「出産方面」: 2009

2009年12月22日火曜日

短編&連載4



紙雑誌版「破滅派vol.5」が発行されました。
拙作ニュー短編「アルコールの神様」青井橘 掲載されております。

雑誌目次などこちらも。

すごい力入った海外誌情報など満載です。500円ですよ。
ジュンク堂新宿さんでも扱い始めたそうで、関西方面の提携店開拓、もたもたしていて申し訳ないことです。

それとウェブのほうの連載
「喫茶エリザベート」青井橘、四回目始まってます。

連載は間が空くのでなにがなにやらですが、まとめて書いたので私自身は大丈夫なはず。
でもなにがなにやら……。

寒いのがとっても苦手な私は、鍋だのシチューだの湯気がでる料理を作って乗り切ってます。
温暖化と氷河期、どっちなのかはっきりして。

皆様、風邪方面、ウイルス方面、各方面に気をつけて、元気に年越しを迎えてくださいね!

2009年11月16日月曜日

高校の美術室。と優しいキモチ



四週間にわたる高校の美術室での仕事が終わりました。
長いスパンの仕事がおわると、ホッとするのと同時に、もうちょい多めに寂しいです。
大学というのは結構あるけれど、高校、というのはめずらしく、高校生かわいい。
先生もステキに楽しく、高校生って中学生みたい、そいで大学生って高校生みたいってな、ちょっと大人な会話をしました。幼く感じるのは年を経たせいか。私もリアルに高校生だったときは、もう大人やわほっといてくれ、と思ってたけどあんなにかわゆかったのか。いや、何かが違う青春の翳り、てなことも思いつつ。
女子率高い生徒さん達、風がびゅんびゅん強い日に、窓を開けて大騒ぎしてました。絵の具も油も飛ぶで。
「風ー!風ー!」「かっぜ!!」とか言いながら、風に手を振る。なんて儀式なのか私もやりたいと思ったけど、寒すぎて、若さ元気さにたじろいだ始末。風と遊べるなど!

10代というのはなんだったのでしょうか。久々に並ぶ教室とそのまえをカツーんと抜ける廊下と、「うわばき」という種類の履物を前にしたものだから強制的にカイコスイッチが入りました。うわぁチョーク、時間割、チャイム、放課! 音によっていっせいに出てくる制服。始まる雑談とか、ちょっとした孤独というの。早弁の孤独。あの雑談とその隙間をさっと流れる孤独というのは、大学とはやはり違う。世界を、ビニール製のように思ってた。

高校時代、主に入り浸っていたのは図書室、保健室、部室、そして美術室、でした。
図書室でも保健室でも部室でも、授業をサボって本を読んだり寝てたり。とにかく良く寝たし、二日に一回は仮病をつかってた。で、美術室。

数学か美術か、という、牛丼かプリンか、みたいな選択科目で迷わず美術をとった私でしたが、ここだけの話高校はサボりすぎて出席日数が足りず、卒業自体やばかった。なのですべての科目を課題提出で乗り切るというかわゆさだったのですが、美術の課題は自分の手のデッサンやったのを覚えてます。

青春の翳りのせいで、高校時代とは綿飴のなかのよう。その他どんな不祥事を起こしたのか記憶が曖昧な部分が多いけれど、何故か美術室のことは良く覚えているのです。
先生が、現在の美輪明宏を三分の一くらいに痩せさせた感じの、烈インパクト女性で、島田先生といいました。で、「ジュンコ・シマダのいとこ」とか言ってたのだけれど、本当だったのか。
「本当」なのかどうか知りたい時にほど、「本当ですか?」の一言は重い。嘘でもまことでもどっちでもいい時の「ほんとに?」は軽い。

嘘かまことかわからんような事だらけで、なつかしいけれど戻りたくない高校時代。てか、うまいぐあいに人生とは、戻れないようになっている。すごいなぁ。

一年以上にわたり、なんか人生の転換、ある意味パラドクスも転換で、キリキリしていたけれど、人と出会うとまた人に救われる。救われないのは、何時代であれ、優しいキモチになれない時だったのだよなぁ、と。
でも、ま。
ああ生きるとはたいがい。

2009年11月9日月曜日

連載3と海外作品月間

文芸誌破滅派 連載小説
『喫茶エリザベート3』青井橘

もう三回目ですね。
この作品は100枚ちょいで完結です。

思えば2006年頃にふと小説を書いてみようと思い、以後驚くほどプライベートがばたばたしましたので、ていうかプライベートなど落ち着いたためしはないのですが、まあ実質一年半くらい書ける環境だったといえます。その間に書いたのが300枚が一作、150枚が一作、100枚程度が二作、という感じです。すぐ長くなっちゃう。で今は改めまして20枚完結を書き終えました。今日、さっき。仕事から帰ってから。

さて話し変わって読むほうですが、私は買った本を読み終えるまで次のを買わない、という枷を自分にしいておりまして、買いたいんならこれ読めよ、という本がデスクに積んであります。しかしどうもこのところ、ていうか一年くらい本が頭に入ってこず、ツンドル状態でした。でも読みました。


 『キャンディ』テリィ・サザーン
 これは本のジャケ買いというか、ネット上で見つからなかったのだけど写真とは違う表紙で全面どぎついピンク、キッチュなまなざしはそのまんまだけどサイケさアップ!の、角川1970年版を古本屋で50円で見つけたのでした。映画はみたことないんやけど、メイソン・ホッフェンバーグというハンバーグみたいな脚本家の別名です。ハンバーグはたしか『イージー・ライダー』とか『博士の異常な愛情』とかの脚本書いてた人です。
 内容はキャンディってゆーカワユイ女の子が大学教授とか医者とか教祖様から狙われるのを回避しつつ、コメディアンド風刺な、あ、やっぱりどこかアメリカン・ニューシネマ的な感じです。偉そうな事言ってとにかくヤリタイおっさんの姿が哀れです。
「ぼくはマッチョじゃないよぅ」といいながらその実コテコテマッチョなおっさんが多い日本でも通じる風刺。風刺とか皮肉とかあんま好きやないけども、そいつらに読ませたい快感と不快感が混じる読後感。出版後は発禁になったみたいだけど、なんでか私発禁ものによく当たる。


『ずっとお城で暮らしてる』シャーリー・ジャクソン

こちらはまだ途中まで。だもんで、内容ご案内と帯から一言。
「私はメアリ・キャサリン・ブラックウッド……悪意に満ちた外界に背を向け、空想が彩る閉じた世界で過ごす幸せな日々。しかし従兄弟チャールズの来訪が、美しく病んだ世界に大きな変化をもたらそうとしていた」
「すべての善人に読まれるべき、本の形をした怪物である。――桜庭一樹」
さすがは箱庭の女王、桜庭一樹さんの言葉すごいですね。

純真無垢天真爛漫なヒップ少女がマッチョおやじの刃の間を駆け抜ける VS 閉じこもり妄想乙女

ある意味対極の二つです。翻訳モノは頭に入ってこないときはほんと入ってこないし、海外作品の救われなさ、残酷さは、日本の小説とはまた質がちがうんだけども。

2009年11月2日月曜日

水をとりにいく。


野菜をあげたり鍋を共につついたりしている近所のともだちんちには、美味しい水があって、われわれの家からチャリで5分くらいのところにある神社から汲んできているのだと教えてもらった。
さっそく行こうと思っていたのに、でかいペットボトルというものが家になく、でかい空きペットボトルをとっておき、このたび水を汲みに行った。


