「出産方面」: 二週間経ったら。

2011年3月24日木曜日

二週間経ったら。

明日で二週間になります。
被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

二週間経てば、少しは心が落ち着くかな、と思っているのですが、明日の心が今日はまだ、わかりません。重低音のように精神的ショックが続いているけれど、それでも明日は来るのだから、今は一日一日を大切に過ごしています。

あの日、私は東京に行く予定だったのですが、新幹線に乗るため京都駅に向かう直前、連絡が入りました。京都でも揺れはあったのですが、私はトレーニングスタジオにいて、床と鏡とダウンライトしかないような所だったので、感じなかったのです。その後も出かけていたし、どちらにせよ家にはテレビもないので、事態の深刻さを知りませんでした。
止まってしまった新幹線と、山手線全線不通っぽい、というのんで、東京でお会いする予定だった方に「ちょっと無理ですか?」なんて気楽なメールを送っていました。

家に帰ってもなかなか状況がわからず、ツイッターでただ事ではない様子を知り、朝方までタイムラインを追っていました。電話は駄目そうだし東北の友人に数件した携帯メールもレスがない。サッーとすごい速さで走るTLを追うのが精一杯でした。
翌日行く予定だった高円寺のライブハウスが都内の帰宅難民を受け入れているとか、様々な情報の中で、なるべく有益だと思うものをRTしていました。誰に有益なのかもわからないし、あの速さの中でTLを埋めるべきなのか迷いながら。

朝になってか、とりあえず東北関東方面のフォロワーの方にリプライやDMしたり、TL上にいらっしゃる方の安否は確認できたりしました。ツイッターにいない人にはまだ繋がりませんでした。こんなにツイッターに人や情報が集まってきたらダウンしないか、という不安もその時は気がつかないくらい、ツィート読むのに必死でした。そして、家族友人はネットで繋がっていない割合のほうが多いので、だんだん不安になって。

NHKがUSTで見られるようになって、呆然としました。

100枚ちょっと超えそうな作品を80枚までくらい書いていたのですが、三日間は何も書けませんでした。というか、そこまで書いたものすら、無意味に思え。

沢山の方があの日、日本のどこかで、あの出来事に遭遇したわけで、そのうちの一つの話です。私に関しては、これ以上長々書く必要はないと思うので、やめておきます。

事態が刻々と変化する中、多くの情報があり、毎日考えてしまいます。
そんな中、他の人がどんな気持ちでいるのか、何を思っているのかを、WEBで触れられることには良い面も沢山あります。

以下に私が触れたものの中から、いくつかをご紹介します。

*破滅派の高橋さんのエントリ「ある同人の震災」
仙台在住の同人の方が、ろうそくの明かりで読んでいたというカズオ・イシグロ『私を離さないで』はとても印象的な作品です。私を、離さないで。こんな時に改めて本の背表紙を眺めてみると、沢山の人の言葉が寄り添っているようなタイトルだと読めてしまいました。
そしてこの出来事に対するショックを「傷ついた」という言葉で表現されていて、ああ、そう、みんな傷ついているんだと、私自身どう表現していいかわからない感情に触れられた気がしました。

*同じく破滅派同人、アサミ・ラムジフスキーさんが、震災二日後の十三日に書かれた「帰り道に立っているよ」。交通手段のなくなった東京で帰宅し、帰り着いたご自宅の描写をされています。高橋さんのエントリでもありましたが、こんな時は本当に何を書いたらいいのかわかりません。それはモノを書く人に限った事ではないし、みんな語ることもできない事がありすぎるのではないでしょうか。それでも、書くことで自分の輪郭を保っている、という言葉が心に残りました。


*名古屋駅、シネマスコーレ側のカフェ「ロジウラのマタハリ」のりりこさんが書かれた「楽しく仕事をしていけるために」「今日という日」。お店の売り上げを義援金にされるにあたってのお考えです。特殊な状況の中で、なるべく「普通に」美味しくご飯を食べて頂くお仕事を毎日変わらず続け、それで出来る事をする、というかせざるをえない気持ちになっちゃうというの、共鳴しました。いつもと同じ仕事を続けたい、どうしたって「普通」でなどありえないけれど、「特別」ではないのかも知れない。それぞれの痛みや傷を負ったそれぞれの人が、元気になって、日々を暮らしていく。する側される側、ではなくなんか、それぞれの当事者なんだと思いました。

*義援金に関しては、ツイッターでも回したのだけれど、入谷聡さんのブログ「どこに寄付をしたらどこにお金が行くのか」
被災していない者が、「焦らない」「煽らない」のはもちろんだと思いますが、「何をすべきか、いったい何ができるのか」と、無力感にとらわれたり、それぞれの仕事を背負いつつ、それでもできることを考えてる方も多いのではないでしょうか。
とりあえず今のところ私が即座にできることは金銭的支援かなと。一度に寄付できる金額は些細ですが、細々とであれ長期的継続的に支援する上で、どこにどのようにお金を送るか、どう使われるかを知っておきたかったので、とても参考になりました。

あと関西に暮らす者としては、友人知人が避難疎開してきた場合に備え、引っ越したばかりの家を片付けることかな。この状況下でモノが多いとぼやく事は「不謹慎」なのかも知れませんが、ほんとにもうえらいことでした。この顛末がオモシロおかしく書ける気持ちを、取り戻したいと思ったりもしてます。
ただ、今ちょっと困ってるのが、引っ越してテレビをつないだのに、せっかくあるのに、見てるとなんかもういろいろしんどいって事です。

「大友良英のJAMJAM日記」
飴屋法水さんとのお話やJOJO広重さんの「いつか、音楽が聞こえてくるから」に対する回答。音楽、表現、そして仕事をする、というのんを、上記貼り付けさせていただいた記事と共に考えました。大友さんにはいつもヒントを頂いてる気がします。

*最後に、これもツイッターで回っていたので、読んだ方は多いかもしれませんが。
 ビートたけしさんの「週間ポスト」における発言を抜粋掲載された方がいらっしゃいました。
「言葉を奪う状況」で言葉を発する事は、ほんとに難しいけれど、ここに貼らせていただいた皆さんの言葉が、私にはしっかり届きました。

私は私の届けられるものを、届けたいと思っています。

2 件のコメント:

  1. 私も私の届けられるものを精一杯の力で遠くにまで届くようにやっていきたいと思っています。

    返信削除
  2. うん、毎日を大切にすごして行きましょうね。

    返信削除