2009年8月21日金曜日
生と生音と生やけど
話が長い事で金輪際な、わたし青井橘ですが、知らない人にもこの、長い全体的な文面ですみません。
友人知人縁者さまにはほんと、ながいことながくてすみません。
昨日は話だけではなく長い一日でした。
ま、普通に大阪方面で仕事の後、そこのお仕事はとてもいいエネルギーをいただきますが、それを拝借しつつ車窓を眺め、移動につぐ移動。
そして赤提灯のあかりのもと、長き重要な生電話。
いやいや、日常の細部はともかく自分でどうにかしろという話で、びゅっと非日常に飛びます。
移動長電話ののち、manntaというとてもとても楽しく演奏する大所帯バンドのギター、たちばな氏からのお誘いで、別ユニット「回馬」のライブに。
manntaは以前西部講堂で、とてもとても見ている側も楽しくびびっとする迫力ライブが印象に残ってますが、法然院でのドローイングと音の融合など、常にびびっとすることをしてくれます、たちばなさん。
お久しぶりにウーララでしたが、相変わらずの虚無僧ぶり。虚無僧は私の中で今回改めて決定しましたが、ご本人の拒否があり次第、訂正しますね!えらそうに。
やや、かた膝をあげてのPC前にたたずむ、ノットパフォーマンスな演奏ぶりと、にもかかわらず背後で広がってゆく世界は、ソロのときも好きですが、今回の回馬も良かったーのですよ。
なにせ、ダンサーのインパクトとヴォーカルの声ことば、尺八、虚無僧の合わせに映像。毎度のこと、作り手変わっても映像いいわぁ。飛んでくるよ。
演奏と演奏と映像とのなか、沈黙の時間がこよなく、こよなく長く感じられました。スキマさんぎょう、なんでも、間、ってえのはえらい力を潜伏させてるから油断できません。
生の音は生でなくてはというか、音は生でなくては、その場にいなくてはしょうがないので、ライブハウスは死ぬほど好き。
たいばんバンドも生で、とてもとても気に入ってしまいました。
それがトップ写真の「桜重奏サーティーン」。
なにがすごいってドラムすごかった。ギターヴォーカルのあけみちゃんがかわゆく、声がきりーと通り、そんでもってとにかくロック。
「ロックは生まれたときからロックではない。ロックンロールは死んだ」とのお言葉を最近あるところで読みましたが、ロックは死んでない。いま求められとるのはロック。
わかってくれ、わかってくれよ、ゲットバック、ロックンロール!……をですね、黒着物姿の娘さんからひしひしと感じました。昨日は金髪のおかっぱに赤い花で、またかわいかったけど、ビジュアルだけじゃないんよね。
彼女も、回馬のめっさ迫力メヂカラかっこいいダンサーもキュートヴォーカルも写真おさえたのですが、私のしょうもない、使い方わからん、赤外線の意味もわからん携帯の写メではどうにもならんね、生のライブハウスは。
まじでちゃんとしたカメラ欲しいかも。
それでおまけ日常ですが、帰宅後、サンラータンメンを食べようと、でも時間が時間なので春雨にして70カロリー前後とふみ、熱湯でどうこうしてるときに、ひっくり返し火傷。
「うわぁぁぁもう嫌や、嫌や、痛い怖いー。だから嫌っていうたんやー。はる、はるさめをサンラータン、さん、さんらーたん味で食べようと、それだけやのに!」と誰にって自分と自分の存在する瞬間世界に怒りながらマジ泣きしてキッチンで水を流してたら、手当てをしてもらえました。
間にはさんどるのは、ケーキ屋さんとかデリカでもらえる保冷のやつです。とけるとぷにゅぷにゅするあれ。
ケーキ屋さんでケーキ買う事などめったにありませんので、デリでもらったのをとっておいて色々冷やすのは便利やけど、やけどやけど、自分のやけどを冷やすとは!