われわれの家ではあまり生水を飲む事がなく、水を買うこともあんまりないし、なんかろ過する容器みたいなのもなく、たいがい自家製のどくだみ茶を飲んでいるのだけれども、友達が遊びに来てみんなで焼酎を飲んでるとき、割り水、と言われ、ああそうかそりゃ美味しい水で割りたいわ、と思ったものだった。


こんな近くの、しかも商店街からすぐのところから水を取ってこられるとは、それを知らなかったとは!
わりと有名なのか、訪れたときおっさんが先に汲んでいて、待って、われわれも。そしたら汲んでる間におばちゃんが来て、待たせてしまった。順番を変わってからおばちゃんに話しかけてみると、「ここと、もういっこ、あるんだけどね」と教えてくれたその場所が、家から歩いて一分くらいのとこにあるという耳寄り情報。帰りに確認してみると、そちらには「地下水出ました」と書いてあり、この神社のような竹からちょろちょろではなく、蛇口のある水道が設置してあった。水の落ちる場所にはくぼんだ岩があって、金魚が泳いでいた。「どうせ自分が水汲み係りにされるんやろう」という図星の嫌味を相棒に言われつつ、今度はこちらでも水を取ってみようね、と。



帰ってからごくごく飲んだ。神社の水は冷えていてとても美味しかった。教えてくれた友人、それとあらたに教えてくれたおばちゃん、ありがとう。

2009年10月26日月曜日

残ったもの

相棒が旅費をプレゼントしてくれた。
なんか元気がないらしいので、私がだよ、元気づけるために出来ることをと。出来る事をいつも探す人。私らはいつも探しあい物々交換をし、分け合いっこをするのだ。ありがとう!
そんなわけで愛媛県の新居浜から山に入ったところにある、別子銅山という場所に行ってきた。
まだ暖かい日もあるので、観光地と言えば和歌山の白浜あたりにしようかと迷ったけれども、なんかこう、古いような寂しげなような、それでいて大地のパワーが感じられる場所と思って。
採鉱全盛期にはばりばり栄えていて、抗休までは一つの町として同じ産業を担う人々の共同体だった場所。




標高750だか800だかの山奥。




古くて大きな木 枯れかけてるのに別の枝がはえてきてた。


ななかまど ああ七竈 ななかまど

小学校も病院も社宅も娯楽場もなんでもあったらしいっす。資料館のような場所にかつての子供達、いかにもかつてな感じのノースリーブに半ズボン、歯がこれから生えてくるよという抜けた笑顔のモノクロ写真が印象に残った。明治20年頃から昭和43年まで銅山は機能していたそう。いつごろの写真で、今あの子供達は何歳で、どこで何をしているのかはわからないけれど。

2009年10月7日水曜日

じねんじょと反射神経



暗がりに轟音で目を閉じ、そんな自分に酔うひまがあるなら、風の音をきけばいい。



聞こえるものは聞こえるし、聞こえないものは聞こえない。われわれはべつの耳。



けれど十年、二十年、同じ思いを求めてきた友は、やはり美しい。



じねんはいつも味方であり、なにごともおおげさに、たいしたことないくせに、と教える嫌な友達。



なあなあ、それでもやっぱり愛をこめて。そんな頑丈でもないからやっぱりいっこいっこ。



わたしはこれらのものから生まれてきた。スピリチャルでもなんでもない、ただの事実。



だから流れるなら、流れるのだ。



そしていく。かえるのではない、そこにいく。


わたしはわたしのじねんを愛するように、君のじねんを愛する。
じねんを忘れてしまったら、汚れちまったら、洗おう。
これらの場所にも沢山の音がある。
ちくたくちくたく、と聞こえない音を聞こえるふりの必要もない。


まだ秋のしのびよりが、こんにちほどではなかった過日。
山奥で撮影をした。
私は滝のてっぺんから滝つぼに落ちるという経験をこの日、はじめてしたのだが、じゃぼんとおちて、鼻がつんとして、次の瞬間写真家に「今の撮りました?」と。心優しき写真家は、心配してくれてシャッターどころではなく。

たいした怪我もなく。

ああ常日ごろからなんやかんや運動で、反射神経きたえてて良かったな。

私はいっつもはたから見たら大怪我かしんでるんっちゃうんという事故にあっても、何故かかろうじて、生きてしまうのである。

2009年9月30日水曜日

連載二回目 長い一日

破滅的破滅派、連載第二回目
『喫茶エリザベート』(2)

開始しております。

それはいいんだけど、

ある程度生きると一日が一ヶ月が一年がはやい、とか言うはずだけども、
リア王、というのがリアルが充実してることとは知らなかった。
知らないことだらけで一日の長い青井橘。

できれば、美しいことだけ知って生きていきたかった、
最近、汚れ、を知った幼き青井橘。

そんな感じでよろしく。

2009年9月20日日曜日

やまだないとのうしろめたさにうしろめたい。









少し前に、やまだないと『家族生活』を読みました。で最近もう一回読みました。

好きな漫画家だけど、やまだないと、と、山本直樹、は移動中とか外のどこかとかいう場所で読めない漫画家です。景色とか、音とか、人の流れとか、とにかく周囲が動く気配の中で読めない。何もない、真空のような場所、そんな場所が世界にあるのならばだけれど、そんな場所で読みたい二人です。
覚醒しているけれど気が付かないふりをしている、という意味で似ているのに、その「ふり」の方向が違う。
山本直樹は覚醒している。醒めているあの目は、怖い。山本直樹の描く目に、私はぞっとします。登場人物たちの置かれた世界、この場合特に『ビリーバーズ』と『安住の地』で描かれている世界の事を言うんだけれども、すっと冷たい乾いた目であの世界の中に存在できる、しているという事が怖いのか。時々見せる目の暴力が怖いのか。いや怖いのではない、やるせないのか。
信じる、ということの怖い部分が細い線で描かれた目に、常に安住していて、時々それがはっとするほど強い残酷さでもって、睨んでくるのです。一瞬の視線が出ると、ほんとうはこいつら、何も信じてなどいないのかもしれん、と思います。信じてない事まで覚醒して、その上で「ふり」をしているのではないかと思うのです。で、「ふり」をしている自分を封印すると、人は、あんな目になるんではないかと。

けれど、やまだないとの「気が付かないふり」は、ふりをしていることに自覚的だから、もう少し悲しい。
「気が付かないふり」というより「知らないふり」に近いのかも。

だってほらお二人とも……求めたものが同じじゃない。家族って名前の共犯者……
                                      『家族生活』

