「出産方面」: 11月 2009

2009年11月16日月曜日

高校の美術室。と優しいキモチ



四週間にわたる高校の美術室での仕事が終わりました。
長いスパンの仕事がおわると、ホッとするのと同時に、もうちょい多めに寂しいです。
大学というのは結構あるけれど、高校、というのはめずらしく、高校生かわいい。
先生もステキに楽しく、高校生って中学生みたい、そいで大学生って高校生みたいってな、ちょっと大人な会話をしました。幼く感じるのは年を経たせいか。私もリアルに高校生だったときは、もう大人やわほっといてくれ、と思ってたけどあんなにかわゆかったのか。いや、何かが違う青春の翳り、てなことも思いつつ。
女子率高い生徒さん達、風がびゅんびゅん強い日に、窓を開けて大騒ぎしてました。絵の具も油も飛ぶで。
「風ー!風ー!」「かっぜ!!」とか言いながら、風に手を振る。なんて儀式なのか私もやりたいと思ったけど、寒すぎて、若さ元気さにたじろいだ始末。風と遊べるなど!

10代というのはなんだったのでしょうか。久々に並ぶ教室とそのまえをカツーんと抜ける廊下と、「うわばき」という種類の履物を前にしたものだから強制的にカイコスイッチが入りました。うわぁチョーク、時間割、チャイム、放課! 音によっていっせいに出てくる制服。始まる雑談とか、ちょっとした孤独というの。早弁の孤独。あの雑談とその隙間をさっと流れる孤独というのは、大学とはやはり違う。世界を、ビニール製のように思ってた。

高校時代、主に入り浸っていたのは図書室、保健室、部室、そして美術室、でした。
図書室でも保健室でも部室でも、授業をサボって本を読んだり寝てたり。とにかく良く寝たし、二日に一回は仮病をつかってた。で、美術室。

数学か美術か、という、牛丼かプリンか、みたいな選択科目で迷わず美術をとった私でしたが、ここだけの話高校はサボりすぎて出席日数が足りず、卒業自体やばかった。なのですべての科目を課題提出で乗り切るというかわゆさだったのですが、美術の課題は自分の手のデッサンやったのを覚えてます。

青春の翳りのせいで、高校時代とは綿飴のなかのよう。その他どんな不祥事を起こしたのか記憶が曖昧な部分が多いけれど、何故か美術室のことは良く覚えているのです。
先生が、現在の美輪明宏を三分の一くらいに痩せさせた感じの、烈インパクト女性で、島田先生といいました。で、「ジュンコ・シマダのいとこ」とか言ってたのだけれど、本当だったのか。
「本当」なのかどうか知りたい時にほど、「本当ですか?」の一言は重い。嘘でもまことでもどっちでもいい時の「ほんとに?」は軽い。

嘘かまことかわからんような事だらけで、なつかしいけれど戻りたくない高校時代。てか、うまいぐあいに人生とは、戻れないようになっている。すごいなぁ。

一年以上にわたり、なんか人生の転換、ある意味パラドクスも転換で、キリキリしていたけれど、人と出会うとまた人に救われる。救われないのは、何時代であれ、優しいキモチになれない時だったのだよなぁ、と。
でも、ま。
ああ生きるとはたいがい。

2009年11月9日月曜日

連載3と海外作品月間

文芸誌破滅派 連載小説
『喫茶エリザベート3』青井橘

もう三回目ですね。
この作品は100枚ちょいで完結です。

思えば2006年頃にふと小説を書いてみようと思い、以後驚くほどプライベートがばたばたしましたので、ていうかプライベートなど落ち着いたためしはないのですが、まあ実質一年半くらい書ける環境だったといえます。その間に書いたのが300枚が一作、150枚が一作、100枚程度が二作、という感じです。すぐ長くなっちゃう。で今は改めまして20枚完結を書き終えました。今日、さっき。仕事から帰ってから。

