一月二十二日の夜、おばあちゃんが亡くなった。
浴室でしんぱい停止、そのまま溺れてしまった。
おじいちゃんはお風呂の順番を、二人暮らしの中おばあちゃんといつも相談してて、この日はたまたまおばあちゃんが先に入っていた。
「すぐ出るからあんたもはいりん」
としゃべって五分後、溺れたおばあちゃんを見つけて心臓マッサージしたそうだ。
おじいちゃんが葬儀のとき、「明日何が起こるかわからんで、人間いつ死ぬかわからんなぁ、でもそれが救いなのかもしれんでな。無理して今を曲げんでもゆっくり生きりゃぁいい」と言っていた。
それまでなんとなくぼんやりしていた私は泣いて、ずっと頭の中を流れていた曲、「夢で会えたら」が止んだ。
おばあちゃんを焼いた後には、骨よりもがっちりと重い、人工関節が残っていた。
何日か特に言う事を思いつかず、特に何も言わなくていいような気がしていて、でも今日あまりに寒くて、古い机を触ったら、おばあちゃんの頬のように冷たくて、なんとくなく、それもなんだな、と思った。
どこで届くんだろうかな。
おばあちゃんへの手紙。