『家族生活』は、血の繋がった家族と結べなかった者が、血の繋がっていない者と切り離せない関係を結ぶという話で、その意味において登場人物のほとんどが、何らかの形で「共犯者」です。ある者がある者と共犯でありたいと望み、ドッキングしたり、あるいは拒まれたり。
上の言葉を出した人物は、拒まれて追いかけており、逃げている三人は「逃げている」共犯。
その主犯格とも言える人物を追いかけていた、ある意味「敵」の言った言葉なんだけれども、この「敵」も、追うという補完を行っているのかも知らん。
そして赤ん坊の時に連れ去られ、選択肢なきままに二人の男の間に持ち込まれた少女、ヒナ12歳は自覚的に「知らないふり」をしている。彼女は気が付いたときから共犯の真ん中で、血の繋がりより、その共犯関係を選択する事で、さらに共犯して、「知らないふり」を続けていく。男二人はたぶんヒナの「知らないふり」を「知らないふり」していて、その点で、ヒナの存在に依存しているように思います。
私は、ちのつながり、がある者とは共犯できないと決定的に思っているし、それは思うとか考えるとかいう問題を超越して、すでに感覚的なものになっています。出来事の積み重ねがあったとかいう家族史は、歴史やから二倍重ねも書き替えも可能なのかもしれんけど、重ねていくことで変化も可能なのかもしれんけど、感覚的な生々しさは、冷凍しても脱臭しても変化しないのではないか。
私はこの作品、とても共感しつつ、苦しくて、それだけでなく「つまらない」と思った。
がつんと引っかかる部分があるものについてのみ、「つまらない」と思い得るのだとも知りました。そういった意味でも、そんな物語を作れるやまだないとが、すごいとも思いました。
ヒナのように、「知らないふりをしている」を自分に課して、それで「今」を保とうとすることは、言語道断でがつんときて、痛くって、涙が出てくる。
でもだけどさ、その「知らないふり」を破壊するには、一度「知っている」と言ってしまうしか、ないんやと思う。知っていると言ったそのときから始まる、無知、というものとの出会いを逃してしまう限り、とどまり続けなくてはならないです。それは、どうなんやろうか。
私はなんとなく、少し前まで、そういうとどまり方を、美しいと思っていました。というか、とどまるしかできない事を、擁護したかったのだと思います。けれども、世界はもっと残酷に、もっと別の美しさを持って広がっていて、無限の無知を受け入れるしか生きていけない時が来る。ヒナ達三人の「家族生活」は、残酷なものの上に危うさを持って保たれていて、ヒナはその事を知っているけれどその先は知らない。ラストシーン以降物語が進んでいくのだとしたら、壊れていくんやろう。
かつては、そうして壊れていくまでの物語の美しさを美しいと思っていたけれども、私という微々たる個体の中でも、「思う」や「考える」は変化していくのです。
この物語を切なく美しく享受できない私は、「知らないふり」をして「共犯者」を求めたその先を生きていくしかないのだと思います。確かに血の繋がりの中には持ち込めない物語があり、それは血の濃さが邪魔をしている。でも血の繋がらない者と血で繋がることも出来ない。結局血で繋がることの出来ない他者、と共犯者にもなれず、けれども共に生きていく事の難しさを「知らないふり」もせずやっていくことのおっくうさや、寂しさ、大切さを思えば、血は薄まっていくような気がするのです。水も濃くなっていくように思うのです。
家族という共犯者を求めた彼ら彼女らが、逆に血の濃さに囚われてしまうのだとしたら、一度「うちら、ちー繋がってないし」ってとこから初めたい。

要するに私の「つまらない」はただ私が今の自分の価値基準で価値判断をしているだけなんですね。評論、批評をしたいんでなければ。
物語を享受するってことは、そういう部分が多くあり、共感というものを得るだけではない「つまらない」は大きな存在だと思いました。

そして今何度も読み返している、やまだないと『西荻夫婦』は、その他人である事に関する圧倒的な寂しさが描かれていて、私はうしろめたい。「つまらなく」ない。何度も何度も何度も、つまらなく、ない。
うしろめたい。自分のために時間を費やす、ということのうしろめたさ。
もう少し読み直したいと思います。

2009年9月9日水曜日

写と交わる、真はどこ。


どこまでいくのん。




どっこもいかない。
ここにいる。


あの時のあなたはもういない。


生まれたら、ここにいたわれわれ。

時と場所と
もちもの、がかわっても、
かんじかた、がかわっても
かわらないわたしといういれもの。

ここにいたわれわれの、ただのひとつ。

2009年8月21日金曜日

生と生音と生やけど












話が長い事で金輪際な、わたし青井橘ですが、知らない人にもこの、長い全体的な文面ですみません。
友人知人縁者さまにはほんと、ながいことながくてすみません。

昨日は話だけではなく長い一日でした。
ま、普通に大阪方面で仕事の後、そこのお仕事はとてもいいエネルギーをいただきますが、それを拝借しつつ車窓を眺め、移動につぐ移動。
そして赤提灯のあかりのもと、長き重要な生電話。
いやいや、日常の細部はともかく自分でどうにかしろという話で、びゅっと非日常に飛びます。

移動長電話ののち、manntaというとてもとても楽しく演奏する大所帯バンドのギター、たちばな氏からのお誘いで、別ユニット「回馬」のライブに。
manntaは以前西部講堂で、とてもとても見ている側も楽しくびびっとする迫力ライブが印象に残ってますが、法然院でのドローイングと音の融合など、常にびびっとすることをしてくれます、たちばなさん。
お久しぶりにウーララでしたが、相変わらずの虚無僧ぶり。虚無僧は私の中で今回改めて決定しましたが、ご本人の拒否があり次第、訂正しますね!えらそうに。
やや、かた膝をあげてのPC前にたたずむ、ノットパフォーマンスな演奏ぶりと、にもかかわらず背後で広がってゆく世界は、ソロのときも好きですが、今回の回馬も良かったーのですよ。
なにせ、ダンサーのインパクトとヴォーカルの声ことば、尺八、虚無僧の合わせに映像。毎度のこと、作り手変わっても映像いいわぁ。飛んでくるよ。
演奏と演奏と映像とのなか、沈黙の時間がこよなく、こよなく長く感じられました。スキマさんぎょう、なんでも、間、ってえのはえらい力を潜伏させてるから油断できません。

生の音は生でなくてはというか、音は生でなくては、その場にいなくてはしょうがないので、ライブハウスは死ぬほど好き。

たいばんバンドも生で、とてもとても気に入ってしまいました。
それがトップ写真の「桜重奏サーティーン」
なにがすごいってドラムすごかった。ギターヴォーカルのあけみちゃんがかわゆく、声がきりーと通り、そんでもってとにかくロック。
「ロックは生まれたときからロックではない。ロックンロールは死んだ」とのお言葉を最近あるところで読みましたが、ロックは死んでない。いま求められとるのはロック。
わかってくれ、わかってくれよ、ゲットバック、ロックンロール!……をですね、黒着物姿の娘さんからひしひしと感じました。昨日は金髪のおかっぱに赤い花で、またかわいかったけど、ビジュアルだけじゃないんよね。

彼女も、回馬のめっさ迫力メヂカラかっこいいダンサーもキュートヴォーカルも写真おさえたのですが、私のしょうもない、使い方わからん、赤外線の意味もわからん携帯の写メではどうにもならんね、生のライブハウスは。
まじでちゃんとしたカメラ欲しいかも。

それでおまけ日常ですが、帰宅後、サンラータンメンを食べようと、でも時間が時間なので春雨にして70カロリー前後とふみ、熱湯でどうこうしてるときに、ひっくり返し火傷。
「うわぁぁぁもう嫌や、嫌や、痛い怖いー。だから嫌っていうたんやー。はる、はるさめをサンラータン、さん、さんらーたん味で食べようと、それだけやのに!」と誰にって自分と自分の存在する瞬間世界に怒りながらマジ泣きしてキッチンで水を流してたら、手当てをしてもらえました。
間にはさんどるのは、ケーキ屋さんとかデリカでもらえる保冷のやつです。とけるとぷにゅぷにゅするあれ。
ケーキ屋さんでケーキ買う事などめったにありませんので、デリでもらったのをとっておいて色々冷やすのは便利やけど、やけどやけど、自分のやけどを冷やすとは!
ぐるぐるまきにされて、なんもできひん。水ぶくれできてたら即病院送り、と言われ、
「あした水泳は」
「ダメにきまっとるやろうがボケ」

そんなボケでもなぁ、いま考えんでいつ考えるのと、ぐるぐるまきの手を天井にかざしつつ、
生と生と機械と電話と、伝えるという事を考えてるうちに眠りました。
バンドの皆様、いつもいつも、伝えてくれてありがとう。

私は昨夜のうちに伝える事はできず、手紙も書けず、眠ったのです。
手紙書けばよかった包帯でも、と考えながら。

2009年8月15日土曜日

ネットワークと体、なにコレ。

いかんいかんと思いながら、
伊藤比呂美、および、埴谷雄高をほろ酔いで読むので
断片と断片が折り合っている『不合理ゆえに吾信ず』ばっと開いて
みたとこ勝負。

しかし毎日、なんですかこれは。なんですか。
って、WEBですみません。
刺激的というには肯定的すぎ、でも平和な東山を眺め、
こよなく、こよなく、平和、求む。
斬新革新、また経験で確信を重ね、座布団しきの確信で。

ネットワークについても少しこ理屈こねまわそうと思ったけど
めんどくさくなっちゃった。
だいたい、圧縮解凍で、自分が解凍。苦手。
向かず、拾わず!