ぐるぐるまきにされて、なんもできひん。水ぶくれできてたら即病院送り、と言われ、
「あした水泳は」
「ダメにきまっとるやろうがボケ」
そんなボケでもなぁ、いま考えんでいつ考えるのと、ぐるぐるまきの手を天井にかざしつつ、
生と生と機械と電話と、伝えるという事を考えてるうちに眠りました。
バンドの皆様、いつもいつも、伝えてくれてありがとう。
私は昨夜のうちに伝える事はできず、手紙も書けず、眠ったのです。
手紙書けばよかった包帯でも、と考えながら。
2009年8月15日土曜日
ネットワークと体、なにコレ。
いかんいかんと思いながら、
伊藤比呂美、および、埴谷雄高をほろ酔いで読むので
断片と断片が折り合っている『不合理ゆえに吾信ず』ばっと開いて
みたとこ勝負。
しかし毎日、なんですかこれは。なんですか。
って、WEBですみません。
刺激的というには肯定的すぎ、でも平和な東山を眺め、
こよなく、こよなく、平和、求む。
斬新革新、また経験で確信を重ね、座布団しきの確信で。
ネットワークについても少しこ理屈こねまわそうと思ったけど
めんどくさくなっちゃった。
だいたい、圧縮解凍で、自分が解凍。苦手。
向かず、拾わず!
そんな自分への手紙というしょうもなさ。
伊藤比呂美、および、埴谷雄高をほろ酔いで読むので
断片と断片が折り合っている『不合理ゆえに吾信ず』ばっと開いて
みたとこ勝負。
しかし毎日、なんですかこれは。なんですか。
って、WEBですみません。
刺激的というには肯定的すぎ、でも平和な東山を眺め、
こよなく、こよなく、平和、求む。
斬新革新、また経験で確信を重ね、座布団しきの確信で。
ネットワークについても少しこ理屈こねまわそうと思ったけど
めんどくさくなっちゃった。
だいたい、圧縮解凍で、自分が解凍。苦手。
向かず、拾わず!
そんな自分への手紙というしょうもなさ。
2009年8月12日水曜日
連載はじめ。移動につぐ移動。
オンライン文芸誌 『破滅派』―後ろ向きのまま前へすすめ― で連載始めました。
『喫茶エリザベート1』青井橘
あらすじ
老人たちが集う路地裏の喫茶店、エリザベート。店の看板をチャリで破壊してしまい、一応侘びを入れようと店に迷い込んだ主人公と、客、店員、オーナーとの奇妙なやり取り。主人公は何者なのか。老いた客どもは何やつか。生と死、美と醜の矛盾に立ち向かうすべはなく、鼻水を垂らすしかないのか、人間。
なんかもうわけわかんないあらすじで自分で書いたのか編集さんが変えてくれたのか、まじわかんないけど。
いや多分自分で書いたのだ。そうなのだ。ちょっと出だし一話目は会話とか少ない描写ばかりで読みにくいかもしれませんが、よろしくです。
きょうび、さまざまな分野でのオルタな活動は熱く文芸的にもなんかないかなと探してましたが、雑誌的におもろいのです。特に紙雑誌『破滅派』はお買い得。面白い書き手さん、沢山います。買おう!
色々書いてると色々たまってきますが、いつまでもこねくり回しててもしょうがないので、常に新しく。
常に後ろ向きでも前に進むのね。
少し前からなんでんかんでん考える事があって、人とも話してあれこれ。
今のところ熱く思った事は短くいえないけど、無理やり短く。
われらの時代、われらの時代は、あきらめてもあきらめない。
しらけてもしらけてらんない。新しい今なのだ。
わたしは生活レベルでは常に変化、安定せず、ぐらぐらとした石の上にたったり座ったりだけれども、なんや働いて食ってきたけど、でも変化は沢山あった。なんか、それって、みんなそうなのかもしれないね。心がどこかにおさまりきってしまうことができひんから、肯定して、否定の言葉も肯定して、ぐっと。否定否定の時代は終わり、ちょっともうまじでそんなこと言ってらんない時代だから、わたしは何かが好きな事を、素晴らしいと思う事を言うために何かを否定して反作用的に肯定する言葉は否定します。これも何かを否定して肯定する言葉なので自分で否定せねばならないけど、わー!