さて話し変わって読むほうですが、私は買った本を読み終えるまで次のを買わない、という枷を自分にしいておりまして、買いたいんならこれ読めよ、という本がデスクに積んであります。しかしどうもこのところ、ていうか一年くらい本が頭に入ってこず、ツンドル状態でした。でも読みました。


 『キャンディ』テリィ・サザーン
 これは本のジャケ買いというか、ネット上で見つからなかったのだけど写真とは違う表紙で全面どぎついピンク、キッチュなまなざしはそのまんまだけどサイケさアップ!の、角川1970年版を古本屋で50円で見つけたのでした。映画はみたことないんやけど、メイソン・ホッフェンバーグというハンバーグみたいな脚本家の別名です。ハンバーグはたしか『イージー・ライダー』とか『博士の異常な愛情』とかの脚本書いてた人です。
 内容はキャンディってゆーカワユイ女の子が大学教授とか医者とか教祖様から狙われるのを回避しつつ、コメディアンド風刺な、あ、やっぱりどこかアメリカン・ニューシネマ的な感じです。偉そうな事言ってとにかくヤリタイおっさんの姿が哀れです。
「ぼくはマッチョじゃないよぅ」といいながらその実コテコテマッチョなおっさんが多い日本でも通じる風刺。風刺とか皮肉とかあんま好きやないけども、そいつらに読ませたい快感と不快感が混じる読後感。出版後は発禁になったみたいだけど、なんでか私発禁ものによく当たる。


『ずっとお城で暮らしてる』シャーリー・ジャクソン

こちらはまだ途中まで。だもんで、内容ご案内と帯から一言。
「私はメアリ・キャサリン・ブラックウッド……悪意に満ちた外界に背を向け、空想が彩る閉じた世界で過ごす幸せな日々。しかし従兄弟チャールズの来訪が、美しく病んだ世界に大きな変化をもたらそうとしていた」
「すべての善人に読まれるべき、本の形をした怪物である。――桜庭一樹」
さすがは箱庭の女王、桜庭一樹さんの言葉すごいですね。

純真無垢天真爛漫なヒップ少女がマッチョおやじの刃の間を駆け抜ける VS 閉じこもり妄想乙女

ある意味対極の二つです。翻訳モノは頭に入ってこないときはほんと入ってこないし、海外作品の救われなさ、残酷さは、日本の小説とはまた質がちがうんだけども。

2009年11月2日月曜日

水をとりにいく。


野菜をあげたり鍋を共につついたりしている近所のともだちんちには、美味しい水があって、われわれの家からチャリで5分くらいのところにある神社から汲んできているのだと教えてもらった。
さっそく行こうと思っていたのに、でかいペットボトルというものが家になく、でかい空きペットボトルをとっておき、このたび水を汲みに行った。


われわれの家ではあまり生水を飲む事がなく、水を買うこともあんまりないし、なんかろ過する容器みたいなのもなく、たいがい自家製のどくだみ茶を飲んでいるのだけれども、友達が遊びに来てみんなで焼酎を飲んでるとき、割り水、と言われ、ああそうかそりゃ美味しい水で割りたいわ、と思ったものだった。


こんな近くの、しかも商店街からすぐのところから水を取ってこられるとは、それを知らなかったとは!
わりと有名なのか、訪れたときおっさんが先に汲んでいて、待って、われわれも。そしたら汲んでる間におばちゃんが来て、待たせてしまった。順番を変わってからおばちゃんに話しかけてみると、「ここと、もういっこ、あるんだけどね」と教えてくれたその場所が、家から歩いて一分くらいのとこにあるという耳寄り情報。帰りに確認してみると、そちらには「地下水出ました」と書いてあり、この神社のような竹からちょろちょろではなく、蛇口のある水道が設置してあった。水の落ちる場所にはくぼんだ岩があって、金魚が泳いでいた。「どうせ自分が水汲み係りにされるんやろう」という図星の嫌味を相棒に言われつつ、今度はこちらでも水を取ってみようね、と。



帰ってからごくごく飲んだ。神社の水は冷えていてとても美味しかった。教えてくれた友人、それとあらたに教えてくれたおばちゃん、ありがとう。