そんな自分への手紙というしょうもなさ。

2009年8月12日水曜日

連載はじめ。移動につぐ移動。

オンライン文芸誌 『破滅派』―後ろ向きのまま前へすすめ― で連載始めました。

『喫茶エリザベート1』青井橘 
あらすじ
老人たちが集う路地裏の喫茶店、エリザベート。店の看板をチャリで破壊してしまい、一応侘びを入れようと店に迷い込んだ主人公と、客、店員、オーナーとの奇妙なやり取り。主人公は何者なのか。老いた客どもは何やつか。生と死、美と醜の矛盾に立ち向かうすべはなく、鼻水を垂らすしかないのか、人間。

なんかもうわけわかんないあらすじで自分で書いたのか編集さんが変えてくれたのか、まじわかんないけど。
いや多分自分で書いたのだ。そうなのだ。ちょっと出だし一話目は会話とか少ない描写ばかりで読みにくいかもしれませんが、よろしくです。
きょうび、さまざまな分野でのオルタな活動は熱く文芸的にもなんかないかなと探してましたが、雑誌的におもろいのです。特に紙雑誌『破滅派』はお買い得。面白い書き手さん、沢山います。買おう!
色々書いてると色々たまってきますが、いつまでもこねくり回しててもしょうがないので、常に新しく。
常に後ろ向きでも前に進むのね。

少し前からなんでんかんでん考える事があって、人とも話してあれこれ。
今のところ熱く思った事は短くいえないけど、無理やり短く。

われらの時代、われらの時代は、あきらめてもあきらめない。
しらけてもしらけてらんない。新しい今なのだ。

わたしは生活レベルでは常に変化、安定せず、ぐらぐらとした石の上にたったり座ったりだけれども、なんや働いて食ってきたけど、でも変化は沢山あった。なんか、それって、みんなそうなのかもしれないね。心がどこかにおさまりきってしまうことができひんから、肯定して、否定の言葉も肯定して、ぐっと。否定否定の時代は終わり、ちょっともうまじでそんなこと言ってらんない時代だから、わたしは何かが好きな事を、素晴らしいと思う事を言うために何かを否定して反作用的に肯定する言葉は否定します。これも何かを否定して肯定する言葉なので自分で否定せねばならないけど、わー!

移動が多い日々が続き、移動してる間に軽く一週間くらい過ぎてしまうのですが、移動につぐ移動なのは仕事があちこちなのだからで、さまざまな乗り物に乗っています。すごい早いの。でも今日という日は毎日、じっとりゆっくり進んでいて、今はなんだかがっと目をみひらいていないといけないけど、そんな時期だけど、しんどいしんどくないいったらまぁあれだけど、仕事、好き。嫌な事もあるけどなんか好きだよ。別に働くのが好きなわけじゃなく、働かなくてもいいならいいなぁとも思うけど、でもそしたら色んな出来事もなかったわけですね。うわっなんかすごい。

移動につぐ移動でめぐり合った人は、たいがいみんな必死に絵、描いてます。私などという正体不明のモチーフをぐっと見て、もう老いも若きも描いていて、ふつうにもう1000人以上とそういうふうに出会ってるんだろう。これだけ沢山の人が、なぜにここまで必死に絵を描くのか、どんな場所でもなんらか、おどろき受けます。

最近印象に残ったのは、やさしいタッチの絵を描く日本画と洋画の間のような不思議に透明な絵を描く、割とねんぱいで、お母さんよりちょっとねんぱい、くらいの女性で、「祇園狂」。祇園祭が好きで好きで、もう好きで好きでしょうがなく、毎年毎年宵以前に十日くらい前から京都に泊まりこみ、あらゆる場所であの、でかいだしものを描いたり、楽器を弾く人や楽器を描いたり、入っちゃいけないところや通行禁止のところに踏み込んで、追い出されたり叱られたりしながら巧妙にすりぬけ、光景描いたりしている。そいで今年は描きたいものを追いかけて全力疾走し、こけて、頭から血を流したらしいです。

休憩時間に、そのへんのところをちょっと聞いちゃおうと話しかけると、ありえへんくらいの優しい笑み。なぁに、とおしつけるでもないあの笑顔は、あれは祇園祭への熱き思いによる邪念喪失、による菩薩のような顔つきで、わたしはいいなぁ、素敵だなぁと思いました。ふわっとした濃い頭髪の奥に、こけた怪我の傷がまだ残っているそうですが、来年はウィークリーマンションを借りるべきか、本当は一月いきたい、いやむしろ住みたいけれど、家族があるから、家族を祇園祭のために引きずり回せないから悩んじゃう、傷のことは悩みでもなく。いやその大阪京都の微妙な距離感もいいと思うけど。ていうか、こんな人が京都に住んで、いったい、毎日何をどうするつもりなのだろうか。

何かを好きで愛してやまない人の口から出てくる言葉は、こう、否定も取り繕いも無く、誇張も無く、素敵なことでした。

2009年8月3日月曜日

あんたの「パ」なんとか

色々な人に会いました。
色々な、大事な人がいる大事な人たちに会いました。

それぞれが、それぞれに、沢山の出来事をへて、
変わって変わって、変わらなくって、
そんな風に、今、そこにいるあなたとあなた。

お久しぶりです、はじめまして。

大事な人がいる人は、自分も誰かも大事。
暑くなる寒くなる、もういっぺんだけあったかくなってみる。

そんなことをなんべんもなんべんも繰り返し、
でもあなたの大事な人は、今、そこにいるんですね。
そんな簡単なことじゃない、ことも沢山あっただろうけど、
いま、そこに。

おいしいご飯を作る人、おいしいコーヒーを入れる人、
汗をかく人、それ拭く人、ことば、笑い、なんかテンション
わたし、テンション高くてごめんなさい、なんかテンション
わけわからん高揚で、ごめんなさい、

なんかもう、沢山沢山、わたしには、知ることの出来ない出来事が
あったんだろうけども、今、そこにいるあなた達の
なんか、おいしいコーヒーに、たとえばそんな中にはいってる、
なんか、溶けてるものが見えないことになってるけど、はいってる

そんな人たちに会いました、
おひさしぶりでした、はじめました。

そんなわけで、手紙書けばよかった。

2009年7月28日火曜日

ごめんなさい、フライドチキン

言うに言えないこと、言えなかったこと、
特に言わんでもよかったこと、なんかを書くページ
青井橘「手紙書けばよかった。」

いや、じゃあ、機械の中に言葉並べんなよ、
っていう意見もありですが。

フライドチキンにお詫びをしました。

タイトルから飛べます。

以後、手紙はこちらにします。

2009年7月24日金曜日

言葉

ラベルにおいて、おやのかたき、のように並んでいるのは、
詩とはいえない言葉の羅列です。私は言葉で、世界を、把握します。

アホみたく引っ張り出すのもどうかと思ったのですが、
これらはだいたい、2年半くらい前から6年半くらい前までの間に書いた詩で、 無差別なかんじでフォルダに入っていたり、大学時代の日記の中に残っていたりするものです。
それ以前にも、膨大に書いていたのだけれど、 たとえば高校時代のなんかも大学ノートにたくさん、たくさんあるのだけれど。