移動が多い日々が続き、移動してる間に軽く一週間くらい過ぎてしまうのですが、移動につぐ移動なのは仕事があちこちなのだからで、さまざまな乗り物に乗っています。すごい早いの。でも今日という日は毎日、じっとりゆっくり進んでいて、今はなんだかがっと目をみひらいていないといけないけど、そんな時期だけど、しんどいしんどくないいったらまぁあれだけど、仕事、好き。嫌な事もあるけどなんか好きだよ。別に働くのが好きなわけじゃなく、働かなくてもいいならいいなぁとも思うけど、でもそしたら色んな出来事もなかったわけですね。うわっなんかすごい。
移動につぐ移動でめぐり合った人は、たいがいみんな必死に絵、描いてます。私などという正体不明のモチーフをぐっと見て、もう老いも若きも描いていて、ふつうにもう1000人以上とそういうふうに出会ってるんだろう。これだけ沢山の人が、なぜにここまで必死に絵を描くのか、どんな場所でもなんらか、おどろき受けます。
最近印象に残ったのは、やさしいタッチの絵を描く日本画と洋画の間のような不思議に透明な絵を描く、割とねんぱいで、お母さんよりちょっとねんぱい、くらいの女性で、「祇園狂」。祇園祭が好きで好きで、もう好きで好きでしょうがなく、毎年毎年宵以前に十日くらい前から京都に泊まりこみ、あらゆる場所であの、でかいだしものを描いたり、楽器を弾く人や楽器を描いたり、入っちゃいけないところや通行禁止のところに踏み込んで、追い出されたり叱られたりしながら巧妙にすりぬけ、光景描いたりしている。そいで今年は描きたいものを追いかけて全力疾走し、こけて、頭から血を流したらしいです。
休憩時間に、そのへんのところをちょっと聞いちゃおうと話しかけると、ありえへんくらいの優しい笑み。なぁに、とおしつけるでもないあの笑顔は、あれは祇園祭への熱き思いによる邪念喪失、による菩薩のような顔つきで、わたしはいいなぁ、素敵だなぁと思いました。ふわっとした濃い頭髪の奥に、こけた怪我の傷がまだ残っているそうですが、来年はウィークリーマンションを借りるべきか、本当は一月いきたい、いやむしろ住みたいけれど、家族があるから、家族を祇園祭のために引きずり回せないから悩んじゃう、傷のことは悩みでもなく。いやその大阪京都の微妙な距離感もいいと思うけど。ていうか、こんな人が京都に住んで、いったい、毎日何をどうするつもりなのだろうか。
何かを好きで愛してやまない人の口から出てくる言葉は、こう、否定も取り繕いも無く、誇張も無く、素敵なことでした。
『喫茶エリザベート1』青井橘
あらすじ
老人たちが集う路地裏の喫茶店、エリザベート。店の看板をチャリで破壊してしまい、一応侘びを入れようと店に迷い込んだ主人公と、客、店員、オーナーとの奇妙なやり取り。主人公は何者なのか。老いた客どもは何やつか。生と死、美と醜の矛盾に立ち向かうすべはなく、鼻水を垂らすしかないのか、人間。
なんかもうわけわかんないあらすじで自分で書いたのか編集さんが変えてくれたのか、まじわかんないけど。
いや多分自分で書いたのだ。そうなのだ。ちょっと出だし一話目は会話とか少ない描写ばかりで読みにくいかもしれませんが、よろしくです。
きょうび、さまざまな分野でのオルタな活動は熱く文芸的にもなんかないかなと探してましたが、雑誌的におもろいのです。特に紙雑誌『破滅派』はお買い得。面白い書き手さん、沢山います。買おう!
色々書いてると色々たまってきますが、いつまでもこねくり回しててもしょうがないので、常に新しく。
常に後ろ向きでも前に進むのね。
少し前からなんでんかんでん考える事があって、人とも話してあれこれ。
今のところ熱く思った事は短くいえないけど、無理やり短く。
われらの時代、われらの時代は、あきらめてもあきらめない。
しらけてもしらけてらんない。新しい今なのだ。
わたしは生活レベルでは常に変化、安定せず、ぐらぐらとした石の上にたったり座ったりだけれども、なんや働いて食ってきたけど、でも変化は沢山あった。なんか、それって、みんなそうなのかもしれないね。心がどこかにおさまりきってしまうことができひんから、肯定して、否定の言葉も肯定して、ぐっと。否定否定の時代は終わり、ちょっともうまじでそんなこと言ってらんない時代だから、わたしは何かが好きな事を、素晴らしいと思う事を言うために何かを否定して反作用的に肯定する言葉は否定します。これも何かを否定して肯定する言葉なので自分で否定せねばならないけど、わー!
