相棒が旅費をプレゼントしてくれた。
なんか元気がないらしいので、私がだよ、元気づけるために出来ることをと。出来る事をいつも探す人。私らはいつも探しあい物々交換をし、分け合いっこをするのだ。ありがとう!
そんなわけで愛媛県の新居浜から山に入ったところにある、別子銅山という場所に行ってきた。
まだ暖かい日もあるので、観光地と言えば和歌山の白浜あたりにしようかと迷ったけれども、なんかこう、古いような寂しげなような、それでいて大地のパワーが感じられる場所と思って。
採鉱全盛期にはばりばり栄えていて、抗休までは一つの町として同じ産業を担う人々の共同体だった場所。
標高750だか800だかの山奥。
古くて大きな木 枯れかけてるのに別の枝がはえてきてた。
ななかまど ああ七竈 ななかまど
小学校も病院も社宅も娯楽場もなんでもあったらしいっす。資料館のような場所にかつての子供達、いかにもかつてな感じのノースリーブに半ズボン、歯がこれから生えてくるよという抜けた笑顔のモノクロ写真が印象に残った。明治20年頃から昭和43年まで銅山は機能していたそう。いつごろの写真で、今あの子供達は何歳で、どこで何をしているのかはわからないけれど。
2009年10月7日水曜日
じねんじょと反射神経
暗がりに轟音で目を閉じ、そんな自分に酔うひまがあるなら、風の音をきけばいい。
聞こえるものは聞こえるし、聞こえないものは聞こえない。われわれはべつの耳。
けれど十年、二十年、同じ思いを求めてきた友は、やはり美しい。
じねんはいつも味方であり、なにごともおおげさに、たいしたことないくせに、と教える嫌な友達。
なあなあ、それでもやっぱり愛をこめて。そんな頑丈でもないからやっぱりいっこいっこ。
わたしはこれらのものから生まれてきた。スピリチャルでもなんでもない、ただの事実。
だから流れるなら、流れるのだ。
そしていく。かえるのではない、そこにいく。
わたしはわたしのじねんを愛するように、君のじねんを愛する。
じねんを忘れてしまったら、汚れちまったら、洗おう。
これらの場所にも沢山の音がある。
ちくたくちくたく、と聞こえない音を聞こえるふりの必要もない。
まだ秋のしのびよりが、こんにちほどではなかった過日。
山奥で撮影をした。
私は滝のてっぺんから滝つぼに落ちるという経験をこの日、はじめてしたのだが、じゃぼんとおちて、鼻がつんとして、次の瞬間写真家に「今の撮りました?」と。心優しき写真家は、心配してくれてシャッターどころではなく。
たいした怪我もなく。
ああ常日ごろからなんやかんや運動で、反射神経きたえてて良かったな。
私はいっつもはたから見たら大怪我かしんでるんっちゃうんという事故にあっても、何故かかろうじて、生きてしまうのである。
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