大学時代という幸福で贅沢な時間に書いたものを中心に、
このブログを準備している中、羅列しました。

大雨が続く深夜、いっきに。
大雨がやまぬうちに終わらせなければならぬのだ、となにやら急いで。

いっきに並べると、読んでくださった方がつまんないのにあたって、
さらに読んでもらえないという危険性もあるのですが、まあまあ。
つまんないつまんなくない言い出したら、そもそも。

物語というのか小説を書くようになってから
こういうものを書く快感に逃げてしまいそうなので、しばらくやめてました。
でも、なんか、やっぱり好きだし、大事だし。

いろいろな感情生活がありますね。
誰にでも、交換できない特別感でいっぱいの大切なものがありますね。
いや、誰にでもと薄めるのはなんか、誰にでも失礼なんでやめときます。

泣いたり笑ったり怒ったりして、渦中の時にはなんにも書けないことになる。
書かないでも、ちゃんとご飯食べたりおしっこしたりしてるなら
それがすごくいいように思う。
書くことも忘れて生きれてるときって、いい、ように思う。
でも書かなくてもいいということと、書けないということは、
あまりに違い、あまりにも振り子なので、
その中間の時に、なんか、書いていたようです。

とってもにくたらしい事実というか実感ですが、それは変わらない気がする。
これからも書くのだったら、ブログで時折過去に書いたものを載せるより、
これから書くものを書けばいいので、いくつかを、いっき方式にしました。

言葉は、からだ。
かっこつけるからだ、うそつくからだ、寝たふりするからだ、
そんな自分に酔うからだ、そんな自分を笑うからだ。
酔って笑ってバカにして、でもけっきょくけっきょく、またも、
そのバカバカしくも美しい時間という現実っぽいものごとのなかに
偽ものか本ものかではない、誰が決めるのそんなこと、のなかに
あり、ある、ものごとのなかに飛び込んで泳ぐ、からだ。

からだ、がなくては、はじまらない。
感情的と、理屈っぽさに引き裂かれつつ、けっきょくからだ。
そしてからだが言葉がなくなったとき、ない場所に、
あるもんがある。脳みその中には残らないもうひとつのからだ。

田んぼのあぜ道が果てしなく濡れてるだけの砂漠に思えた頃

絶対的に断絶し
圧倒的に存在している別のもの
絶望的に大丈夫


すばらしい恋心でもって、
一瞬を信じさせてくれる恋心でもって、 
なんで生まれてきたんですか、 
そいでこんなに痛いんですか、
という 誰に向けていいかわからないナイフを忘れさせてくれる
なんか、恋心という名前のついた優しさでもって、

田んぼの脇に車を止めて、啓太君とキスしてました19歳

青い匂いが田んぼの水分から流れてきました5月頃?

好きというか恋というか、 
蛙というか鴨というか有機農法というか 
そんなこともいっさい知らん私は 

別に車でセックスもいいですよ 
あぜ道でもほら、月明かりに照らされて心地よさげ 
月は基本的に見てみぬふり派の包み込み派

セックスという名前のついた会話でもって、
昨日と今日をつぶし塗り、明日の白紙を用意する 
それが君と私の19、はたち

啓太君はその日、掛け持ちバイトの二つ目が終わった私 
12時近くにくたくたになった私を迎えにきてくれた時 
ポンコツ中古車の窓を手動であけて、 
小さいオレンジの薔薇を一輪だけくれました

「なんで」
「お疲れ祝い」 
「そんなんいやだ」

互いの違うことになってる器官をどうこうしながら、
けっきょく何がしたかったかといえば、わかりません
ただ、ああそうか 
つながることがこのままであってくれれば 
けれどもつながりきることはできないという 
喜びも悲しみも幾年月、むかつくことに多分永遠
  
それでもなんか、救われた 
それでもなんか、幸せだった

啓太君はいろいろくれた 
小さい偽物の石が入った指輪をくれた時 
なんか可愛らしいピンクの、手触りのいいケースを開けると
そこには缶ジュースのプルタブがちぎって入れられてた 
鈍いスチールの輝き、ていうか輝かないけど

「なにこれ」
「うそうそ」

啓太君はポケットから、紫色のキラキラしたのがのってる 
銀の指輪を出しました  
びっくりしていた私をにひひと笑い、 
本物は高くて買えないごめん、と言ったけど、 
それは鉱物としてどうかなだけで、 
めちゃくちゃ本物だったので、涙が出た

そんなことが重なり合って、
体が重なり合うよりも、重なったものごとが、
好きをつくっていたので、 
逆に、車でセックス的なこともいいですよ、 
と思っていたわけです

しかし肉体的ドッキング運動にはいたらず、 
車の中で啓太君の横顔を見て、声を聞きながら  
家出した家に帰るという 
想像するだけでも怖いことから一分一秒でも逃げようと、 
ていうか現実そのものから逃げようとしていた私の矢先、
  
ポンコツ車の開いた窓から、でかいこぶしが飛び込んできた 
父は柔道黒帯で、世の悪い人をまとめてぶち込むことが生業だったので 
その威力、私にはNASAくらいわかんない

啓太君は、飛突如ぶちこまれた他人のこぶしにびびっていただろう 
痛いとは言わなかったけれど、痛かったに違いない

父にとって敵、親にとって敵、 
したがって殴る相手もいつだって 私のはずだったのに 
啓太君は共犯者 
殴られても車から降りてひるまずに挨拶する 
折り目正しい共犯者

「わたし悪い人じゃないし」 
私は泣きながら、怖い父に蹴りを入れ、
しかしかすりもせず、こけそうになる 
自分の弱さにうんざりして
「なんにも、どうでも」とかわけわかんないこと言いながら 
そのままあぜ道方面に走って逃げた

父は何事か大声で叫び、家方面に向かって見えなくなる 
私は開発途中の住宅街の 
果てしなく他人事的な、へーベルハウス的な明かりをぬけて 
果てしなく続くあぜ道に入り、 草が夜露に濡れて、足にからみつき 
けっきょく、こけた

安い白のエナメルサンダルも気にいっていたし、 
古着であっても私には新しい、水色のミニスカートだって 
あと3シーズンは現役のつもりだったのに、 
泥と草と、なんかよくわかんない紐みたいなものに汚されて 
泣いた 
植えたての苗を、靴が踏みつけてて、 
緑の小さい、いのちこれからの植物と、 
何回も死んだような化学的材質のサンダルが 
ぜんぜんマッチせず、絵的にもダメな感じでいっぱいで、 
よけい泣いた

生れ落ちた回転軸の 
永遠にまわるミスマッチ 
なんでこんなに合わないの?