移動が多い日々が続き、移動してる間に軽く一週間くらい過ぎてしまうのですが、移動につぐ移動なのは仕事があちこちなのだからで、さまざまな乗り物に乗っています。すごい早いの。でも今日という日は毎日、じっとりゆっくり進んでいて、今はなんだかがっと目をみひらいていないといけないけど、そんな時期だけど、しんどいしんどくないいったらまぁあれだけど、仕事、好き。嫌な事もあるけどなんか好きだよ。別に働くのが好きなわけじゃなく、働かなくてもいいならいいなぁとも思うけど、でもそしたら色んな出来事もなかったわけですね。うわっなんかすごい。
移動につぐ移動でめぐり合った人は、たいがいみんな必死に絵、描いてます。私などという正体不明のモチーフをぐっと見て、もう老いも若きも描いていて、ふつうにもう1000人以上とそういうふうに出会ってるんだろう。これだけ沢山の人が、なぜにここまで必死に絵を描くのか、どんな場所でもなんらか、おどろき受けます。
最近印象に残ったのは、やさしいタッチの絵を描く日本画と洋画の間のような不思議に透明な絵を描く、割とねんぱいで、お母さんよりちょっとねんぱい、くらいの女性で、「祇園狂」。祇園祭が好きで好きで、もう好きで好きでしょうがなく、毎年毎年宵以前に十日くらい前から京都に泊まりこみ、あらゆる場所であの、でかいだしものを描いたり、楽器を弾く人や楽器を描いたり、入っちゃいけないところや通行禁止のところに踏み込んで、追い出されたり叱られたりしながら巧妙にすりぬけ、光景描いたりしている。そいで今年は描きたいものを追いかけて全力疾走し、こけて、頭から血を流したらしいです。
休憩時間に、そのへんのところをちょっと聞いちゃおうと話しかけると、ありえへんくらいの優しい笑み。なぁに、とおしつけるでもないあの笑顔は、あれは祇園祭への熱き思いによる邪念喪失、による菩薩のような顔つきで、わたしはいいなぁ、素敵だなぁと思いました。ふわっとした濃い頭髪の奥に、こけた怪我の傷がまだ残っているそうですが、来年はウィークリーマンションを借りるべきか、本当は一月いきたい、いやむしろ住みたいけれど、家族があるから、家族を祇園祭のために引きずり回せないから悩んじゃう、傷のことは悩みでもなく。いやその大阪京都の微妙な距離感もいいと思うけど。ていうか、こんな人が京都に住んで、いったい、毎日何をどうするつもりなのだろうか。
何かを好きで愛してやまない人の口から出てくる言葉は、こう、否定も取り繕いも無く、誇張も無く、素敵なことでした。
2009年8月3日月曜日
あんたの「パ」なんとか
色々な人に会いました。
色々な、大事な人がいる大事な人たちに会いました。
それぞれが、それぞれに、沢山の出来事をへて、
変わって変わって、変わらなくって、
そんな風に、今、そこにいるあなたとあなた。
お久しぶりです、はじめまして。
大事な人がいる人は、自分も誰かも大事。
暑くなる寒くなる、もういっぺんだけあったかくなってみる。
そんなことをなんべんもなんべんも繰り返し、
でもあなたの大事な人は、今、そこにいるんですね。
そんな簡単なことじゃない、ことも沢山あっただろうけど、
いま、そこに。
おいしいご飯を作る人、おいしいコーヒーを入れる人、
汗をかく人、それ拭く人、ことば、笑い、なんかテンション
わたし、テンション高くてごめんなさい、なんかテンション
わけわからん高揚で、ごめんなさい、
なんかもう、沢山沢山、わたしには、知ることの出来ない出来事が
あったんだろうけども、今、そこにいるあなた達の
なんか、おいしいコーヒーに、たとえばそんな中にはいってる、
なんか、溶けてるものが見えないことになってるけど、はいってる
そんな人たちに会いました、
おひさしぶりでした、はじめました。
そんなわけで、手紙書けばよかった。
色々な、大事な人がいる大事な人たちに会いました。
それぞれが、それぞれに、沢山の出来事をへて、
変わって変わって、変わらなくって、
そんな風に、今、そこにいるあなたとあなた。
お久しぶりです、はじめまして。
大事な人がいる人は、自分も誰かも大事。
暑くなる寒くなる、もういっぺんだけあったかくなってみる。
そんなことをなんべんもなんべんも繰り返し、
でもあなたの大事な人は、今、そこにいるんですね。
そんな簡単なことじゃない、ことも沢山あっただろうけど、
いま、そこに。
おいしいご飯を作る人、おいしいコーヒーを入れる人、
汗をかく人、それ拭く人、ことば、笑い、なんかテンション
わたし、テンション高くてごめんなさい、なんかテンション
わけわからん高揚で、ごめんなさい、
なんかもう、沢山沢山、わたしには、知ることの出来ない出来事が
あったんだろうけども、今、そこにいるあなた達の
なんか、おいしいコーヒーに、たとえばそんな中にはいってる、
なんか、溶けてるものが見えないことになってるけど、はいってる
そんな人たちに会いました、
おひさしぶりでした、はじめました。
そんなわけで、手紙書けばよかった。
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