ネットに漂っているテキストの事です。
ふわふわと漂っているものを持ち歩いて生活するのは不便です。
綿あめだったらべとつくし、タンポポの綿毛だったら風で消える。
ずっと持っていないと飛んでいってしまうし、かといって実用的じゃないし。
宙に浮いた赤い風船を持ったまま電車に乗るのはけっこう面倒なんですよ。
邪魔だし、周囲にはいいトシこいて風船かよって顔で見られるし。
それでもなんだか、手放せない。そういうガラクタが沢山あるわけだけれど。
それがいかに宝物かなんて、大声で言うのは恥知らずなことでしょう。
具体的には、このブログのサイドに恥ずかしげに貼ってある、大学時代の日記、のことなんですけど。
まだウェブログ、というのがそんなに一般的じゃなかった頃、2002年の大学入学年に始めたものなんですが、6月いっぱいでサイト停止するんですよね。
かなり恥ずかしいと思っているのに貼っている自分が時々信じられないくらいだったので、そういう「サイトの都合」みたいな事情でリンク出来なくなるのは受動的で気が楽です。
ネットという媒体に個人的日記を載せるのに迷いつつ、でも今みたいに私の名前検索したらヒットするなんていう状況でもなかったので、友人や読んでほしい人へのメールにアドレス添付する、としてました。このブログを作成するとき、そういえばネットの海に漂ってるのがあるなぁと思って貼っていたのですが、訪問履歴とか消えていたけどそんなに気にならなかったです。
こういうの、沢山の人が持ってると思うんですよね。日記サイトやってた人も沢山いただろうし、今様々あるブログも閉じたり新たに開設したりして、個人的な履歴を色々持ってる人が沢山。そういうのってみんなどうしてるのかな。
ていうか、日記とか日記のようなものって、どうしてるんだろう、みんな。
私は捨てられないんですよね。
中学生くらいから日記を書いていて、さすがにそれは今手元にないけれど、大学ノートに書いていた高校生の頃のものも、手書きの大学時代のものも、読もうと思えば今すぐ読める場所に保管してあります。
過去、自分がいかに「その時」を捏造しようとしていたのか今見直したいなと思うことがあります。
「本当のこと」なんて、日記にすら書けないのだから。
本来的な意味で言うなら、過去の履歴とは三年前の3月15日の天気はどうだったか、自分は何を食べたとか誰と会ったとか何時に寝たとか、事実の羅列の事だと思います。けれど私は主観で塩漬けしてから書き始める人間だし、感傷の砂糖にまぶしてから転がしちゃうわけです。つまりそれは嘘なんだけれど、精一杯嘘をついて「その時」を過ごそうとした中に、後になって見るとちょびっとだけ「本当のこと」に色形が似ているものがある。
私、それを見返して、今の自分が今まで生きてこれたからって信じ込もうとしているセオリーにツッコミを入れたいんです。
私は私を正当化したい。だから今を正当化したい。けれど正しいかどうかなんてことは他者との間において相対的なものでしかなく、今の私を過去の私という他者が批判することもあるわけです。というか批判せざるをえない。そうしなければ。
「汚れた大人」になってしまうんだぜ!!
私はできるだけ大人であろうとしています。というか今でも本当にガキなのでなんとかしたい。
でもそれは諦めることでも汚れることでもない。
素直なまま、大人になりたい。素直、とは、嘘を嘘として、きちんと弄べることです。弄ぶとは大切にするということです。
サイトが消えてしまう前に、ほんの少しだけ、その大切なものについて記しておこうと思います。
大学に入ったとき、講義をうけて何度も泣きそうになりました。いや、実際に泣いたこともなります。それは別に、レヴィナスの他者論に感動したとか、西田の絶対無に煽られたとかではなく。
泣きながら友達に電話をしました。
「なぁすごいで、世の中にはこういう場所があんねん! なんで生きてるのとか世界はなんなんとかいうことを真剣に考えて、考えてる事言っても怒られない、そういうとこがあんねんて。すごいすごい、わたし、感動した! すごい嬉しい! 考えてもいいし、考えてるって言っても良かったんや!」
別にこれは揶揄でもなんでもなく、とってもとっても嬉しかった。
それからもう一つ。
大学に入る以前から私には心のなかで勝手に尊敬している人が何人かいましたし、その人達は今でも尊敬しています。でも尊敬とか憧れとかって、口には出せない。何故かといえば私が尊敬する人は過去の偉人ではなく今現在生きている人だから。今生きていて、変化し、これからも生きていくであろう人を一方的に尊敬するのは、私の幻想であなたを規定しました、という告白です。実際私はその人達を規定しているのだろうけれど、それを言うのはなんだか相手に申し訳ない。だってその人達はこれからも沢山変化していくだろうし、その時迷ったり立ち止まったりもする、ある一人の人間だから。私はその人をわかりきることなどない。ただ変化し、移ろっていくことそれ自体を尊敬できる、たとえ私とは意見の異なる選択をしたとしても、敬意を払えるということ、それが私の尊敬の念です。だから私は片想いの恋のように、そっと尊敬の気持ちを胸に秘め、自分が迷ったとき、こういう時あの人ならどうするかな、と勝手に想像する訳です。そんな身勝手を相手に告白し、共有を強制はできないし、そんなふうに尊敬する人を規定したくないんです。
そんな関係、これからも尊敬し続けることのできる友人に出会えたということ。
そのうちの一人。
「わたくしが死ぬまでお前も生きろ。そうすればお前が死ぬまでわたくしも生きるであろう」
こう言い放った友人との権力相互行使的関係を保ちつつ、精神的心中をしないため、生きていかねば。
言葉の完全性を追求して口を閉ざし、相手を幻想の中に留めるのではない。
私は誤解しかされず、私も誤解しかできない。共同の夢を見ることは出来ない。
私には私の、あなたにはあなたの夢しか見られないということを確認するために会話をする。
それは夢ではなく現実です。ここで繋がるとはそういうことなのかもしれない。
夢の中に生きているのにわざわざ夢を見つめようとするのではなく、今眼の前にあるこの世界が全てだということ。
この空が、この風が、この草木が、唯一の夢であり現実で、それを語るには取りこぼすものがありすぎるがゆえ、私たちはこれからも会話をするのであろう。
こういう会話をしたという記憶の記録という、事実の羅列ではない、なにか日記のようなもの。それがあれでした。
大学を卒業する直前、2007年に小説を初めて書いてみてから最近まで悩んでいたことがあります。
私は私の主観性を批判し、それでも主観を手放さず「わたし」を主語にしながら、さらには客観性をもたなければならない、ということです。沢山揺らいでましたし、今も揺らいでいるのだけれど、そのなにか、日記のようなものが消えるにあたって読み返してみて、ちょびっと気がつけたというわけです。
大学に行ったことは学歴はもちろん、仕事とかそういった面ではほとんど役に立っていません。でも大切な時間でした。
サイトが消えたら、私はもう、その大切なモノを大切だと看板さげとく呪縛から逃れられ、そっと心の中におりたたんでおけるということが、ちょっぴりさみしく、そして嬉しいです。