啓太君は泣きじゃくる私の隣に座った
「おしり濡れるよ」 
鼻水すすりながらそういっても、答えない 
怒ってるのかな もう、誰にも怒られるのは嫌だな 
啓太君でも嫌だな

しゃくりあげていると、
「とりあえず、まだ帰らなくていいし」 
「なんで」 
「帰りたいときは、一緒についてくから」

暗くて見えなかったけれども 
啓太君の頬のかたっぽには、父の痕跡が残っていて 
怖くて知りたくなかったけれども
それは私の痕跡でもあるのだから、 
手探りでさすると、啓太君の肌はぼんやり、暖かかった
それは痛みの暖かさなのだと 
私の痛みを啓太君の頬に伝染させてしまったのだと 思ったら 
また涙と鼻水が出すぎて窒息しかかる

男でも、女でも、いいんだな 
私が男でも、啓太君を好きになったかもしれない 
 
ならべつに女でもいいかもしれない 
そのときはじめて、どっちでもよくなった

啓太君と小さい古い家を借りて暮らし始め、 
クラムチャウダーを作りながら、 
給湯器が壊れてるから水が刃物レベルに冷たくてひりひりして、 
でもクラムチャウダーがあたたかかったので、 
なにもかも暖かかったので、ぐっすり眠る 
毎日毎日、ご飯を作り、たくさん話しながら食べ、 
寒い日は紅茶を飲んで眠る月日

あいかわらず、時おりセックスしちゃった 君と私の19、はたち

でもせっかくだから、もっと暖かくなればいいと思いながら 
そのよくわからないけど 
みたとこ明らかに異なる器官を使わせてもらったけれど 
えらく気持ちよかった 
シュウマイ食べてるときも、寝顔見ているときも 
見られてるの知りながら薄目のときも 
自分以外が使ったあとの、お風呂の匂い 
石鹸と汗のちょっとすっぱい匂いを嗅ぐときも 
同じくらい 気持ちよかった
 
独占したりされたりすることがセックスで 
それは向かうところ自己と他者への破壊活動なんですか
あるいは強弱
あるいは売買 
エロゴ問答の16歳はびょーんと過ぎ、 
どっちでもよくなった

濡れた田んぼのあぜ道にはいろんな種類の生き物が 
動くものも動かないものもふくめて、 
いったいなにものなのかってことも みんなどっちでもよくなった

絶対的に断絶し
圧倒的に存在している別のもの
絶望的に大丈夫

砂漠だとしても、小さな水場におたまじゃくしを放てばいいのだと 
勝手に蛙になるやつが、ゴロゴロゴロゴロうるさくても、
なにかがなにかを食べ、また食べられ、また食べられる 
私もいつか蛙かなんかに食べられる

果てしなく濡れた砂漠の上で 
泥まみれで 
なんかどこかが、 
なんかなにかが、 
ドッキングしたそんな頃 
君と私の19、はたち

めまい

僕が世界だと思っていたものは今朝水を飲んだコップ
僕が世界だと思っていたものは窓に張られた蜘蛛の巣
僕が世界だと思っていたものは生まれなかった子の臍

僕が世界だと思っていたものは――

世界だと思っていたものが変わる瞬間
めまい

軽いめまいだけど
気持ちいいから
僕は世界を何度だって変える

あの割れた透明のコップ
取り払われた蜘蛛の巣
どこかで生まれたかもしれない子

彼らはどの世界で生きているのか

たぶん――

僕の罪は損なったことではなく
その世界を簡単に
こんなにも簡単に変えてしまうことなのだろう

僕の世界
僕の宇宙

そしてまた今日も動き始めた時計を一つ壊したのだった

2009年7月23日木曜日

多い日は安心できず悪夢を見る

耕されちゃって多い日
昼寝をする

合宿か修学旅行かわからんけど
女子が集団で移動して、
セーラー服という呪術に身をつつむ私

乗りかえが多すぎて
乗りかえが多すぎて
もう移動するために乗りかえてるのか
乗りかえるために移動してるのかわからんし
もうもうもうもう
私は女子とはぐれる

急いで行く急行
快く速く快速
特別急ぐよ特急もう!
どれに乗っていいのやら

わからないので駅前にいた野球選手の車に乗る

怒ってる私は野球のルールいっさい知らんし
野球と呼ばず、玉投げ玉打ちと呼んでるよ
にくたらしいことをわざわざ言う
野球選手は笑う
幻想ルールで成り立つ勝敗幻想がなければ
スポーツという幻想もないのだよ
言いながら、あくびしながら、ライオンみたく笑う

わりといい人だったから、
野球選手の母親の墓参りに付き合った
駅に戻ると女子の一人が探しにきてくれた

乗りかえが移動のためなのか
移動が乗りかえのためなのかわからなくなった旨を話す
うんうん、わかるわかる
でも私ら、乗りかえるために生きてるからね
と女子は言い、長い黒髪が風になびく
班長らしい女子からの携帯電話
そのときはじめてわたしは、
スーツケースをどこかに忘れてきたことに気がつく
班長女子、ざぶざぶ泣く
なんであんたが、ざぶざぶ泣くの?
私のスーツケースの中には、ルネッサンスだか北方ルネッサンスだか、
ポップアートだかわからないけれども、
えらいゲージツの人の100号の油絵が入っていたのに
どう責任取ればいいの班長として、と泣く

そんなでかいの、入りませんよ

でも入っていると泣く 乙女チックな電話声
班長は乙女であった!
昨晩旅館の大浴場で、乙女班長の指示のもと
女子がいっせいに腋毛を剃っていた景色を思い出し
また怒ってきたは私は
ていうか、スーツケースの中には、古い本が一冊入っていたし
他にもいろいろ、ブラジャーとか、ニップレスとか、ロリエ夜用とか、
フェミニーナ軟膏とか入っていて、そっちの方が問題なんですけど

問題じゃない! ゲージツの方が大問題!
乙女班長は泣きながら怒鳴る 
乙女班長は腋毛をなかったことにするし
だみ声という凶器を知らずにいられる

探しに来てくれた女子が携帯電話に出て、
乙女班長をなぐさめ 私をなだめる

正しき乗りかえの順番を教えてくれて
親切な女子と、共に、列車の座席に
座る探しにくる、迎えにくるという行動に感謝して
あんた、お母さんみたいだね、と言ってみる

なんで?
わからんけどお母さんて、そんなかんじ
あんたのお母さんの話でしょ 
私のお母さんは半分男でした 私も半分男です
でもあんた、ミニスカよくはいてるジャンお色気ジャン
あれも呪術です
ジュジュツ?
名前呼ぶと呪いがとけるのと同じ原理
ミニスカートの件なんですけど
いやだから、呪いを無効にする呪い
ようするに男の気を引きたいんでしょ
それもすごい呪いだけど、私自分の足は好き
ほらほらほらほら
でも足もニノウデも腋も除毛脱毛したことないし
マジで
それもそれで呪術がえし
ていうか、毛、薄いだけじゃん

ああ、ああ、女子の話はこうやってすれ違い
女子は何度も乗りかえる
生きるため、らしいので 置き忘れた荷物をあきらめて
ああ、ああ、もうもうずーっと乗りかえるのはしんどいです
そもそも、帰るのですか、まだ行くのですか

悪い夢を見た!と大声で叫び目を覚ます
激痛を抱えながら冷蔵庫をあけ、きゅうりとタッパーを取り出す
タッパーの中には、大量の卵子のような、もろみ味噌
使わなかった卵子はこれくらいだろうかしら
きゅうりを切って、もろみ味噌を乗せ
モロキュウ、という名前のものを食べる

もろ、きゅうり
もろ、おんな
拒んでも、向こうからやってくる
もうもういっそ、多い日には、
これくらいどばっと出血大サービスの卵子でいいような
でも呪いはさすが
徐々に徐々に、効いてくる

気がつけば、腋に三本、毛が生えている

2009年7月21日火曜日

6分間のエロス

痛い痛い痛いの痛いのよ
今飛び出したのは虫かごのカブトムシ
いきものの音がした
皺くちゃになった紙幣を押し込んで
揉みくちゃにされたカバンをすみによけて
ああこれって昔なんどもなんども練習したあれね
甘いにおい ぬらぬらとした輝き
黄金律はそうまさにこんな角度

