それは造花の構造が理由でもあるのだけれど、花びらが散っていくのと同じように、だんだんと色あせ、花弁を開ききってしまおうとしています。
アンティークとか骨董とかに付随した価値を感じない私は、むしろ、こんなふうに名もなく大量生産されたものが最後まで名前をつけられず失われていく事に、感動と感傷を持ちます。私の持ち物は、インテリアも服も装飾品も60年代から70年代のものが殆どですが、10年以上好みが変わっていないです。ヴィンテージとかじゃなく、量産品でチープで、でも一つ一つはやはりただそれだけの、たったひとつのものだという感じ、これが大好きなんですよ。
はい。自分の長文に自分で目がくらんできましたが、もうちょっとだけ。
鉢植えのハーブほど雑草感のない、生花に区切られた時の短さは残酷すぎて、切り花より道端に咲いてる花の方が好きだけど、めぐり合った生花との短い時間を、時々は共有してみたりもしていますよ。
造花っていいですよね。私も好きでなんでございます。埃積もらせてますけど。青井様のように美しく飾りたいわん。
返信削除結局なんで好きなのかを言おうすると屁理屈になりますね。そして埃はたまりやすい確かに。
返信削除家具とか電気が、いいなぁ。
返信削除あー貰ったり拾ったり中古品が多いですね。今度アイアンで作って欲しいな照明器具。
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