ブログタイトルは今読んでいる、フランソワーズ・サガンの伝記的なもの、『サガンという生き方』山口路子 新人物文庫 (2010)から。
「ものうさと甘さがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名前をつけようか、私は迷う」
サガンの『悲しみよ こんにちは』の冒頭文章です。
なんとなく記憶があるけれど、サガンを読んだのは中学生くらいのことです。前述の文庫、そんなに分厚くもない小さな文庫だけれども、光の中でくるりと回し眺めると、カバー装丁にラメのような輝く何かが紙に混ざっていて、それだけで手にとってしまった本。本棚から『悲しみよ こんにちは』をさがしてみたけれど、見当たらない。
それくらい、過去の読書の朧気な記憶は、その後数々の移動と遍歴の中でどこかに紛れてしまったのかな。
正直サガンの事を思い出すのは、サルトルを思い出すついでみたいなものだったし、人生のなんやかやと対面してしまうと、よく云われるサガン批評として「ブルジョアジーの描く恋愛と人生文学」みたいな気もしていました。13歳くらいの頃の、甘いもの好きな過去、となってしまっていたことも事実。
ミスドのドーナツを丸ごと一個はもう食べられないよみたいな。
ていうか自分もともと甘いもの苦手だったよねとか。
なので、タイトルも引用も孫引きです。
でもやっぱり、細胞のどこかでは時々甘く、それでいて辛辣なものを求めているのかも知れません。
小説を2007年から書き始め、正味二三年しか集中出来なかったけれど、最近いよいよ面白くなってきたのです。ネガもポジも両サイドの意味で引き裂かれる心というのを自由に泳がせて着地させる、その大地が白い画面、あるいは白い紙の上にあるということを、功名心でも自己実現でもなく感じるようになるとは、正直始めた頃には思っていなかったので。
などと、こんな吐露はどうでもいい話。何でもいいから何かをしたいのではなく、これをするのが最もなのだという最もぶりは結局のところ、「これ」をする行為だけでしかないのであって。
なわけで、「これ」をした発表媒体としての破滅派八号を宣伝いたしますよ!
青井橘「緒の国」
断絶しながら繋がる小さな島々。一つの島を統べる者は選ばれた人間だった。彼らもまた絶たれながら結び合おうとしているのか。分裂した場所に浮かぶ人間の孤独と共存。
その他の内容のご案内はこちら。
文学フリマは11月3日、すでに終わっているので後追い宣伝です。もうほんとにね、何をやっても遅い私です。生きてます。
毎回騒いでいるように、文学フリマはお祭りでもあって、こういうことの好きな、沢山の人達が来場する、そんな場があること自体楽しい事なんだけれども。
そこそこ売っていきたい雑誌としては、ガチで宣伝したします。各書店販売もしておりますが、とりあえず、こちらの販売ポータルサイトをご案内します。
今なら送料無料とかのウワサを聞きました!