鏡の前で薄青い蛍光灯に照らされて
帰りたくないのだと気が付いた
竜胆ってどんな花?
聞き返さないから一度だけ答えて消して
顔は見ないからわざとらしく笑って

あなたの指紋のぐるぐるとした渦巻きが
電動式ドリルのように正確にまっすぐに
脇目もふらず縫い合わせていくの
掘るんじゃないの
縫うのだよ
かつてバラバラにしたモノクロームの写真を

痛い痛い痛いの痛いのよ
薄い羽だけはがさないで
断片と断片を閉じていくのね 
そうやってべとべとと 
あなたの指紋を残しながら

おいてきたの

おいてきたの おいてけぼりを おいかけながら

水をたっぷりと含んだ雲が落ちてきそうで、
書いていた10枚目の便箋を破る。

なんとなく、が泳いでいる内田百閒を
なんとなく、閉じて、
3日前に煮込んだ豆を、30粒、口に入れる。
なんで?なんとなく。

10枚、3日、30粒。
生きている世界には数字が沢山だけれど数字なんてたいしたものじゃない。
というところでやけに、コクトーと同じ。
コクトー?
知らない人のことだよ。

あらんかぎりのちからでもって、
知ってるふりをしてるだけ。
会ったこともない。

なんとなく、が
思い込み、
思い込み、が
世界をつくる

「僕は世界を憎んでいる。けれどあなたのことを愛している。」

耳元でささやく誰かを道の途中で忘れてきて
ごめんなさい、ごめんなさい。
そして来た道は、トンネルの途中で消えて。

「僕は世界を愛している。そして君のことを憎んでいる。」

だから、手をつないで眠ればいい。

同じことだよ。

ぽとり、と
ぐしゃり、と
ばちゃん、と
外で音がするから、
15センチだけ窓を開けて覗いたら、
やっぱり、雲が落ちている。
アスファルトに沁み込んで、逃げてしまおうとするので、
こっそり持ち帰って一緒に暮らす。
あなたはまだ、水ではないのだから。
奥深い土の中に、消えることなんて出来ない。

でも大丈夫。私がいるから、大丈夫。

私は世界を愛そうと決めた。
そしてあなたのことはきっと、
ずっと、憎んでいたんだね
ずぅっと、愛していたんだね。

サラサーテをかける。
誰も何もつぶやいてなんていないけど、
私は答えたの。
聞こえないはずの問いに、
何度も答えたの。

淪落ファイナルヴァージョン

おちるのです おちるのです
こう言っていると本当におちるのです 
湯飲みの中で檸檬がまがっているのは無理やり押し込んだからなので
そうやってすいもあまいも嗅ぎ分けているのです
ああそういえばかつて縁側ではじめたあの双六は
今はどこにあるのですか
私には唯一の思い出
サイコロが転がっていった軒下を掘り返したことが忘れられません
土の匂いは 食欲を刺激する
埋まっていたのは 錆びた湯たんぽだったのでした
鉄製の湯たんぽはそのままではちと熱い
ゆっくりとじんわりと火傷をしてしまう

魚の名前はなかなか覚えられませんが
うなぎを焼く時の匂いは睡魔をさそうでしょう
うなぎは魚ヘンになんと書くのですか 
知っていたらはがきに大きく書いて送ってください

多分そのはがきが届く頃 私はあの家には居ないでしょう
すいません 聞いたような事を言って
おちるのです おちてくるのですがそのまえに 
まずは耳掃除をしてください そのひざで

女に似ていた

言葉の切れ端が、女に似ている
わたしの横顔が、女に似ている

知らない時代の夜が終わり
朝の白さに呆然としていた
物言わぬ人が物言わぬまま、沈黙を知らなかったから
物見えぬ人が物見えぬまま、ただ足音だけをたてているから
聞こえない人は聞こえないまま、ただ、びしょ濡れだったから

わたしは眠りながら生きていて
ほんの少し女に似ていた

遠い国
横たわる人は何も知らず
この耳元だけにささやいた
わたしが知らないすべての物事を

言葉の片鱗が朽ちてくれないから
驚いて砂をかけたけれど
もう、時間が、足りなかった

横たわる人の瞳の色を
知ることはできなかったのだ

ちぎれたなにか
もう一度だけたずねたい
永遠に失われた言葉と引き換えに
彼らはどこへ行ったのか

音楽が聴こえる
祝福は沈黙だけで充分だったのに
彼らはわたしの中に旋律を残したのだ
けれど、わたしはやがて知る
その古い楽曲こそが、だた、彼らの言葉だったのだと
そして一人、なす術もなく
見えないものの存在を問うた

どこですか
そこ、は、どこ、ですか

忘却だけが救いではなかったから
わたしはもう一度かばんに荷物を詰め込む

遠い国
見知らぬ人々の頬を撫でるわたしは
多分、あの時女に似ていた
ほこりにまみれた肌の色は、もうそれほど区別もつかず
ただ少しだけ、女に似ていた

水彩画

きょう、道が濡れていた
あした、空が滴り落ちた

僕は落ちている空を筆にとり
水に絵を描く

蒼い空
蒼い海
遠く透き通るような宇宙のもくずそれは雲

筆先は僕の意思とは裏腹に
水面を泳ぐ
泳ぐのだ
泳ぐだけ

ひととき塗られたそのあおは
今はもう
水のあお

土の中のじかん

たった一度の抱擁と
千回くりかえした接吻のあいだに
腕時計を置き忘れて

誰もいないあの家で
庭に生えたローズマリーをつまんでみたら
もう、眠りたくなった

腕時計がなかったので
目覚める時間をしらないまま、
少しだけ、目を閉じている

揺り起こされ、誰かがたずねた
「今、何時?」

時を知ることは
愛を認識することに等しくて、
でも
答えるとき
私はいつも5分だけ間違えている

腕時計が、なかったから

拝啓 ふくすけ様

お元気ですか
今朝起きて顔を洗うとき
ふとあなたのこと思い出しました
鏡に写った私の美しい顔をみてうっとりしていたら
あぁ、そういえば昔ふくすけさまがいたな、
と思い出したので、自分でもびっくりしてしまって……

お変わりはありませんか
私のほうはこんな具合で
昨日と今日と明日の境界についての研究が
いまだ手付かずの状態で
ほんとうにいやになってしまいます

はっきり申し上げて
私はあなたのことがそれほど好きではなく
あなたも私のことをこころよくは思っていなかった
と記憶していますがいかがですか
いかがですかと聞いて答えの返ってこない時間の隙間が、
どうしてこれほど居心地が良いのでしょう

あ!インクをこぼしてしまいました
この便箋の端についた青い紙魚
あなたのところにそのまま届いてしまうけれど
どうか、可愛がってやってください
これはけっして、飲み物でも食べ物の跡ではなく、
ましてや涙などでもありませんから、ご了承ください
ただのインクです

時を告げる機械のような、曖昧なものを見つめていて
刻まれる時を知るとはなんと楽しいことか、
と思った次の瞬間に、
殺意にも似た苛立ちに支配されるようなことがあるのですがいかがですか

ほんとうにいやになってしまいますけれど、
何故か楽しくて笑ってしまって
今日は日がな一日
隠れるように生活してみました
ふくすけさまはきっと驚かれるでしょうけれど
今、とはそんな時代です
なにやら箱のなかでは
多くの人間がおよそ意味のわからないことを言っては笑っております
ものすごく明るい光と聞いたこともない音楽が流れ出しております
それから
その、今、すら切り取って貼り付けて、あなたに届けることだって……

書きかけたあの物語は
もう終わったのですか

語り始めたあの口伝は
いま、何処を歩いているのですか

私は
部屋の鍵をあんまり何度も失くしてしまうので
もう、扉を開け放しております
ほんとうに
いやになってしまいますが
元気です
それでは、さようなら 
   
追伸
実ったばかりの青梅をあまり食べ過ぎませんように
毒性があるので、エレガントに死んでしまいますよ
あなたにはずっとどこかで
元気に暮らして欲しいと願っております

ユウウツなキブツ

一個割って
ニ個割って三個割って
四個割って五個割って
六個割って七個割って
八個割って九個割って
十個目を割ろうとした君は君の影は細く長くゆがんで伸びた
気が付いたらアロエの植木鉢はもうずっと前にベランダから落ちて
たぶん年老いた僕のように転ぶ眠る

ねえ君は取り返しのつかないことをしているのだけれど置き去りにするよ
置き去りにしてくれ僕はキブツ
もう何も所有しないただのキブツ
初めてのことだったからわからなかったのだと君は言い
十個目に手を伸ばす前に窓際に座り込んで
昨晩のグラスをかたむけたけれど残っていたのは三日月の跡
残してくれ飲み干さないでくれとあれほどいったのに
赤い液体が残したのはただのキブツ
ひりひりと喉に残るのは君と君の体の一部だったのか
もうわからないほど僕は朽ちかけているから
さあもう一度立ち上がってくれと声を上げたいのに空気すらこぼれないから
君は君の人差し指は空っぽのグラスを忘れないのだね 二度と

そして僕がかたちをつけた君は君の奥は惨めなキブツで満たされている

そのひぐらし

何処までも続く太陽と月のおいかけっこ
仲間はずれにされたのは足のおそい夕立

ねえあなたの声がさきほどからきこえないよ
そうだよもう一度言ってほしいのよ
眠っていたのだと思うのならそれは間違いだから
早いうちにやりなおさないとすぐにかたまってしまう

はてしない砂の丘に立って
あなた達のおいかけっこを眺めるのには
実のところ もう あきあき なのだ
膨張した色と密度の隙間は 
人ひとり通れるほどの大きさ 
くぐる もぐる かくれる こともできるのに

ねえあなたの声がさきほどからきこえないよ
そうだよもう二度とききたくないよ
朝ごはんたべたら本とペンだけ持って出かけるから
すぐには帰れないから覚悟しておいてほしい

何処までも続く太陽と月のおいかけっこ
仲間はずれにされたのは足のおそい夕立

雨が降ったら帰ってくる
おそらく
何も持たずに帰ってくるから
その時話しかけるのはやめにして
たぶんわたしは何も欲しがらないだろうから

わたしの生活水準

ドアを開けるとその身なりのいい人は何もいわず箱を差し出して気が付くともう誰もいなくて
私は夢でも見ていたのかと誰もいない廊下でつぶやいたけど誰もいない。
そうかもうそんなに時間がたっていたのね私ときたらここ数日何も食べてなくておなかと背中がくっつきそうでそれでいて実は手のひらのしわとしわを合わせたかったのだけど
箱を持っていることに気が付いた。
箱を振るとゴロンとガラガラとコトコトとサワサワといって
ひょっとしたら食べるものでも入っているのじゃないかしらだとしたらはやく冷蔵庫に入れないといけないでもその前に冷蔵庫のコンセントを差し込まなきゃね。
飲め!飲み干すんだ!はやく!
箱からそんな声が聞こえたので、あわてて、開けた。
中にはなんと8年前に捨てた男が入っていて、しかも一人じゃなくて100人くらいいたので、笑う。
いつからそんなにあなた増えたの? しかも小さくなって。
いいから、飲め!時間がない早くするんだ!
あんまり必死なものだから、ほんとにいいの? と聞きもせず踊り食い。
あらやだぺろりといってしまったわ、はしたない。

ドアを開けるとまた身なりのいい人が立っていて、今度はいなくなる前に言ってやったわ。
食べてないけど私、お腹すいてないし!

僕はあの時途方にくれて空をみていた。

僕はあの時空を見て
濡れた月に手を伸ばした

夜は白く
ぬめった

教えられたことは
沢山あった
月は太陽の光を反射している
のだそうだ
けれど僕は
月はそれ自身で輝いている
と思うことにした

それから朝になる

昇る太陽は燃えて
世界は焼ける
そうなのかもしれない
大気を焦がす陽光に
一抹の畏怖を持つことは
愚かなことなのだろうか

夢と現実
眠りと死
その区別もつかなかった時代

月までの距離
太陽の重さ
知らなかった時を

僕は時折途方にくれて
ただ空を見上げる

僕もまた見つめられているのか

それにしても

割れ目からこぼれていく水のように
何も伝えることができない

空を見上げまぶたを閉じた瞬間
時は膨大に
誤解しているのだ

そして僕はもう一度濡れた

2009年7月20日月曜日

彼岸花咲いたのかそれは悲しい願い

水車が
橋の下で
まわる 転がる 

あの時押し倒された右の腕と左のほほと少し後ろの背骨が軋んでいる
咲く花があったから枯れる花があったのだと教わって香りをかいだ墓で
水が流れるのなら大きなものも流せるのでしょうか年に一度くらいと聞いて
答える前に去っていった無口な初老の紳士は帽子を深くかぶっていた

振り返ることは拾うことだと捨てることだと
散歩しながら道で振り返る練習をした日々に
彼岸花の群生は決して見て見ぬふりをしないのだから
一生この花を摘んで旅しなければなりませんねそうですね
尋ねたのはろくでなし
答えを知りたくない暇つぶし

小石をけるところころと転がっていくから追いかけようとして
追いかけようとしている時間と追いかけようと考えている時間の間に
蜘蛛の糸をひいたのだ だから間に合わない もう間に合わないのだと
彼岸花のせいにして
彼岸花の首を折るのはやめにして

あふれそうだからこぼすのだという言い訳を聞くのが
精一杯なのだね彼岸花
赤いのか赤かったのか彼岸花
流れている水の中で濡れていたのは彼岸花

大きな果実の残像

罪をして罪をして罪をしたから
どうにもならないわよあたりまえよ
ちょっとまってそれは3ヶ月前の夜と霧と煙の側にのさばっていた
夢の話いいえちがう夢のような話
いいかげん起きなさいと揺り起こす手には火傷の跡があって
それはもう瘡蓋になっていた
あなたがあの有名なボッカチオだったのですかそれともS
知りませんそんなことはどうでもいいのでしょうたぶん ね

走り出した貨物列車はえるどらどには行かず
片目を閉じたまま走り続けるからきっと朝には

遠いお空の真ん中
実り始めたのは新しい小さな
嘘のような光

走り出したのは貨物列車ではなくて
3番めの車両には折り重なるようにして眠る私とあなたの半分

あなたが誰なのかわかるまで私起きません
そう決めたのです一週間前のことです
白々と明け始めたお空というか天井のようなものは
嘘のような光を本当にしてからに 丸い

そうこうしているともう間違えてしまっている
罪を摘んだのは誰の命令だったのかあなたが答えないうちは
立面図的あるいは平面図的なそれに指一本触れません
今さら名乗っても遅いのですと言う隙もなく
強引なミツバチはまっしぐらに掘ろうとしている
嘘か真かわからないような
禍々しい あの果物は 丸い

わたしバッカリ

しずくばっかり
おりてくる



きみはにっこり
ドアを開けて

私の腕をとって
しずくばっかりの
夜の街を
私のことばっかり
みて
歩くんだね

(だれもいないよ)

いつになったら
詩を書かずにいられるか
泣く私は
わたしばっかり

そらは
しずくばっかり

きみは
ぽけっとに
何やらむずかしい本をいれて
しずくで濡れて

そらは
しずくばっかり
わたしばっかり